中原平和公園の「川崎市核兵器廃絶平和都市宣言」と、周辺の平和像など
【Reporter:はつしも】
2015/12/16エントリにおいて、「中原平和公園」の「彫刻展示広場」に設置された9体の彫刻をご紹介しました。
同公園の用地はかつて「東京航空計器」の軍需工場でありしたが、戦後の米軍による接収を経て1975年に返還、1983年に「中原平和公園」として開園しました。
そのような経緯もあって同公園は平和を祈念する公園として位置づけられており、前回ご紹介した9体以外にも、平和をテーマにしたオブジェ・像などが各所に設置されています。
前回「続編」を予告してから1年以上が経過してしまいましたが、今回は、「彫刻展示広場」付近の像をご紹介していきたいと思います。
■「核兵器廃絶平和都市宣言」
川崎市は、1982年に「核兵器廃絶平和都市宣言」を市議会において決議しました。
それを記念したオブジェが、彫刻展示広場の近くに鎮座していました。
ここには当時決議された宣言の全文が記載されています。
■川崎市 核兵器廃絶平和都市宣言
http://www.city.kawasaki.jp/shisetsu/category/21-21-1-0-0-0- 0-0-0-0.html
■川崎市 核兵器廃絶平和都市宣言の全文
真の恒久平和と安全を実現することは、人類共通の念願である。
しかるに、核軍備の拡張は依然として行われ、人類の生存に深刻な脅威を与えている。
わが国は、世界唯一の被爆国として、被爆の恐ろしさ、被爆者の苦しみを声を大にして全世界の人々に訴え、再びこの地球上に広島、長崎の、あの惨禍を繰り返させてはならない。
このことは、人類が遵守しなければならない普遍的な理念であり、我々が子孫に残す唯一の遺産である。
川崎市は、我が国の非核三原則が完全に実施されることを願い、すべての核保有国に対し、核兵器の廃絶と軍縮を求め、国際社会の連帯と民主主義の原点に立って、核兵器廃絶の世論を喚起するため、ここに核兵器廃絶平和都市となることを宣言する。
昭和57年6月8日
川崎市
当時の川崎市はいわゆる「革新市政」と呼ばれた伊藤三郎市長の時代であり、早期の宣言取り組みはそのカラーが出たものとも見えますが、1980年年代には多くの地方自治体が上記に類する宣言を行っていました。
現在では、日本の自治体の9割近くが非核宣言を行っています。
■「はばたけ」(圓鍔元規作)
続いてこちらは、「はばたけ」という題のブロンズ像です。
川崎市在住の彫刻家・圓鍔元規氏の作品です。
はばたくのは平和の象徴とされる鳩でしょうか。
元規氏のルーツは広島県にあり、想像にすぎませんがそのあたりにも思うところがあったのかもしれません。
■「希望」(長江録弥作)
ツインテールの少女像は、「希望」というタイトルです。
作者の長江録弥氏は、瀬戸市出身で川崎市高津区に自宅があった彫刻家です。
同氏は世田谷区上野毛の多摩帝国美術学校(現在の多摩美術大学)入学により1943年に上京しましたが、戦争により一旦帰省を余儀なくされます。
戦火によって上野毛の校舎は焼失してしまいましたが、戦後に再建をしようという学生たちに呼応して、同氏も1946年にふたたび上京することになりました。
その際の仮校舎があったのが川崎市高津区で、同氏はそこに学友とともに寝泊りをしていたといわれています。
同氏は多摩美卒業後も高津区に自宅を購入してとどまり、2005年に亡くなるまで半世紀にわたって川崎市で創作活動をされたということです。
現在は子息の長江眞弥氏が造形作家として川崎市を拠点に活動をされています。
このような戦中戦後の経験をもつ長江録弥氏が、平和への願いをもっていたことは想像に難くありません。
中原平和公園の少女像は、未来への「希望」を感じさせるものとなっています。
■「平和への誓い」(高橋剛作)
続いてこちらは、「平和への誓い」と題されたブロンズ像です。
いわゆる母子像で、ダイレクトに平和への願いを表現しています。
作者の高橋剛氏は山形県出身の彫刻家で、バレエダンサーや裸婦をモチーフにした作品で知られています。
等々力緑地の「健康美」の像(関連リンク参照)を創作した北村西望氏などに師事して彫刻を学び、各地に作品が残っています。
この像は池の中央に設置されていまして、時間によって噴水が稼動します。
武蔵小杉方面が広場になっているため視界がひらけており、武蔵小杉の高層ビル群がよく見えます。
■川崎市平和館
■川崎市平和館前の「和」
最後は、川崎市平和館前に設置されている「和」です。
こちらは広島県出身であり、1991年に川崎市名誉市民となった彫刻家・圓鍔勝三氏の作品です。
同氏は、前掲の「はばたけ」を創作した圓鍔元規氏(川崎市在住)の実父にあたりまして、親子で川崎市とゆかりの深い彫刻家です。
以上、5つの像とオブジェをご紹介してまいりましたが、ご記憶のものはおありでしたでしょうか。
普段は全く気にしていませんけれども、あらためて作者のバックボーンなどを見直してみると、地域の歴史との関わりに興味を引かれる部分があります。
中原平和公園だけでなく。他の公園や駅前、公共施設など、街の各所にこういった像が立てられています。
ふと注目してみると、新しい発見があるかもしれません。
【関連リンク】
・川崎市 緑と公園 中原平和公園
・2011/6/30エントリ 等々力緑地の「健康美」と「花時計」
・2015/12/2エントリ 戦火に消えた、南武線の駅。玉川中学校・橘 高校前の「武蔵中丸子駅」跡地探訪
・2015/12/16エントリ 中原平和公園の「彫刻展示広場」に並ぶ、7 か国の彫刻家による9つの作品
2015/12/16エントリにおいて、「中原平和公園」の「彫刻展示広場」に設置された9体の彫刻をご紹介しました。
同公園の用地はかつて「東京航空計器」の軍需工場でありしたが、戦後の米軍による接収を経て1975年に返還、1983年に「中原平和公園」として開園しました。
そのような経緯もあって同公園は平和を祈念する公園として位置づけられており、前回ご紹介した9体以外にも、平和をテーマにしたオブジェ・像などが各所に設置されています。
前回「続編」を予告してから1年以上が経過してしまいましたが、今回は、「彫刻展示広場」付近の像をご紹介していきたいと思います。
■「核兵器廃絶平和都市宣言」
川崎市は、1982年に「核兵器廃絶平和都市宣言」を市議会において決議しました。
それを記念したオブジェが、彫刻展示広場の近くに鎮座していました。
ここには当時決議された宣言の全文が記載されています。
■川崎市 核兵器廃絶平和都市宣言
http://www.city.kawasaki.jp/shisetsu/category/21-21-1-0-0-0- 0-0-0-0.html
■川崎市 核兵器廃絶平和都市宣言の全文
真の恒久平和と安全を実現することは、人類共通の念願である。
しかるに、核軍備の拡張は依然として行われ、人類の生存に深刻な脅威を与えている。
わが国は、世界唯一の被爆国として、被爆の恐ろしさ、被爆者の苦しみを声を大にして全世界の人々に訴え、再びこの地球上に広島、長崎の、あの惨禍を繰り返させてはならない。
このことは、人類が遵守しなければならない普遍的な理念であり、我々が子孫に残す唯一の遺産である。
川崎市は、我が国の非核三原則が完全に実施されることを願い、すべての核保有国に対し、核兵器の廃絶と軍縮を求め、国際社会の連帯と民主主義の原点に立って、核兵器廃絶の世論を喚起するため、ここに核兵器廃絶平和都市となることを宣言する。
昭和57年6月8日
川崎市
当時の川崎市はいわゆる「革新市政」と呼ばれた伊藤三郎市長の時代であり、早期の宣言取り組みはそのカラーが出たものとも見えますが、1980年年代には多くの地方自治体が上記に類する宣言を行っていました。
現在では、日本の自治体の9割近くが非核宣言を行っています。
■「はばたけ」(圓鍔元規作)
続いてこちらは、「はばたけ」という題のブロンズ像です。
川崎市在住の彫刻家・圓鍔元規氏の作品です。
はばたくのは平和の象徴とされる鳩でしょうか。
元規氏のルーツは広島県にあり、想像にすぎませんがそのあたりにも思うところがあったのかもしれません。
■「希望」(長江録弥作)
ツインテールの少女像は、「希望」というタイトルです。
作者の長江録弥氏は、瀬戸市出身で川崎市高津区に自宅があった彫刻家です。
同氏は世田谷区上野毛の多摩帝国美術学校(現在の多摩美術大学)入学により1943年に上京しましたが、戦争により一旦帰省を余儀なくされます。
戦火によって上野毛の校舎は焼失してしまいましたが、戦後に再建をしようという学生たちに呼応して、同氏も1946年にふたたび上京することになりました。
その際の仮校舎があったのが川崎市高津区で、同氏はそこに学友とともに寝泊りをしていたといわれています。
同氏は多摩美卒業後も高津区に自宅を購入してとどまり、2005年に亡くなるまで半世紀にわたって川崎市で創作活動をされたということです。
現在は子息の長江眞弥氏が造形作家として川崎市を拠点に活動をされています。
このような戦中戦後の経験をもつ長江録弥氏が、平和への願いをもっていたことは想像に難くありません。
中原平和公園の少女像は、未来への「希望」を感じさせるものとなっています。
■「平和への誓い」(高橋剛作)
続いてこちらは、「平和への誓い」と題されたブロンズ像です。
いわゆる母子像で、ダイレクトに平和への願いを表現しています。
作者の高橋剛氏は山形県出身の彫刻家で、バレエダンサーや裸婦をモチーフにした作品で知られています。
等々力緑地の「健康美」の像(関連リンク参照)を創作した北村西望氏などに師事して彫刻を学び、各地に作品が残っています。
この像は池の中央に設置されていまして、時間によって噴水が稼動します。
武蔵小杉方面が広場になっているため視界がひらけており、武蔵小杉の高層ビル群がよく見えます。
■川崎市平和館
■川崎市平和館前の「和」
最後は、川崎市平和館前に設置されている「和」です。
こちらは広島県出身であり、1991年に川崎市名誉市民となった彫刻家・圓鍔勝三氏の作品です。
同氏は、前掲の「はばたけ」を創作した圓鍔元規氏(川崎市在住)の実父にあたりまして、親子で川崎市とゆかりの深い彫刻家です。
以上、5つの像とオブジェをご紹介してまいりましたが、ご記憶のものはおありでしたでしょうか。
普段は全く気にしていませんけれども、あらためて作者のバックボーンなどを見直してみると、地域の歴史との関わりに興味を引かれる部分があります。
中原平和公園だけでなく。他の公園や駅前、公共施設など、街の各所にこういった像が立てられています。
ふと注目してみると、新しい発見があるかもしれません。
【関連リンク】
・川崎市 緑と公園 中原平和公園
・2011/6/30エントリ 等々力緑地の「健康美」と「花時計」
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