南武沿線道路に歴史の痕跡、南武線高架化後に残されていた「今井堀踏切入口」標識
通常、弊紙記事では最初に記事全体のサマリーや結論を申し上げるのですが、今回は下記の2枚の写真をご覧ください。
1枚目が2015年5月、2枚目が2024年7月の直近の写真です。
■2015年5月の南武沿線道路
■2024年7月の南武沿線道路
上記2枚の写真は、南武沿線道路の小杉御殿町交差点よりもひとつ西側の交差点です。
約9年が経過しているわけですが、2枚の写真から、違いをどれくらい見つけられるでしょうか。
・右側の「あぐり動物病院」が建て替えられた
・南武沿線道路に自転車ナビマークが設置された
・交差点中央の白線がなくなった
・左側の「ミユキガーデン」のフェンスの広告がなくなった
今回注目するのは、上記以外のポイントです。
■2015年5月の信号機
■2024年7月の信号機
正解はこちらです。
信号機に、以前は「今井堀踏切入口」という標識がついていたものが、無くなったのですね。
Googleストリートビューで参照すると、標識があるのは2015年3月が最後で、2016年10月の写真では無くなっています。
弊紙で撮影をしていたのは、もう本当に最後の時期に写真だったようです。
「今井堀踏切入口」という名称からわかるのは、この交差点から南武線側に入ったところに「今井堀踏切」があったことです。
つまり南武線が高架化される前の踏切があり、その場所に「今井堀」があったわけですね。
■今井堀踏切入口から見える今井神社への参道
「今井堀」は、神地橋から今井神社の脇を流れる小さな堀だったようで、現在ではその姿は残されていません。
南武線も武蔵小杉駅より西側が1988年~1990年にかけて高架化され、踏切は解消されました。
そこで「今井堀踏切入口」という交差点の標識はなくなっても良かったのでしょうが、地域で交通上の目印として定着していたためか、そのまま長い間残されていました。
2015年から2016年の間に撤去されたわけですから、踏切の解消から約25年ほど時間をかけたことになります。
そんな地域の歴史が伺える標識の写真を、今回はご紹介いたしました。
■高架化された南武線(今井堀踏切跡地)
【関連リンク】
・2023/2/7エントリ JR南武線連続立体交差事業(矢向~武蔵小杉間)アセス説明会が開催:高架化3駅は8両編成余地確保、現行2040年完成予定での用地取得は厳しい見通しも
1枚目が2015年5月、2枚目が2024年7月の直近の写真です。
■2015年5月の南武沿線道路
■2024年7月の南武沿線道路
上記2枚の写真は、南武沿線道路の小杉御殿町交差点よりもひとつ西側の交差点です。
約9年が経過しているわけですが、2枚の写真から、違いをどれくらい見つけられるでしょうか。
・右側の「あぐり動物病院」が建て替えられた
・南武沿線道路に自転車ナビマークが設置された
・交差点中央の白線がなくなった
・左側の「ミユキガーデン」のフェンスの広告がなくなった
今回注目するのは、上記以外のポイントです。
■2015年5月の信号機
■2024年7月の信号機
正解はこちらです。
信号機に、以前は「今井堀踏切入口」という標識がついていたものが、無くなったのですね。
Googleストリートビューで参照すると、標識があるのは2015年3月が最後で、2016年10月の写真では無くなっています。
弊紙で撮影をしていたのは、もう本当に最後の時期に写真だったようです。
「今井堀踏切入口」という名称からわかるのは、この交差点から南武線側に入ったところに「今井堀踏切」があったことです。
つまり南武線が高架化される前の踏切があり、その場所に「今井堀」があったわけですね。
■今井堀踏切入口から見える今井神社への参道
「今井堀」は、神地橋から今井神社の脇を流れる小さな堀だったようで、現在ではその姿は残されていません。
南武線も武蔵小杉駅より西側が1988年~1990年にかけて高架化され、踏切は解消されました。
そこで「今井堀踏切入口」という交差点の標識はなくなっても良かったのでしょうが、地域で交通上の目印として定着していたためか、そのまま長い間残されていました。
2015年から2016年の間に撤去されたわけですから、踏切の解消から約25年ほど時間をかけたことになります。
そんな地域の歴史が伺える標識の写真を、今回はご紹介いたしました。
■高架化された南武線(今井堀踏切跡地)
【関連リンク】
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