中原区にあった、日本初の常設サーキット。「多摩川スピードウェイ」メインスタンド跡地を歩く
【Reporter:はつしも】
多摩川河川敷の東急線鉄橋付近に、かつて「多摩川スピードウェイ」がありました。
これは多摩川の自然堤防上にあった「青木根集落」の跡地に1936年に開業した自動車・オートバイレース用のサーキットで、当時の東京横浜電鉄(現在の東京急行電鉄)などが共同出資会社により運営を行っていました。
今回は、その跡地を歩いてみました。
■「多摩川スピードウェイ」のマップ
■「多摩川スピードウェイ」の跡地
「多摩川スピードウェイ」は、日本初の常設サーキットでした。
河川敷に全長1,200mのコースが整備され、メインスタンドは多摩川の堤防の斜面を利用して3万人を収容するものとなっていました。
1936年6月7日に「第1回全国自動車競走大会」ここで開催され、本田技研工業創業者・本田宗一郎氏も弟の本田弁二郎氏とともに「浜松号」で出場した記録が残っています。
その後日本車に加えて外国からの参戦もあり大いに盛り上がったものの、戦時中の娯楽自粛により自動車レースの開催は途絶えてしまいました。
自動車レースが途絶えてからもオートバイのレースは続けられ、戦後の1949年には「第1回全日本モーターサイクル選手権」が開催されました。
しばらくの間オートバイのレースは続いていたようですが、最終的にいつ「多摩川スピードウェイ」が廃止になったのか、正確な時期は定かではありません。
■「多摩川スピードウェイ」のメインスタンド
こちらが、「多摩川スピードウェイ」のメインスタンド跡地です。
堤防の斜面を利用して座席が設置されていたもので、現在もその土台が残されています。
■座席を設置していた穴
メインスタンドの土台には、一定間隔で四角い穴があいています。
ここにフェンスの足を差して固定していたようです(異説もあります)。
■メインスタンドの階段
メインスタンドには、一定間隔で階段が設置されており、現在もその姿を確認することができます。
かなり雑草が生い茂っていますね。
「多摩川スピードウェイ」の跡地は自動車教習所としても使われたほか、1961年に現在の日本ハムファイターズの前身、「東映フライヤーズ」のグラウンドが国からの借地契約により整備されました。
それから50年後、2011年3月をもって借地契約が満了してグラウンドは閉鎖されています。
同年5月、そのあとを継いで川崎市が占有権を取得しまして、2015年4月より「川崎市多摩川丸子橋硬式野球場」が供用開始になっています。
■川崎市 「多摩川丸子橋硬式野球場」の供用開始について
http://www.city.kawasaki.jp/530/page/0000064751.html
このグラウンドは2時間以内2,500円で利用することができまして、利用にあたっては下記の条件があります。
▼チーム登録の所在地は川崎市内であること。
▼チーム名には「川崎(市)」又は区名などの川崎市の由来の名称が付いていること。
▼チームの構成は、選手、役員等の半数以上は川崎市民であること。
▼チームの代表者が市内に在住していること。
▼硬式野球を行うことを目的に定期的な活動を行うチームであること。
▼組織的に構成されたチームで河川敷利用者に対する安全を確保できるチームであること。
つまり川崎市のチームでないといけないということですね。
「チーム名には「川崎(市)」又は区名などの川崎市の由来の名称が付いていること。」
という条件がありますので、地元チームでも名前に地名などが入っていないと利用できません。
この野場が供用開始されたことで、現在は少年野球チームなどが練習している姿を休日などに見ることができます。
河川敷といえば街中よりも変化が少ない場所のように思いますが、この場所は集落⇒サーキット⇒プロ野球団の練習場⇒川崎市の野球場と時代にあわせてその姿を変えてきたわけですね。
以前、古くから武蔵小杉にお住いの方とお話しする機会がありまして、
「かつてはお大尽(裕福な人)が新丸子の芸者さんを連れてサーキット観戦をしたり、多摩川の花火を見たりしていた。若いころに多摩川のスタンドまでお酒を配達したことがある」
というエピソードを伺うことができました。
新丸子は昔は料理屋・待合・芸者置屋が並ぶ「三業地」でしたし、サーキットもあって現在よりも娯楽寄りの街だったといえるのではないでしょうか。
なお、「多摩川スピードウェイ」のメインスタンドは、今のところ特に解体等の計画は持ち上がっていません。
老朽化により安全性に問題が出てくれば行政としても対策を講じる必要に迫られるのでしょうが、当面はこのまま堤防に残されて、多摩川の移り変わる歴史を見つめ続けることになるでしょう。
■多摩川を見守り続けるメインスタンド
【関連リンク】
2011/11/25エントリ 大田区側から見る武蔵小杉再開発ビルと、富士山
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2015/8/21エントリ 多摩川浅間神社・河川敷から見る武蔵小杉の高層ビルと、富士山の夏景色
多摩川河川敷の東急線鉄橋付近に、かつて「多摩川スピードウェイ」がありました。
これは多摩川の自然堤防上にあった「青木根集落」の跡地に1936年に開業した自動車・オートバイレース用のサーキットで、当時の東京横浜電鉄(現在の東京急行電鉄)などが共同出資会社により運営を行っていました。
今回は、その跡地を歩いてみました。
■「多摩川スピードウェイ」のマップ
■「多摩川スピードウェイ」の跡地
「多摩川スピードウェイ」は、日本初の常設サーキットでした。
河川敷に全長1,200mのコースが整備され、メインスタンドは多摩川の堤防の斜面を利用して3万人を収容するものとなっていました。
1936年6月7日に「第1回全国自動車競走大会」ここで開催され、本田技研工業創業者・本田宗一郎氏も弟の本田弁二郎氏とともに「浜松号」で出場した記録が残っています。
その後日本車に加えて外国からの参戦もあり大いに盛り上がったものの、戦時中の娯楽自粛により自動車レースの開催は途絶えてしまいました。
自動車レースが途絶えてからもオートバイのレースは続けられ、戦後の1949年には「第1回全日本モーターサイクル選手権」が開催されました。
しばらくの間オートバイのレースは続いていたようですが、最終的にいつ「多摩川スピードウェイ」が廃止になったのか、正確な時期は定かではありません。
■「多摩川スピードウェイ」のメインスタンド
こちらが、「多摩川スピードウェイ」のメインスタンド跡地です。
堤防の斜面を利用して座席が設置されていたもので、現在もその土台が残されています。
■座席を設置していた穴
メインスタンドの土台には、一定間隔で四角い穴があいています。
ここにフェンスの足を差して固定していたようです(異説もあります)。
■メインスタンドの階段
メインスタンドには、一定間隔で階段が設置されており、現在もその姿を確認することができます。
かなり雑草が生い茂っていますね。
「多摩川スピードウェイ」の跡地は自動車教習所としても使われたほか、1961年に現在の日本ハムファイターズの前身、「東映フライヤーズ」のグラウンドが国からの借地契約により整備されました。
それから50年後、2011年3月をもって借地契約が満了してグラウンドは閉鎖されています。
同年5月、そのあとを継いで川崎市が占有権を取得しまして、2015年4月より「川崎市多摩川丸子橋硬式野球場」が供用開始になっています。
■川崎市 「多摩川丸子橋硬式野球場」の供用開始について
http://www.city.kawasaki.jp/530/page/0000064751.html
このグラウンドは2時間以内2,500円で利用することができまして、利用にあたっては下記の条件があります。
▼チーム登録の所在地は川崎市内であること。
▼チーム名には「川崎(市)」又は区名などの川崎市の由来の名称が付いていること。
▼チームの構成は、選手、役員等の半数以上は川崎市民であること。
▼チームの代表者が市内に在住していること。
▼硬式野球を行うことを目的に定期的な活動を行うチームであること。
▼組織的に構成されたチームで河川敷利用者に対する安全を確保できるチームであること。
つまり川崎市のチームでないといけないということですね。
「チーム名には「川崎(市)」又は区名などの川崎市の由来の名称が付いていること。」
という条件がありますので、地元チームでも名前に地名などが入っていないと利用できません。
この野場が供用開始されたことで、現在は少年野球チームなどが練習している姿を休日などに見ることができます。
河川敷といえば街中よりも変化が少ない場所のように思いますが、この場所は集落⇒サーキット⇒プロ野球団の練習場⇒川崎市の野球場と時代にあわせてその姿を変えてきたわけですね。
以前、古くから武蔵小杉にお住いの方とお話しする機会がありまして、
「かつてはお大尽(裕福な人)が新丸子の芸者さんを連れてサーキット観戦をしたり、多摩川の花火を見たりしていた。若いころに多摩川のスタンドまでお酒を配達したことがある」
というエピソードを伺うことができました。
新丸子は昔は料理屋・待合・芸者置屋が並ぶ「三業地」でしたし、サーキットもあって現在よりも娯楽寄りの街だったといえるのではないでしょうか。
なお、「多摩川スピードウェイ」のメインスタンドは、今のところ特に解体等の計画は持ち上がっていません。
老朽化により安全性に問題が出てくれば行政としても対策を講じる必要に迫られるのでしょうが、当面はこのまま堤防に残されて、多摩川の移り変わる歴史を見つめ続けることになるでしょう。
■多摩川を見守り続けるメインスタンド
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