武蔵小杉ブログ(武蔵小杉ライフ 公式ブログ)

川崎市中原区の再開発で変貌する街・武蔵小杉のタウン情報サイト『武蔵小杉ライフ』の公式ニュースブログ。街の最新情報やさまざまな話題をご紹介します。

2009年
10月06日

川崎歴史ガイド・中原街道ルート(2):旧原家母屋跡地

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川崎歴史ガイド・中原街道ルートをめぐる連載2回目です。
今回は、丸子橋から東急線のガードをくぐり、しばらく歩いた先の
「旧原家母屋跡地」をご紹介します。

■旧原家母屋跡地
旧原家母屋跡地

「旧原家母屋跡地」ですが、ここには中原街道ルートの全体マップの
ガイドパネルがあるだけで、川崎歴史ガイドの歴史スポットとしては
位置づけられていません。

そのため、ガイドブックにも記載されていないのですが、中原街道を
歩いていけばすぐに目に留まるような立派な門構えであり、ガイド
パネルの隣には石碑が建てられています。

■「旧原家母屋跡地」の石碑
旧原家母屋跡地の石碑

これによると、原家九代目の文次郎氏は、1889年から24年の歳月
をかけて、この地に母屋を1913年に完成
させたそうです。
総ケヤキ造りの母屋は、当時の高度な木造建築技術を駆使した
建築物であり、2001年に川崎市の重要歴史記念物に指定されて
います。

現在では十一代目正巳氏の願いもあり、母屋は多摩区の川崎市立
日本民家園に移築
され、多くの人が郷土や先人の智恵について学ぶ
学習室として利用されているものです。

■川崎市立日本民家園ウェブサイト 施設案内 旧原家住宅
http://www.city.kawasaki.jp/88/88minka/home/x-metc.htm#etc_3

■中原街道の道標
中原街道の道標

また、石碑の近くには、中原街道の道標も建っています。
「右 東京 十粁(10キロメートル)」、「左 平塚 五十粁(50キロ
メートル)」
となっています。
「東京」と書いてありますのでこれは古いものではないのでしょうが、
中原街道は江戸から平塚の中原までを結ぶ街道であったため、
平塚までの距離が記載されているわけです。

原家は名主をつとめた名家で、現在でも立派なお屋敷が残ってい
ます。江戸時代から手広く肥料商を営み、石橋を多くの場所に架け
たことから石橋という屋号で呼ばれていたようです。
中原街道ルートのもう少し先、「木月堀と『くらやみ』」というスポット
でお屋敷が紹介されています。

■「旧原家母屋跡地」マップ
「旧原家母屋跡地」マップ

【関連リンク】
川崎市立日本民家園 公式ウェブサイト
2008/8/8エントリ 中原街道のカギ道(前編) 小杉御殿と西明寺
2009/9/23エントリ 川崎歴史ガイド・中原街道ルート(1):「丸子の渡し」

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2009年
09月23日

川崎歴史ガイド・中原街道ルート(1):「丸子の渡し」

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財団法人川崎市文化財団の事業に「川崎歴史ガイド」というものが
あります。これは、市内の歴史文化遺産の保存と紹介を目的とした
事業で、市内の歴史をたどる9つのルートを設定し、現地にガイド
パネル
を設置するほか、パンフレットを作成しているものです。

■川崎市文化財団 歴史ガイド
http://homepage2.nifty.com/k-bunkazaidan/guide/index.htm

■川崎歴史ガイドのパンフレット
川崎歴史ガイドのパンフレット

中原区においては、「中原街道」「二ヶ領用水」がルートに設定
されており、そのうち「中原街道ルート」についてはガイドパネルが
設置されています。

■川崎歴史ガイドのガイドパネル
川崎歴史ガイドのガイドパネル

そのうち「中原街道のカギ道」については2008/8/8エントリですでに
取り上げておりますが、今回より「中原街道ルート」の全体を不定期
連載で巡っていきたい
と思います。

というわけで、今回はスタート地点の「丸子の渡し」からですが、
その前に中原街道について少々。

■現代の中原街道(武蔵中原駅付近)
現代の中原街道(武蔵中原駅付近)

中原街道は、江戸と平塚の中原を結ぶ街道で、おおよそ中世には
成立していたようです。中原区では意外に思う方もいらっしゃる
かもしれませんが、「中原街道」という名前は平塚の中原が由来
なっています。
平塚の中原には徳川家の別荘「中原御殿」がありました。これは
徳川家康の命により1596年に建てられたもので、1608年に2代将軍
秀忠が仮御殿として建てた(その後増改築)「小杉御殿」に先立って
成立しています。

江戸自体初期までは東海道が整備されておらず、徳川家康、秀忠、
家光の3代にわたって主要街道として利用されていました。その後
東海道にその立場を譲り、かつての繁栄を失うことになりますが、
その後も沿道の生活物資や農産物を運ぶ街道として利用され、
現在に至っています。

そのような歴史ある街道であるため、現在でも街道沿いには旧家や
古くからの商家、石碑などが残り、地名にも当時の名残が見受けら
れ、
「川崎歴史ガイド」のガイドパネルが設置されています。

さて、スタート地点の「丸子の渡し」ですが・・・、

■丸子の渡し(丸子橋)
丸子の渡し

いきなりですが、ガイドパネルがありません。川崎市文化財団の
ウェブサイトにも記載されていますが、行方不明になっている
ようです。
それなりの大きさで、金属製ですので重いと思うのですが、ガイド
パネルは自分で歩きませんので、どなたかが持ち去ってしまった
ものと思います。使い道はわかりませんが・・・。

・・・気を取り直して「丸子の渡し」ですが、丸子橋ができたのは
それほど大昔のことではありませんで、1935年のことです。
それまで、中原街道を利用する方は渡し舟で多摩川を渡っていた
もので、それが「丸子の渡し」と呼ばれていました。

当時は多摩川の堤防の内側まで集落が広がっており、渡し場付近
には「松原」、東横線の鉄橋から上流には「青木根」と呼ばれる集落
がありました。集落では農業のほか、多摩川の砂利取りや川舟作り
などをして生計を立てていました。
商店も営まれたほか神社なども集落内に祀られ、渡し場周辺は人々
の生活の場
であったようです。

■「青木根集落」のあった東横線上流
「青木根集落」のあった東横線上流

しかし、その丸子の渡しと集落もなくなる日がやってきます。
1921年頃から始められた多摩川の築堤工事により、青木根・松原は
移住
を余儀なくされます。
「川崎歴史ガイド」ですと自然消滅したかのようにぼかした記述に
なっていますが、実際には代替地の補償もない強権的な移住だった
ようです。

青木根には天満宮がありましたが、移住に伴って一旦丸子山王日枝
神社
に合祀され、その後あらためて上丸子天神町に移されました。
天満宮は天神さまとも呼ばれますが、それが上丸子天神町の地名の
由来
となっています。
上丸子天神町は多摩川沿い、青木根の付近にあたりますが、青木根
から多くの方が上丸子天神町に移住
したそうです。

そして、前述の通り1935年に丸子橋が完成したことで「丸子の渡し」
も完全に役割を終え、松原・青木根集落に続いて姿を消すことと
なりました。

現在の河川敷には当時の名残は(ガイドパネルも)ありませんが、
2007年より「中原街道時代まつり」の一環として「丸子の渡し」が
復活
しています。

■二ヶ領せせらぎ館 丸子の渡し復活
http://www.seseragikan.com/ivetokiroku/090718watasi/index.html

現在の丸子橋については2009/7/2エントリでご紹介した通りなの
ですが、この橋ができるまでにさまざまな歴史があったわけですね。

今回は以上です。
次回日時は未定ですが、ぼちぼち武蔵中原駅までの街道筋を辿って
いきたいと思います。

■「丸子の渡し」周辺マップ
「丸子の渡し」周辺マップ

【関連リンク】
2008/8/8エントリ 中原街道のカギ道(前編) 小杉御殿と西明寺
2009/7/2エントリ 丸子橋で、都県境に立つ

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