川崎歴史ガイド・中原街道ルート(番外編):神明神社と上小田中公園に残る、「くらやみ」の歴史
本サイトでは、2009年9月から6年半に及ぶ長期連載「川崎歴史ガイド・中原街道ルート」をシリーズでお届けしています。
財団法人川崎市文化財団の事業に、市内の歴史文化遺産の保存と紹介を目的とした「川崎歴史ガイド」があります。これは市内の歴史をたどる9つのルートを設定し、現地にガイドパネルを設置するほか、パンフレットを作成して当該地域の歴史を紹介するものです。
中原区においては、「中原街道」と「二ヶ領用水」がルートに設定されており、本連載では「中原街道ルート」の紹介を行っています。
この第16回では、「木月堀と『くらやみ』」をご紹介しました(2014/2/10エントリ参照)。
『くらやみ』とは、中原街道の旧名主家・原家のお屋敷の木々が立派で大きな影をつくっていることから、古くから同家のお屋敷がそのように呼ばれていたものです。
今回はこれに関連して、「神明神社」の歴史をご紹介したいと思います。
■神明神社
神明神社は、「くらやみ」のお屋敷からさらに北側に入っていった場所にあります。この神社は、原家とゆかりのある神社です。
■原家寄贈の石碑
神明神社の境内には、原家が寄贈した石碑が鎮座しています。ここに、神明神社と原家のかかわりについて説明がありました。
この石碑によると、神明神社の紀元2,600年記念にあたる1940年、氏子からの要望を受けて原家が所有する土地を明神社に寄贈されたそうです。
その時の敷地は、北側にある「上小田中公園」の敷地も含めたたいへん広いものでした。
その後1955年頃、境内に「神明会館」を建設するための費用を捻出するため、神明神社は北側の土地を川崎市に売却します。これが現在の「上小田中公園」になっているということです。
■神明会館
こちらが現在も境内にある「神明会館」です。築年数は経っていますが、中原区の神社の中でも、立派な会館ではないでしょうか。
神明会館は、地域の催しなどにも活用されているようです。
■上小田中公園
続いてこちらが神社北側にある「上小田中公園」です。
見通しが良く遊具が複数整備された、街区公園の中でも広めの公園です。
ここまでがかつては神明神社だったのですから、かなり広い神社だったことがわかります。
またその土地を寄贈した、旧名主家の力がうかがわれますね。
■石碑に刻まれた「くらやみ」の文字
寄贈された石碑には署名として「原 本家(くらやみ)」と刻まれていました。
「木月堀と『くらやみ』」において、原家のお屋敷が「くらやみ」と呼ばれていたことをご紹介しましたが、実際に地域に定着した呼び名であったことがわかります。
■神明神社の「八百八橋」
なお、この神明神社には「八百八橋」があります。
明確に案内等は何もないのですが、神社の塀の外側に並んでいるのが、「八百八橋」の石橋でしょう。
「八百八橋」とは、1772年から1781年にかけて上丸子で「ほしか屋」という肥料店を営んでいた野村文左衛門が私財を投じて中原街道沿いの各地に架けた石橋のことです。
野村文左衛門は「人々のために1,000の橋を架ける」という志によりこの事業を行い、その功績を讃えて「八百八橋」と呼ばれるようになりました。
詳細については、「川崎歴史ガイド・中原街道ルート」の第4回「明治の醤油づくりと八百八橋」(2009/11/29エントリ)をご参照くださいね。
「八百八橋」は、いくつかの神社のほか武蔵小杉駅北口、中原区役所など、現在も中原区に複数残されていますので、今後もご紹介する予定です。
神明神社をめぐる歴史については、以上です。
また次回は、「川崎歴史ガイド・中原街道ルート」の本編に戻りたいと思います。
■中原区役所に移設・保存された八百八橋
■神明神社のマップ
【関連リンク】
(川崎歴史ガイド・中原街道ルート連載)
・2009/9/23エントリ (1):「丸子の渡し」
・2009/10/6エントリ (2):「旧原家母屋跡地」
・2009/11/9エントリ (3):「旧名主家と長屋門」
・2009/11/29エントリ (4):「明治の醤油作りと八百八橋」
・2009/12/21エントリ (番外編):「武蔵小杉駅の八百八橋」
・2010/2/9エントリ (番外編):「丸子の渡しガイドパネル入札不調」
・2010/2/14エントリ (5):「小杉御殿と『カギ』の道」
・2010/3/30エントリ (6):「小杉御殿の御主殿跡」
・2010/5/23エントリ (番外編)「中原区役所の八百八橋」
・2010/6/28エントリ (7):「小杉陣屋と次大夫」
・2010/7/19エントリ (8):「御蔵稲荷と多摩川」
・2010/8/19エントリ (9):「西明寺と小杉学舎」
・2010/11/12エントリ (10):「小杉駅と供養塔」
・2011/2/11エントリ (11):「庚申塔と大師道」
・2011/3/27エントリ (12):「小杉十字路」
・2011/4/7エントリ (番外編):「中原区役所の八百八橋」リニューアル
・2011/5/3エントリ (番外編):「中原区役所の八百八橋」看板設置と
石橋ベンチ
・2011/7/9エントリ (13):「二ヶ領用水と神地橋」
・2011/9/4エントリ (14):「泉沢寺と門前市」
・2012/12/1エントリ 「安藤家長屋門」が川崎市指定文化財に、本日12月1日(日)に一般開放
・2013/2/9エントリ 「安藤家長屋門 川崎市重要歴史記念物記念イベント」が2013年3月14日(木)、30日(土)開催
・2013/2/12エントリ 川崎市重要歴史記念物「安藤家長屋門」一般公開レポート
・2013/8/16エントリ (15):「旧中原村役場跡」
・2014/2/10エントリ (16):「木月堀と『くらやみ』」
・2015/12/20エントリ (番外編):旧原家母屋跡地「GATE SQUARE小杉御殿町」の歴史展示
財団法人川崎市文化財団の事業に、市内の歴史文化遺産の保存と紹介を目的とした「川崎歴史ガイド」があります。これは市内の歴史をたどる9つのルートを設定し、現地にガイドパネルを設置するほか、パンフレットを作成して当該地域の歴史を紹介するものです。
中原区においては、「中原街道」と「二ヶ領用水」がルートに設定されており、本連載では「中原街道ルート」の紹介を行っています。
この第16回では、「木月堀と『くらやみ』」をご紹介しました(2014/2/10エントリ参照)。
『くらやみ』とは、中原街道の旧名主家・原家のお屋敷の木々が立派で大きな影をつくっていることから、古くから同家のお屋敷がそのように呼ばれていたものです。
今回はこれに関連して、「神明神社」の歴史をご紹介したいと思います。
■神明神社
神明神社は、「くらやみ」のお屋敷からさらに北側に入っていった場所にあります。この神社は、原家とゆかりのある神社です。
■原家寄贈の石碑
神明神社の境内には、原家が寄贈した石碑が鎮座しています。ここに、神明神社と原家のかかわりについて説明がありました。
この石碑によると、神明神社の紀元2,600年記念にあたる1940年、氏子からの要望を受けて原家が所有する土地を明神社に寄贈されたそうです。
その時の敷地は、北側にある「上小田中公園」の敷地も含めたたいへん広いものでした。
その後1955年頃、境内に「神明会館」を建設するための費用を捻出するため、神明神社は北側の土地を川崎市に売却します。これが現在の「上小田中公園」になっているということです。
■神明会館
こちらが現在も境内にある「神明会館」です。築年数は経っていますが、中原区の神社の中でも、立派な会館ではないでしょうか。
神明会館は、地域の催しなどにも活用されているようです。
■上小田中公園
続いてこちらが神社北側にある「上小田中公園」です。
見通しが良く遊具が複数整備された、街区公園の中でも広めの公園です。
ここまでがかつては神明神社だったのですから、かなり広い神社だったことがわかります。
またその土地を寄贈した、旧名主家の力がうかがわれますね。
■石碑に刻まれた「くらやみ」の文字
寄贈された石碑には署名として「原 本家(くらやみ)」と刻まれていました。
「木月堀と『くらやみ』」において、原家のお屋敷が「くらやみ」と呼ばれていたことをご紹介しましたが、実際に地域に定着した呼び名であったことがわかります。
■神明神社の「八百八橋」
なお、この神明神社には「八百八橋」があります。
明確に案内等は何もないのですが、神社の塀の外側に並んでいるのが、「八百八橋」の石橋でしょう。
「八百八橋」とは、1772年から1781年にかけて上丸子で「ほしか屋」という肥料店を営んでいた野村文左衛門が私財を投じて中原街道沿いの各地に架けた石橋のことです。
野村文左衛門は「人々のために1,000の橋を架ける」という志によりこの事業を行い、その功績を讃えて「八百八橋」と呼ばれるようになりました。
詳細については、「川崎歴史ガイド・中原街道ルート」の第4回「明治の醤油づくりと八百八橋」(2009/11/29エントリ)をご参照くださいね。
「八百八橋」は、いくつかの神社のほか武蔵小杉駅北口、中原区役所など、現在も中原区に複数残されていますので、今後もご紹介する予定です。
神明神社をめぐる歴史については、以上です。
また次回は、「川崎歴史ガイド・中原街道ルート」の本編に戻りたいと思います。
■中原区役所に移設・保存された八百八橋
■神明神社のマップ
【関連リンク】
(川崎歴史ガイド・中原街道ルート連載)
・2009/9/23エントリ (1):「丸子の渡し」
・2009/10/6エントリ (2):「旧原家母屋跡地」
・2009/11/9エントリ (3):「旧名主家と長屋門」
・2009/11/29エントリ (4):「明治の醤油作りと八百八橋」
・2009/12/21エントリ (番外編):「武蔵小杉駅の八百八橋」
・2010/2/9エントリ (番外編):「丸子の渡しガイドパネル入札不調」
・2010/2/14エントリ (5):「小杉御殿と『カギ』の道」
・2010/3/30エントリ (6):「小杉御殿の御主殿跡」
・2010/5/23エントリ (番外編)「中原区役所の八百八橋」
・2010/6/28エントリ (7):「小杉陣屋と次大夫」
・2010/7/19エントリ (8):「御蔵稲荷と多摩川」
・2010/8/19エントリ (9):「西明寺と小杉学舎」
・2010/11/12エントリ (10):「小杉駅と供養塔」
・2011/2/11エントリ (11):「庚申塔と大師道」
・2011/3/27エントリ (12):「小杉十字路」
・2011/4/7エントリ (番外編):「中原区役所の八百八橋」リニューアル
・2011/5/3エントリ (番外編):「中原区役所の八百八橋」看板設置と
石橋ベンチ
・2011/7/9エントリ (13):「二ヶ領用水と神地橋」
・2011/9/4エントリ (14):「泉沢寺と門前市」
・2012/12/1エントリ 「安藤家長屋門」が川崎市指定文化財に、本日12月1日(日)に一般開放
・2013/2/9エントリ 「安藤家長屋門 川崎市重要歴史記念物記念イベント」が2013年3月14日(木)、30日(土)開催
・2013/2/12エントリ 川崎市重要歴史記念物「安藤家長屋門」一般公開レポート
・2013/8/16エントリ (15):「旧中原村役場跡」
・2014/2/10エントリ (16):「木月堀と『くらやみ』」
・2015/12/20エントリ (番外編):旧原家母屋跡地「GATE SQUARE小杉御殿町」の歴史展示