川崎歴史ガイド・中原街道ルート(8):「御蔵稲荷と多摩川」
川崎歴史ガイド・中原街道ルートの連載第8回は、「御蔵稲荷と
多摩川」です。「御蔵稲荷」は、小杉御殿の跡地として残されてい
るスポットのひとつで、川崎歴史ガイドのガイドパネルが設置され
ています。
2010/3/30エントリ「小杉御殿の御主殿跡」で取り上げましたが、
当時の絵図によれば小杉御殿の敷地内には表御門、御主殿、
御殿番屋敷、御賄屋敷、御蔵、御馬屋敷、裏御門などが配置さ
れていたことが確認されています。
「御蔵稲荷」は、そのうちのひとつ、御蔵があったとされる場所に
残されている稲荷神社です。
■御蔵稲荷
御蔵稲荷は住宅街の路地の中にあり、なかなか見つけることが
できません。ごく小さな敷地に、稲荷神社のほかに町内会の祭具
倉庫などが設置されています。
写真右手前に立てられているのが、川崎歴史ガイドのガイドパネル
です。
現在、この場所は多摩川沿いから少し離れていますが、小杉御殿が
あった当時は、この御蔵稲荷のすぐ北側が多摩川だったそうです。
つまり、北側にある等々力緑地は東京都側だったのですね。
小杉御殿は、すぐ北側を多摩川という自然の要害によって守られて
いたわけです。
■御蔵稲荷と多摩川の流れ
その後多摩川は氾濫をくりかえしつつ流れを変え、等々力緑地を
飛び地として中原区側に残して、現在では小杉御殿からは離れた
場所を流れています。
飛び地は法令によって各自治体に編入され、現在では解消されて
いますが、等々力という地名が多摩川の両岸に残されているのは、
このような事情によるものです。
■小杉御殿跡の石碑
この御蔵稲荷には、小杉御殿跡の石碑が建てられており、大きく
「二代将軍秀忠公小杉御殿跡」と書かれています。
小杉御殿は、家康が別荘としての「殿舎」を築き、慶長9年(1604
年)頃から利用されていたようですが、本格的に御殿として創建
したのは秀忠の代であることから、そのような表記になっている
ものと思われます。
■御蔵稲荷の猫
さて、この御蔵稲荷には史跡が残されているということで、神社に
お参りをしてみようと思うと、おや、地元の猫ちゃんが・・・。
■御蔵稲荷の石段
いや、その、私が見たいのはその石段の部分なもので、ちょっと
どいてくださいな。
■「野村文左衛門」の石橋
猫ちゃんにどいてもらって御蔵稲荷の拝殿の石段の部分をよく見て
みると、「野村文左衛門」と名前が刻まれています。
これはこれまでの連載でも何回か取り上げてきた野村文左衛門に
よる「八百八橋」の石橋の一部分で、それが御蔵稲荷の石段として
残されているものです。
これで、八百八橋の石橋は「石橋醤油店」前、武蔵小杉駅北口ロー
タリー、中原区役所、そして今回の御蔵稲荷の4箇所に残されてい
るのが確認できました(詳細は関連リンクを参照ください)。
八百八というくらいですから、まだ他にもあるのでしょうか?
御蔵稲荷には当時の御蔵の姿は全く残されていませんが、この
石橋が静かに、地域の歴史を今に伝えていました。
【関連リンク】
(川崎歴史ガイド・中原街道ルート連載)
2009/9/23エントリ (1):「丸子の渡し」
2009/10/6エントリ (2):「旧原家母屋跡地」
2009/11/9エントリ (3):「旧名主家と長屋門」
2009/11/29エントリ (4):「明治の醤油作りと八百八橋」
2009/12/21エントリ (番外編):「武蔵小杉駅の八百八橋」
2010/2/9エントリ (番外編):丸子の渡しガイドパネル入札不調
2010/2/14エントリ (5):「小杉御殿と『カギ』の道」
2010/3/30エントリ (6):「小杉御殿の御主殿跡」
2010/5/23エントリ (番外編):「中原区役所の八百八橋」
2010/6/28エントリ (7):「小杉陣屋と次大夫」