「かわさきのむかし話」探訪第3弾、川崎市最古・影向寺の「乳いちょう」と「力石」
幸区・鹿島田駅前にある地域密着型書店「北野書店」が刊行した、「かわさきのむかし話を語ろう」(小澤俊夫編・再話)という郷土本があります。
弊紙ではこれまでに、同書の昔話に登場する「武蔵中原のピンスケ稲荷」、高津区の影向寺近く「井戸坂」の現地レポートをお届けしておりました。
今回はさらに野川の影向寺の「乳いちょう」「力石」をご紹介したいと思います。
■影向寺の「乳いちょう」と「力石」
■「かわさきのむかし話を語ろう」(小澤俊夫編・再話、北野書店)
「かわさきのむかし話を語ろう」は、川崎市内に残る昔話を昔話研究科・小澤俊夫さんが監修して再話収録したものです。
これまでにいくつかの版がありましたが、上記写真の本書は2022年に復刻版として刊行されたものでした。
■宮前区の影向寺
影向寺は、7世紀後半に開かれた川崎市最古の寺院です。
言い伝えでは、下記のような縁起があります。
●天平11年(739年)に光明皇后が眼病を患った
●聖武天皇の御夢の中に一人の僧が現れ、「武蔵の国橘樹郡橘郷(現在の影向寺周辺)に不思議な霊石があり、聖浄な水をたたえている。そこに伽藍を建立し薬師如来を安置すれば皇后の病も治癒する」と述べた
●聖武天皇が早速行基を遣わして祈願したところ皇后の病は快癒された
●翌年、聖武天皇の名により立派な伽藍が建立され、影向寺のはじまりとなった
上記の縁起によれば8世紀の創建ということになりますが、現在では研究が進み、前述の通り7世紀後半に創建されたことが分かっています。
上記写真で境内の中心にあるのが、神奈川県指定重要文化財の「影向寺薬師堂」です。
現在の薬師堂は元禄7年(1694年)に再建されたものですが、地下には奈良時代の金堂の基壇が眠っています。
その薬師堂の右奥に、黄葉した「乳いちょう」が見えています。
■影向寺の「乳いちょう」(黄葉前)
■乳いちょう(黄葉後)
■「乳いちょう」の縁起
■「乳いちょう」の縁起
影向寺の乳いちょうは、樹齢600年と推定されている巨木です。
ご覧の通り、12月になると見事に黄葉しています。
これが「かわさきのむかし話を語ろう」に収録されていまして、概要は以下の通りです。
●昔、小倉池の近くに乳の出が悪くて困っている母親がいた
●影向寺の薬師様に願をかけると父が出るようになるという話を聞いてお参りした
●薬師堂そばのいちょうの木に乳房そっくりのこぶがあり、これを削って煎じて飲んだら父がよく出るようになり、赤ん坊も元気に育った
●樹齢600年に及ぶいちょうは「乳いちょう」と呼ばれるようになった
■薬師堂と乳いちょう
■見事に育った父いちょうの幹
樹齢600年におよぶという乳いちょうは、確かに薬師堂のそばにありました。
ご覧の通り見事に育った幹で、でこぼことしていて見方によっては乳のように見えた部分もあったかもしれません。
■イチョウの葉が積もった境内
現在はちょうどいちょうの黄葉の見頃でしたので、昔話探訪をしてみるのもよいかもしれません。
■影向寺の「力石」
そしてもうひとつ、「かわさきのむかし話を語ろう」には、影向寺の「力石」の話が収録されています。
「力石」自体は多くのお寺に残されており、昔、若者がこれを持ち上げて力比べをしたものです。
■「力石」に刻まれた名前
ただ、影向寺の「力石」に刻まれた、力比べに参加した若者の出身地と名前を見ると、非常に広い範囲からが集まっていたことがわかります。
品川、綱嶋村(綱島)、太尾村(現在の横浜市港北区大倉山)などの地名がはっきりと読み取れますね。
「かわさきのむかし話を語ろう」では、力石は25貫(約94kg)の「さし石」、90貫(約338kg)の「おったて石」のふたつとされています。
「さし石」を頭の上に持ち上げ、さらに寝転んでいる「おったて石」をまっすぐに立てられたら一人前とされ、隣村まで力比べに出かけていったのだそう。
ただ、上記写真の力石を見る限り、ふたつの石はそこまで重量の差がなさそうですね。
むかし話に出てくるものとは、違うものなのかもしれません。
■「かわさきのむかし話」に登場する「井戸坂」
なお、影向寺の裏手には、同じく「かわさきのむかし話を語ろう」に登場する「井戸坂」があります。
ここには人をばかす「むじな」が出たということです。
2024/6/10エントリでお伝えした通り、この井戸坂は影向寺の高台の北側急斜面であるため、日が暮れるのがひときわ早く、おそらく昔話の当時はすぐに真っ暗になってしまったと思われます。
だからこそ、人をばかすむじなの話が残っているのは、坂道だらけの影向寺周辺でもこの「井戸坂」だったのではないか、という推察をご紹介しておりました。
そのようなわけで、影向寺とその周辺には3つの昔話スポットが集まっていますので、あわせて探訪してみるのも良いと思います。
■影向寺のマップ
なお、影向寺のアクセスは駅からかなり遠く、高台の上で歩くと結構大変です。
武蔵中原駅などから「ハローサイクリング」で電動アシスト付き自転車をレンタルしていくと便利かもしれません。
また中原街道沿いのバス停「影向寺(ようごうじ)」で下車するのも良さそうです。
■武蔵小杉ライフ公式Youtubeチャンネル 川崎市最古!影向寺が指定文化財特別公開、木造薬師如来や十二神将など迫力
■武蔵小杉ライフ公式Youtubeチャンネル 飛鳥時代の復元倉庫を一般公開!国史跡「橘樹官衙遺跡群」
【関連リンク】
・影向寺 ウェブサイト
(かわさきのむかし話を語ろう)関連
・2023/12/16エントリ 「かわさきのむかし話を語ろう」で巡る昔話:「化かす狐」を鎮めたピンスケ・権九郎・おひなの「下小田中三稲荷」
・2024/6/10エントリ 「かわさきのむかし話」探訪、現地で分かる影向寺裏「井戸坂」(高津区)にむじなが出る理由
(橘樹官衙遺跡群関連)
・2019/3/22エントリ 中原街道の尻手黒川道路交差点近くに「ケーズデンキ川崎野川店」がオープン、3月24日(日)までオープニングイベント実施中
・2019/11/9エントリ 中原街道・千年交差点先の高台から見える、武蔵小杉の高層ビル群
・2020/8/27エントリ 高津区に点在、北限・西限の武蔵小杉。下野毛「ハイラーク武蔵小杉」、千年「メイツ武蔵小杉」、子母口「ユナイト武蔵小杉」
・2021/4/27エントリ 川崎歴史ガイド・中原街道ルート(番外編):子母口富士見台古墳から見た武蔵小杉の高層ビル群と、富士見台からの富士山
・2021/9/16エントリ 武蔵小杉から自転車20分で行ける、バスケットゴールのある公園。「千年中央公園」レポート
・2024/6/10エントリ 「かわさきのむかし話」探訪、現地で分かる影向寺裏「井戸坂」(高津区)にむじなが出る理由
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・2024/11/9エントリ 川崎市最古・7世紀創建「影向寺」が指定文化財を特別公開、木造薬師如来・十二神将などが迫力
・2024/11/25エントリ 中原街道・千年交差点先の高台から見える、武蔵小杉の高層ビル群【夜景バージョン】
弊紙ではこれまでに、同書の昔話に登場する「武蔵中原のピンスケ稲荷」、高津区の影向寺近く「井戸坂」の現地レポートをお届けしておりました。
今回はさらに野川の影向寺の「乳いちょう」「力石」をご紹介したいと思います。
■影向寺の「乳いちょう」と「力石」
■「かわさきのむかし話を語ろう」(小澤俊夫編・再話、北野書店)
「かわさきのむかし話を語ろう」は、川崎市内に残る昔話を昔話研究科・小澤俊夫さんが監修して再話収録したものです。
これまでにいくつかの版がありましたが、上記写真の本書は2022年に復刻版として刊行されたものでした。
■宮前区の影向寺
影向寺は、7世紀後半に開かれた川崎市最古の寺院です。
言い伝えでは、下記のような縁起があります。
●天平11年(739年)に光明皇后が眼病を患った
●聖武天皇の御夢の中に一人の僧が現れ、「武蔵の国橘樹郡橘郷(現在の影向寺周辺)に不思議な霊石があり、聖浄な水をたたえている。そこに伽藍を建立し薬師如来を安置すれば皇后の病も治癒する」と述べた
●聖武天皇が早速行基を遣わして祈願したところ皇后の病は快癒された
●翌年、聖武天皇の名により立派な伽藍が建立され、影向寺のはじまりとなった
上記の縁起によれば8世紀の創建ということになりますが、現在では研究が進み、前述の通り7世紀後半に創建されたことが分かっています。
上記写真で境内の中心にあるのが、神奈川県指定重要文化財の「影向寺薬師堂」です。
現在の薬師堂は元禄7年(1694年)に再建されたものですが、地下には奈良時代の金堂の基壇が眠っています。
その薬師堂の右奥に、黄葉した「乳いちょう」が見えています。
■影向寺の「乳いちょう」(黄葉前)
■乳いちょう(黄葉後)
■「乳いちょう」の縁起
■「乳いちょう」の縁起
影向寺の乳いちょうは、樹齢600年と推定されている巨木です。
ご覧の通り、12月になると見事に黄葉しています。
これが「かわさきのむかし話を語ろう」に収録されていまして、概要は以下の通りです。
●昔、小倉池の近くに乳の出が悪くて困っている母親がいた
●影向寺の薬師様に願をかけると父が出るようになるという話を聞いてお参りした
●薬師堂そばのいちょうの木に乳房そっくりのこぶがあり、これを削って煎じて飲んだら父がよく出るようになり、赤ん坊も元気に育った
●樹齢600年に及ぶいちょうは「乳いちょう」と呼ばれるようになった
■薬師堂と乳いちょう
■見事に育った父いちょうの幹
樹齢600年におよぶという乳いちょうは、確かに薬師堂のそばにありました。
ご覧の通り見事に育った幹で、でこぼことしていて見方によっては乳のように見えた部分もあったかもしれません。
■イチョウの葉が積もった境内
現在はちょうどいちょうの黄葉の見頃でしたので、昔話探訪をしてみるのもよいかもしれません。
■影向寺の「力石」
そしてもうひとつ、「かわさきのむかし話を語ろう」には、影向寺の「力石」の話が収録されています。
「力石」自体は多くのお寺に残されており、昔、若者がこれを持ち上げて力比べをしたものです。
■「力石」に刻まれた名前
ただ、影向寺の「力石」に刻まれた、力比べに参加した若者の出身地と名前を見ると、非常に広い範囲からが集まっていたことがわかります。
品川、綱嶋村(綱島)、太尾村(現在の横浜市港北区大倉山)などの地名がはっきりと読み取れますね。
「かわさきのむかし話を語ろう」では、力石は25貫(約94kg)の「さし石」、90貫(約338kg)の「おったて石」のふたつとされています。
「さし石」を頭の上に持ち上げ、さらに寝転んでいる「おったて石」をまっすぐに立てられたら一人前とされ、隣村まで力比べに出かけていったのだそう。
ただ、上記写真の力石を見る限り、ふたつの石はそこまで重量の差がなさそうですね。
むかし話に出てくるものとは、違うものなのかもしれません。
■「かわさきのむかし話」に登場する「井戸坂」
なお、影向寺の裏手には、同じく「かわさきのむかし話を語ろう」に登場する「井戸坂」があります。
ここには人をばかす「むじな」が出たということです。
2024/6/10エントリでお伝えした通り、この井戸坂は影向寺の高台の北側急斜面であるため、日が暮れるのがひときわ早く、おそらく昔話の当時はすぐに真っ暗になってしまったと思われます。
だからこそ、人をばかすむじなの話が残っているのは、坂道だらけの影向寺周辺でもこの「井戸坂」だったのではないか、という推察をご紹介しておりました。
そのようなわけで、影向寺とその周辺には3つの昔話スポットが集まっていますので、あわせて探訪してみるのも良いと思います。
■影向寺のマップ
なお、影向寺のアクセスは駅からかなり遠く、高台の上で歩くと結構大変です。
武蔵中原駅などから「ハローサイクリング」で電動アシスト付き自転車をレンタルしていくと便利かもしれません。
また中原街道沿いのバス停「影向寺(ようごうじ)」で下車するのも良さそうです。
■武蔵小杉ライフ公式Youtubeチャンネル 川崎市最古!影向寺が指定文化財特別公開、木造薬師如来や十二神将など迫力
■武蔵小杉ライフ公式Youtubeチャンネル 飛鳥時代の復元倉庫を一般公開!国史跡「橘樹官衙遺跡群」
【関連リンク】
・影向寺 ウェブサイト
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