戦火に消えた、南武線の駅。玉川中学校・橘高校前の「武蔵中丸子駅」跡地探訪
【Reporer:はつしも】
南武線の向河原駅~平間駅間に、かつて「武蔵中丸子駅」がありました。
「南武線各駅開業88周年記念展示」の一部でも紹介されていた「武蔵中丸子駅」の跡地を、本エントリでは訪れてみました。
■「武蔵中丸子駅」のマップ
現在のJR南武線は、1927年に民営の「南武鉄道」として開業しました。
1927年3月9日に川崎駅~登戸駅間、矢向駅~川崎河岸駅間(貨物線)が開通し、今回ご紹介する「武蔵中丸子駅」が開業したのは同年8月11日です。
武蔵中丸子駅があったのは向河原駅と平間駅のちょうど中間で、現在は玉川中学校・橘高等学校の前にあたります。
■開業当時の武蔵中丸子駅(武蔵小杉駅開業88周年展示より)
武蔵中丸子駅の運命を変えたのは、戦争でした。
1945年4月15日、本土空襲により南武線の川崎駅-向河原駅間が不通になり、この際に武蔵中丸子駅・平間駅の駅舎が焼失したのです。4月19日に同区間が運転再開されたものの、両駅は休止したままの状態でした。
同年6月10日、武蔵中丸子駅は廃止となる一方、翌年5月1日に平間駅は営業を再開しました。
武蔵中丸子駅の地元では同駅の復活を求める運動も展開されましたが、駅間が短いこともあって実現には至りませんでした。
■中原区の空襲マップ
2013/2/16エントリでご紹介した「中原空襲展」の空襲マップを参照すると、武蔵中丸子駅(マップでは中丸子駅と表記)前の玉川中学校・橘高等学校はかつては日本電気(NEC)の工場だったことがわかります。
当時の空襲では中原区で多数稼動していた軍需工場が標的とされ、日本電気の工場も爆撃を受けたことが記録に残されています。
この爆撃の被害を受けて、武蔵中丸子駅は焼失したものと思われます。
■現在の武蔵中丸子駅跡地
■武蔵中丸子駅ホーム跡地
現在、武蔵中丸子駅の痕跡はほとんど見つけることができません。
しかしながら、線路と道路の間にホームが設置されていた名残のスペースが残されています。
■現地を行き交う南武線
当時は周囲に住民も少なかったのでしょうが、現在では都市化が進んでいます。
駅が残されていれば、それなりに利用する方もいたことでしょう。
■川崎市立玉川中学校
武蔵中丸子駅前には、現在は川崎市立玉川中学校があります。
「玉川」は「たまがわ」ではなく、「ぎょくせん」と読みます。
■川崎市立橘高等学校
玉川中学校の北側に隣接して、川崎市立橘高等学校があります。
旧制橘中学校からの歴史を有し、普通科に加えて国際科・スポーツ科が設置されています。
両校の敷地がかつては日本電気の工場で、空襲を受けたわけです。
■南武線東側の中丸子共栄会
玉川中学校・橘高等学校と南武線を挟んで反対側(東側)には、商店街「中丸子共栄会」があります。
ここがかつては、武蔵中丸子駅前の商店街だったのでしょう。
この商店街をまっすぐ南下していくと、「南武通り商店街」を経て南武線平間駅に到着します。
■南武線の踏切
この周辺は細かい路地がつながる住宅街で、何か所か南武線の踏切があります。
大小あるこれらの踏切も、将来的には連続立体交差事業によりなくなる予定です。
武蔵中原駅のホーム跡地として残された遊休スペースも、高架化の工事や完成後の高架下利用にあたっては、何らか活用されることになるのではないでしょうか。
【関連リンク】
(南武線各駅開業88周年関連)
2014/11/5エントリ JR南武線新型車両「E233系」乗車レポート
2015/5/7エントリ 南武線各駅開業88周年記念展示(1):「武蔵小杉駅」
2015/5/9エントリ 南武線各駅開業88周年記念展示(2):「武蔵中原駅」
2015/5/11エントリ 南武線各駅開業88周年記念展示(3):「向河原駅」
(向河原関連)
2010/10/11エントリ 向河原駅のNEC専用改札口
2010/1/2エントリ NEC玉川ルネッサンスシティの日電玉川稲荷神社
2010/8/14エントリ 向河原駅駐輪場のゴーヤー
2010/9/20エントリ NEC玉川ルネッサンスシティの「丸池」と噴水
2014/7/20エントリ JR南武線向河原駅前の踏切拡幅工事が完了し供用開始
(平間関連)
2011/7/16エントリ 「ガス橋」と平間の渡し
2014/11/21エントリ 下平間のバス停「住宅前」と、「武道館前」
南武線の向河原駅~平間駅間に、かつて「武蔵中丸子駅」がありました。
「南武線各駅開業88周年記念展示」の一部でも紹介されていた「武蔵中丸子駅」の跡地を、本エントリでは訪れてみました。
■「武蔵中丸子駅」のマップ
現在のJR南武線は、1927年に民営の「南武鉄道」として開業しました。
1927年3月9日に川崎駅~登戸駅間、矢向駅~川崎河岸駅間(貨物線)が開通し、今回ご紹介する「武蔵中丸子駅」が開業したのは同年8月11日です。
武蔵中丸子駅があったのは向河原駅と平間駅のちょうど中間で、現在は玉川中学校・橘高等学校の前にあたります。
■開業当時の武蔵中丸子駅(武蔵小杉駅開業88周年展示より)
武蔵中丸子駅の運命を変えたのは、戦争でした。
1945年4月15日、本土空襲により南武線の川崎駅-向河原駅間が不通になり、この際に武蔵中丸子駅・平間駅の駅舎が焼失したのです。4月19日に同区間が運転再開されたものの、両駅は休止したままの状態でした。
同年6月10日、武蔵中丸子駅は廃止となる一方、翌年5月1日に平間駅は営業を再開しました。
武蔵中丸子駅の地元では同駅の復活を求める運動も展開されましたが、駅間が短いこともあって実現には至りませんでした。
■中原区の空襲マップ
2013/2/16エントリでご紹介した「中原空襲展」の空襲マップを参照すると、武蔵中丸子駅(マップでは中丸子駅と表記)前の玉川中学校・橘高等学校はかつては日本電気(NEC)の工場だったことがわかります。
当時の空襲では中原区で多数稼動していた軍需工場が標的とされ、日本電気の工場も爆撃を受けたことが記録に残されています。
この爆撃の被害を受けて、武蔵中丸子駅は焼失したものと思われます。
■現在の武蔵中丸子駅跡地
■武蔵中丸子駅ホーム跡地
現在、武蔵中丸子駅の痕跡はほとんど見つけることができません。
しかしながら、線路と道路の間にホームが設置されていた名残のスペースが残されています。
■現地を行き交う南武線
当時は周囲に住民も少なかったのでしょうが、現在では都市化が進んでいます。
駅が残されていれば、それなりに利用する方もいたことでしょう。
■川崎市立玉川中学校
武蔵中丸子駅前には、現在は川崎市立玉川中学校があります。
「玉川」は「たまがわ」ではなく、「ぎょくせん」と読みます。
■川崎市立橘高等学校
玉川中学校の北側に隣接して、川崎市立橘高等学校があります。
旧制橘中学校からの歴史を有し、普通科に加えて国際科・スポーツ科が設置されています。
両校の敷地がかつては日本電気の工場で、空襲を受けたわけです。
■南武線東側の中丸子共栄会
玉川中学校・橘高等学校と南武線を挟んで反対側(東側)には、商店街「中丸子共栄会」があります。
ここがかつては、武蔵中丸子駅前の商店街だったのでしょう。
この商店街をまっすぐ南下していくと、「南武通り商店街」を経て南武線平間駅に到着します。
■南武線の踏切
この周辺は細かい路地がつながる住宅街で、何か所か南武線の踏切があります。
大小あるこれらの踏切も、将来的には連続立体交差事業によりなくなる予定です。
武蔵中原駅のホーム跡地として残された遊休スペースも、高架化の工事や完成後の高架下利用にあたっては、何らか活用されることになるのではないでしょうか。
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(南武線各駅開業88周年関連)
2014/11/5エントリ JR南武線新型車両「E233系」乗車レポート
2015/5/7エントリ 南武線各駅開業88周年記念展示(1):「武蔵小杉駅」
2015/5/9エントリ 南武線各駅開業88周年記念展示(2):「武蔵中原駅」
2015/5/11エントリ 南武線各駅開業88周年記念展示(3):「向河原駅」
(向河原関連)
2010/10/11エントリ 向河原駅のNEC専用改札口
2010/1/2エントリ NEC玉川ルネッサンスシティの日電玉川稲荷神社
2010/8/14エントリ 向河原駅駐輪場のゴーヤー
2010/9/20エントリ NEC玉川ルネッサンスシティの「丸池」と噴水
2014/7/20エントリ JR南武線向河原駅前の踏切拡幅工事が完了し供用開始
(平間関連)
2011/7/16エントリ 「ガス橋」と平間の渡し
2014/11/21エントリ 下平間のバス停「住宅前」と、「武道館前」