武蔵小杉ブログ(武蔵小杉ライフ 公式ブログ)

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2017年
05月29日

等々力緑地北側で、かつて野菜を東京に出荷。「宮内の渡し」探訪と、宮内歩道橋からの多摩川パノラマ

【Reporter:はつしも】

多摩川の等々力緑北側あたりに、かつて「宮内の渡し」がありました。
本エントリでは、その跡地に建てられた記念碑を紹介したいと思います。

■「宮内の渡し」の記念碑
宮内の渡し

多摩川に橋が架けられるようになったのは、近代になってからです。
武蔵小杉周辺では、二子橋が1925年(大正14年)、丸子橋が1934年(昭和9年)、新二子橋が1978(昭和53年)にそれぞれ完成しました。

それまでは多摩川を渡る交通手段として各地で「渡し船」が運行され、物流や対岸での耕作、あるいは通学など、さまざまな用途に使われていました。

この渡し船は、多摩川全域で45か所、川崎市内で20か所ほど運行されていたようです。
武蔵小杉周辺では、これまでにご紹介してきた「平間の渡し」「丸子の渡し」「下野毛の渡し」に加えて、「宮内の渡し」の存在が確認されています。

■「平間」「丸子」「宮内」「下野毛」の渡しマップ
「平間」「丸子」「宮内」「下野毛」の渡し場マップ

しかしながら現在では河川敷、護岸等の整備によりその遺構はほとんど残っておらず、渡し場の位置も一部ではわからなくなっている現状があります。

この歴史を後世にとどめるべく、川崎市とNPO法人多摩川エコミュージアムの「ふるさと資産・遺産活用推進事業」によって、渡し場の跡地に記念碑を建てる取り組みが行われています。

今回ご紹介するのは、その「宮内の渡し」の記念碑です。

■「宮内の渡し」の説明
「宮内の渡し」の記念碑の説明

「宮内の渡し」の記念碑には、渡し場の歴史が簡単に記載されています。

これによると「宮内の渡し」は、大正初めごろ、旧中原村宮内から対岸等々力に渡るために設けられたということです。

利用目的は 野菜などを東京市場へ出荷するためなどで、1935年(昭和10年)に廃止されました。

丸子橋ができたのが1934年ですから、その1年後に廃止されたことになります。

■等々力緑地への宮内歩道橋
等々力緑地への宮内歩道橋 

■宮内歩道橋から見た丸子橋・武蔵小杉方面
宮内歩道橋から見た丸子橋・武蔵小杉方面

宮内の渡しのすぐそばには、等々力緑地方面につながる「宮内歩道橋」があります。
歩道橋の上からは、多摩川の風景を見渡すことができました。

上記写真は宮内歩道橋から丸子橋や武蔵小杉方面を見たものです。
写真右端奥に、武蔵小杉の高層ビル群の姿が写っています。

■宮内歩道橋から見た二子玉川方面
宮内歩道橋から見た二子玉川方面

また反対側には、二子玉川ライズや、第三京浜が見えました。

■宮内歩道橋から見た多摩川パノラマ
宮内歩道橋から見た多摩川パノラマ
※クリックで拡大します。

たいへん眺めがよかったですので、宮内歩道橋から見た風景をパノラマ画像にしてみました。
パノラマ左端に見えるのが二子玉川、右端に見えるのが武蔵小杉の高層ビル群です。

この正面あたりで、渡し船が運行されていたわけですね。

■宮内歩道橋から、等々力緑地方面
宮内歩道橋から、等々力緑地方面

なお、宮内歩道橋から等々力方面に下りると、2016/11/28エントリでご紹介した「等々力水処理センター」の近くに出ます。

等々力緑地散策のついでに、記念碑を見ることもできるでしょう。



■「丸子の渡し」
「丸子の渡し」

■「平間の渡し」
平間の渡し

■「下野毛の渡し」
「下野毛の渡し」

これにて、武蔵小杉周辺に立てられている「丸子の渡し」「平間の渡し」「下野毛の渡し」「宮内の渡し」を、それぞれご紹介したことになります。

多摩川サイクリングロードを自転車で進めば15分ほどで回れると思いますので、サイクリングをしながら順番に見てくのもよいと思います。

【関連リンク】
川崎市ウェブサイト ふるさと資産・遺産活用推進事業
2009/9/23エントリ 川崎歴史ガイド・中原街道ルート(1):「丸子の渡し」
2011/7/16エントリ 「ガス橋」と平間の渡し
2016/10/30エントリ 「第3回 丸子の渡し祭り」開催レポート:渡し船は1時間40分待ちの盛況、大田区発祥「揚げパンマン」登場
2017/2/28エントリ 多摩川の「下野毛の渡し」記念碑と、下野毛商店街をめぐる

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