川崎歴史ガイド・中原街道ルート(10):「小杉駅と供養塔」
川崎歴史ガイド・中原街道ルートの連載第10回目は、「小杉駅と
供養塔」です。
中原街道の武蔵小杉付近は、1673年(寛文13年)「小杉宿」として
宿駅(宿場)に指定されていました。宿駅とは、江戸時代に各街道に
おいて交通・通信事務を取扱う為設定された町場をいい、大名の
本陣や旅人の宿泊施設、荷物運搬の人馬を中継ぎする設備が置
かれていました。
東海道の川崎宿は1623年(元和9年)に正式な宿駅となっており、
小杉宿は丁度それに50年遅れて指定されたことになります。ただ、
実際に小杉宿付近が最も栄えたのは宿駅の指定をされた時期より
も前、江戸時代初期であったようです。
■カギ道付近の「つけぎや」
さて、カギ道付近に「つけぎや」というお米屋さんがありますが、
そのすぐ脇(写真左手)に小杉が宿駅であったことを示す供養塔が
残されています。
■供養塔とガイドパネル
ここには敷地の端に供養塔、すぐ隣にガイドパネルが建てられて
います。完全にお店の建物の敷地内で、供養塔だけが保存されて
いるような格好です。
この供養塔には「武州橘樹郡稲毛領小杉駅」とありまして、台座の
部分には「東江戸、西中原」という文字も判読できます。
この表記から、中原街道が江戸から平塚の中原を結んでいた街道
であることと、小杉が正式な宿駅であったことがあらためて確認で
きます。
供養塔は、1848年(弘化5年)、前掲の「つけぎや」の先祖、鈴木
戸右衛門によって建立されました。もう幕末に近い時期で、小杉が
宿駅になってから175年後のことでした。
「つけぎや」は江戸時代から20代続く旧家で、籠屋として創業、
附木屋・よろず屋・材木屋などを経て現在はお米屋さんになって
います。
かつて営んでいた、附木屋(つけぎや)の屋号が現在まで残って
いるわけですね。
「附木屋」とは、その名前の通り「付け木」を売る店です。付け木とは
薄い板の先に硫黄を乗ったもので、薪木に火をつけるためのマッチ
のような道具でした。
明治以降にマッチが使われるようになると、付け木は徐々に姿を消し
ていきましたので、それに伴って付け木を売る商店も別の業態に
移り変わっていったものと思います。
中原街道の「つけぎや」は、現在は一見してごく普通のお米屋さんに
見えますが、中原街道に名を残す歴史あるお店だったのですね。
■中原街道と供養塔
なお、中原街道のこの区間は歩道が設置されておらず、供養塔の
すぐそばを車が走っています。丁度バス停の目の前にもなっていま
すので、見学の際はご留意ください。
■「小杉駅と供養塔」のガイドパネル マップ
【関連リンク】
(川崎歴史ガイド・中原街道ルート連載)
2009/9/23エントリ (1):「丸子の渡し」
2009/10/6エントリ (2):「旧原家母屋跡地」
2009/11/9エントリ (3):「旧名主家と長屋門」
2009/11/29エントリ (4):「明治の醤油作りと八百八橋」
2009/12/21エントリ (番外編):「武蔵小杉駅の八百八橋」
2010/2/9エントリ (番外編):「丸子の渡しガイドパネル入札不調」
2010/2/14エントリ (5):「小杉御殿と『カギ』の道」
2010/3/30エントリ (6):「小杉御殿の御主殿跡」
2010/5/23エントリ (番外編)「中原区役所の八百八橋」
2010/6/28エントリ (7):「小杉陣屋と次大夫」
2010/7/19エントリ (8):「御蔵稲荷と多摩川」
2010/8/19エントリ (9):「西明寺と小杉学舎」