武蔵小杉ブログ(武蔵小杉ライフ 公式ブログ)

川崎市中原区の再開発で変貌する街・武蔵小杉のタウン情報サイト『武蔵小杉ライフ』の公式ニュースブログ。街の最新情報やさまざまな話題をご紹介します。

2008年
01月19日

みぞのくち未来展:溝の口再開発の軌跡

【Reporter:はつしも】

さて、今日は珍しく武蔵小杉を離れて、南武線で結ばれた隣接タウンである溝の口の話題を取り上げてみたいと思います。

溝の口は、武蔵小杉よりも早く駅前の再開発事業が行われ、再開発ビルのNOCTY(ノクティ)・丸井溝の口店がオープンしてから10年が経過しました。
また、駅前ロータリーとペデストリアンデッキも整備されています。

■溝の口駅前のペデストリアンデッキ(左側がNOCTY。撮影は丸井溝の口店より)
溝の口駅前のペデストリアンデッキ

 
1月12日から2月11日まで、このNOCTYと丸井の5階連絡通路において、溝の口再開発の歴史をひもとく「みぞのくち未来展」が開催されています。

■NOCTY・丸井5階連絡通路 みぞのくち未来展
みぞのくち未来展

いろいろ展示があるのですが、皆さんが注目していたのは溝の口駅周辺の航空写真でした。なんと、1939年から現在までの航空写真が時系列で並べられています。

各写真の下の方に赤い丸が見えますが、そこが「現在地」、すなわちNOCTYと丸井が現在ある場所ということになります。

■溝の口の航空写真 1939年
溝の口の航空写真 1939年

■溝の口の航空写真 1962年
溝の口の航空写真 1962年

■溝の口の航空写真 1971年
溝の口の航空写真 1971年

■溝の口の航空写真 1981年
溝の口の航空写真 1981年

■溝の口の航空写真 1991年
溝の口の航空写真 1991年

■溝の口の航空写真 2001年
溝の口の航空写真 2001年

■溝の口の航空写真 2008年
溝の口の航空写真 2008年

1939年から見ていくと、田園地帯が都市化されていく過程がよくわかります。
最近を見てもマンションなどで高い建物が増えてますね。

その他にも連絡通路の壁面にさまざまな展示があります。その一部だけご紹介すると・・・。

■みぞのくちヒストリーマップ
みぞのくちヒストリーマップ

こちらでは、溝の口の歴史と写真、再開発にあたって中心的な役割を果たされた地元の商店会や振興会などの有力者の方の話が展示されています。

地元の商店会の方のお話を読むと、再開発にあたっていろいろな利害が絡んで大変だったということがわかります。

溝の口は戦後の闇市があった土地で、ごく最近まで昭和の香りが残るような風景が残っていました。大規模な企業保有地が多かったために企業と調整がつけば開発が進められた武蔵小杉と違い、溝の口では個人の地権者が細かく分かれていました。

その地権者それぞれに生活や利害があるために、主導された有力者の方が一軒一軒商店を回って説得するようなかたちだったそうです。
再開発計画が持ち上がったのが1985年、再開発ビルが竣工したのが1997年ですので、再開発には12年かかったことになります。

武蔵小杉とは地権者の構成の面で違いがありますが、この展示を読んで共通する部分がありました。

ひとつは、再開発事業で主導的な役割を果たしているのはどちらも結局は地元有力者であることです。武蔵小杉再開発も、各事業組合の理事長の名前を見れば、地元の商店会等の有力者の方の名前が並んでいます。

もうひとつは、その地元有力者の方の語っている内容です。それは大意を要約すると、

「現代は都市間競争の時代であり、各商店が自分の利害だけに捉われていては生き残れない。街全体で力をあわせて街の魅力を上げていく事が
必要」

ということです。上記のような内容が、溝の口の展示でも語られていましたし、武蔵小杉でも、武蔵小杉駅南口地区西街区市街地再開発組合の理事長をされている大野さん(武蔵小杉のスーパー「大野屋」オーナー)が、「散歩の達人」の武蔵小杉再開発記事中でほぼ同じ内容を語っていらっしゃいました。

各商店の利益=市民・住民全体の利益ではないわけで、広い視野で物事を見ていかないと生き残っていけないということでしょう。

今回の展示は溝の口のお話ではあったのですが、展示を見ながら今後の武蔵小杉の再開発とも重なる部分がありましたので、ご紹介しました。

【関連リンク】
NOCTY PLAZA 公式サイト
マルイファミリー溝口 公式サイト
神奈川新聞 カナロコ 溝の口再開発振り返る企画展

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