【Reporter:はつしも】
「多摩川を下る」シリーズの第2回です。
今回は、中原区と幸区の境界付近からの風景をご紹介したいと思います。
■中原区・幸区の境界と、武蔵小杉の高層ビル群
丸子橋から多摩川を下っていくと、前回ご紹介したガス橋を通過します。
ガス橋はまだ川崎市中原区ですが、ここから多摩川サイクリングロードを800mほど南下すると、下平間サッカー場を越えて幸区との境界に到達します。
ここから中原区方面を振り返ると、サイクリングロードの向こうに武蔵小杉の高層ビル群が綺麗に見えました。
■中原区と幸区の境界サイン
■中原区の花 パンジー
■幸区の花 ヤマブキ
中原区と幸区の境界には、こんなサインがありました。
中原区の花は、下小田中の名産である「パンジー」で、本サイトでも過去にご紹介してきました。
一方、幸区の花は「ヤマブキ」です。
これは2012年の区制40周年記念事業として、「区の木 ハナミズキ」とともに制定されたものです。
ここで少し、幸区と「ヤマブキ」の縁についてお話ししておきましょう。
幸区の夢見ヶ崎動物公園の台地「加瀬山」には、室町時代に太田道灌による築城計画がありました。
しかしながら道灌が「一羽の白い鷲に兜を掴まれて南西の地へ運ばれてしまった」という夢を見たために築城を取りやめてしまったという伝説があり、それがもとで「夢見ヶ崎」の名前が残っています。
■太田道灌の築城計画があったとされる加瀬山(夢見ヶ崎)
そして道灌には、「ヤマブキ」にまつわる下記のようなエピソードが言い伝えられています。
道中に突然の雨が降り、道灌はミノ(雨具)を借りようと山あいの民家を訪れました。
ところが家の娘はミノのかわりにヤマブキを差し出し、道灌は怒って帰ってしまいました。
その話を家臣にしたところ、家臣は「それはかつて兼明親王が詠んだ歌になぞらえたものではないか」と道灌に教えます。
「八重七重 花は咲けども山吹の みの一つだに なきぞ悲しき」(後拾遺和歌集 兼明親王)
貧しい家で、お貸しできるミノひとつさえ持ち合わせがないことを、和歌に掛けて奥ゆかしく伝えたのではないかというのです。
自分の教養が足りなかったことを恥じた道灌は、その後勉学に励むようになったといわれています。
「ヤマブキ」が幸区の花として制定された背景には、このような道灌の伝承があります。
制定されてからはまだ5年足らずですが、その後徐々に各地に植えられたりもしているのではないでしょうか。
■古市場小学校前の歩道橋
さて、多摩川サイクリングロードに戻りまして、中原区と幸区の境界から少し南下すると、古市場小学校前の歩道橋が見えてきます。
この歩道橋の上から、境界付近や周辺一帯の風景を見渡すことができます。
■歩道橋から見たサイクリングロードと、武蔵小杉の高層ビル群
上記写真を見ると、武蔵小杉の高層ビル群の前に、5本ほどの電線が横切っているのがわかります。
これは送電線で、多摩川を渡る形で、東京都と川崎市をつないでいます。
■多摩川を渡る送電線の鉄塔
河川敷のグラウンドから、送電鉄塔と武蔵小杉の高層ビル群をとらえることができました。
中原区では矢上川付近で送電鉄塔を見かけますが、多摩川を渡る送電線がここにあることを初めて知りました。
■歩道橋から見た新川崎の高層ビル群
歩道橋の上からは、新川崎の高層ビル群も見えました。
このほか多少建物に遮られますが、天候が良ければ富士山の姿も確認できます。
■歩道橋からのパノラマ画像
※クリックで拡大できます。
歩道橋からの風景を、パノラマ画像にしてみましたので、ご参照ください。
さきほどご紹介した多摩川を渡る送電線と、送電鉄塔の全景が確認できるほか、パノラマ画像の一番右側には、ガス橋に続く「多摩川大橋」の姿も見えます。
「多摩川を下る」連載は、次回はさらに南下して多摩川大橋方面へと向かっていきます。
【関連リンク】
・幸区ウェブサイト 幸区の横顔
・夢見ヶ崎動物公園 ウェブサイト
・2013/8/17エントリ 横須賀線に乗って、夢見ヶ崎動物公園へ
・2017/1/26エントリ 多摩川を下る(1):ガス橋を渡る、キヤノン本社への長い出勤行列
「多摩川を下る」シリーズの第2回です。
今回は、中原区と幸区の境界付近からの風景をご紹介したいと思います。
■中原区・幸区の境界と、武蔵小杉の高層ビル群
丸子橋から多摩川を下っていくと、前回ご紹介したガス橋を通過します。
ガス橋はまだ川崎市中原区ですが、ここから多摩川サイクリングロードを800mほど南下すると、下平間サッカー場を越えて幸区との境界に到達します。
ここから中原区方面を振り返ると、サイクリングロードの向こうに武蔵小杉の高層ビル群が綺麗に見えました。
■中原区と幸区の境界サイン
■中原区の花 パンジー
■幸区の花 ヤマブキ
中原区と幸区の境界には、こんなサインがありました。
中原区の花は、下小田中の名産である「パンジー」で、本サイトでも過去にご紹介してきました。
一方、幸区の花は「ヤマブキ」です。
これは2012年の区制40周年記念事業として、「区の木 ハナミズキ」とともに制定されたものです。
ここで少し、幸区と「ヤマブキ」の縁についてお話ししておきましょう。
幸区の夢見ヶ崎動物公園の台地「加瀬山」には、室町時代に太田道灌による築城計画がありました。
しかしながら道灌が「一羽の白い鷲に兜を掴まれて南西の地へ運ばれてしまった」という夢を見たために築城を取りやめてしまったという伝説があり、それがもとで「夢見ヶ崎」の名前が残っています。
■太田道灌の築城計画があったとされる加瀬山(夢見ヶ崎)
そして道灌には、「ヤマブキ」にまつわる下記のようなエピソードが言い伝えられています。
道中に突然の雨が降り、道灌はミノ(雨具)を借りようと山あいの民家を訪れました。
ところが家の娘はミノのかわりにヤマブキを差し出し、道灌は怒って帰ってしまいました。
その話を家臣にしたところ、家臣は「それはかつて兼明親王が詠んだ歌になぞらえたものではないか」と道灌に教えます。
「八重七重 花は咲けども山吹の みの一つだに なきぞ悲しき」(後拾遺和歌集 兼明親王)
貧しい家で、お貸しできるミノひとつさえ持ち合わせがないことを、和歌に掛けて奥ゆかしく伝えたのではないかというのです。
自分の教養が足りなかったことを恥じた道灌は、その後勉学に励むようになったといわれています。
「ヤマブキ」が幸区の花として制定された背景には、このような道灌の伝承があります。
制定されてからはまだ5年足らずですが、その後徐々に各地に植えられたりもしているのではないでしょうか。
■古市場小学校前の歩道橋
さて、多摩川サイクリングロードに戻りまして、中原区と幸区の境界から少し南下すると、古市場小学校前の歩道橋が見えてきます。
この歩道橋の上から、境界付近や周辺一帯の風景を見渡すことができます。
■歩道橋から見たサイクリングロードと、武蔵小杉の高層ビル群
上記写真を見ると、武蔵小杉の高層ビル群の前に、5本ほどの電線が横切っているのがわかります。
これは送電線で、多摩川を渡る形で、東京都と川崎市をつないでいます。
■多摩川を渡る送電線の鉄塔
河川敷のグラウンドから、送電鉄塔と武蔵小杉の高層ビル群をとらえることができました。
中原区では矢上川付近で送電鉄塔を見かけますが、多摩川を渡る送電線がここにあることを初めて知りました。
■歩道橋から見た新川崎の高層ビル群
歩道橋の上からは、新川崎の高層ビル群も見えました。
このほか多少建物に遮られますが、天候が良ければ富士山の姿も確認できます。
■歩道橋からのパノラマ画像
※クリックで拡大できます。
歩道橋からの風景を、パノラマ画像にしてみましたので、ご参照ください。
さきほどご紹介した多摩川を渡る送電線と、送電鉄塔の全景が確認できるほか、パノラマ画像の一番右側には、ガス橋に続く「多摩川大橋」の姿も見えます。
「多摩川を下る」連載は、次回はさらに南下して多摩川大橋方面へと向かっていきます。
【関連リンク】
・幸区ウェブサイト 幸区の横顔
・夢見ヶ崎動物公園 ウェブサイト
・2013/8/17エントリ 横須賀線に乗って、夢見ヶ崎動物公園へ
・2017/1/26エントリ 多摩川を下る(1):ガス橋を渡る、キヤノン本社への長い出勤行列