川崎歴史ガイド・中原街道ルート(5):「小杉御殿と『カギ』の道」
川崎歴史ガイド・中原街道ルートの連載5回目は、「小杉御殿と
『カギ』の道」です。これについては2008/8/8エントリ及び2008/8/9
エントリで一度取り上げていまして、今回は川崎歴史ガイドのシリー
ズ化にあたり、その過去エントリを再編集のうえ収録したものです。
■中原街道のカギ道
前回の石橋醤油店を通過して数分歩くと、大きなクランクにぶつか
ります。これが「中原街道のカギ道」と呼ばれるものです。
このカギ道の由来は江戸時代初期にさかのぼりまして、初代将軍
徳川家康が作らせた「小杉御殿」にゆかりがあります。
小杉御殿は、家康が鷹狩りを好んだことから作らせたいくつかの
宿泊所のひとつで、現在の「小杉御殿町」という地名はそこから
名付けられたものです。
小杉御殿は、家康が別荘としての「殿舎」を築き、慶長9年(1604)年
頃から利用されていたようです。その後秀忠の代を経て、家光が
「御殿」として完成させました。家光の代には、まだ東海道が未整備
であったことから、西国大名の参勤交代の休憩場としても利用され
ていたものです。
その後寛永元年(1624年)に東海道が整備されると中原街道の往来
は減少し、小杉御殿は万治3年(1660年)に廃止されました。
そこで中原街道のクランク(カギ道)の話に戻りますと、
これは将軍をはじめとする要人が宿泊するために、容易に攻め込ま
れないよう、守りを固めるためにあえて周辺の道をカギ状にしたもの
で、それが現在の道路にも残っているのだそうです。城下町のお城
周辺の道などによくみられる構造ですね。
カギ道だけでなく、小杉御殿の周囲を西明寺、泉澤寺といった仏閣が
囲んでいるのも、御殿を守る地理的な役割があったようです。
西明寺は、小杉御殿の建設とほぼ同時期に有馬村(現在の神奈川県
高座郡)から現在地に移された寺院で、徳川家康が鷹狩りの休憩に
滞在したと伝えられています。
こういった経緯から、西明寺は小杉御殿、徳川家とゆかりの深い寺院
として現在も残っています。
■西明寺の入口
丸子橋方面からこのカギ道にぶつかった正面に西明寺があります
が、その入口に川崎歴史ガイドのガイドパネルが立っています。
■「小杉御殿と『カギ』の道」のガイドパネル
ここでは、これまでのガイドパネルとは異なり、当時の図面も掲載
された大きなパネルになっています。
この図面は2009/11/9エントリ「旧名主家と長屋門」で取り上げた
安藤家に所蔵された「小杉御殿見取絵図」で、小杉御殿の全体像を
把握することができます。
さて、中原街道のカギ道ですが、現在拡幅及び直線化のための
用地買収が少しずつ進んでいます。
■中原街道改良工事 取得済み用地(小杉十字路付近)
■川崎市建設局 川崎市の道路整備プログラム
http://www.city.kawasaki.jp/53/53doukei/home/seibi_program/
seibi_program_plan.htm
川崎市の道路整備プログラムによれば、この改良工事は2014年
までに完成させる計画となっています。進捗はというと、一応用地の
取得率も少しずつ上がってはいるようです。
直線化の時期は多少未確定な部分もありそうですが、400年続いた
このカギ道の存在も、いずれは昔話となるのでしょうね。
■「小杉御殿と『カギ』の道」マップ
【関連リンク】
武蔵小杉ライフ:生活情報:神社・仏閣 西明寺
2008/8/8エントリ 中原街道のカギ道(前編):小杉御殿と西明寺
2008/8/9エントリ 中原街道のカギ道(後編):拡幅と直線化の見通し
2009/9/23エントリ 川崎歴史ガイド・中原街道ルート(1):「丸子の渡し」
2009/10/6エントリ 川崎歴史ガイド・中原街道ルート(2):「旧原家母屋跡地」
2009/11/9エントリ 川崎歴史ガイド・中原街道ルート(3):「旧名主家と長屋門
2009/11/29エントリ 川崎歴史ガイド・中原街道ルート(4):「明治の醤油作りと
八百八橋」
2009/12/21エントリ 川崎歴史ガイド・中原街道ルート(番外編):「武蔵小杉駅の
八百八橋」
2010/2/9エントリ 川崎歴史ガイド・中原街道ルート(番外編):丸子の渡しガイド
パネル入札不調