多摩川の「下野毛の渡し」記念碑と、下野毛商店街をめぐる
【Reorter:はつしも】
2015年のエントリにおいて、「キヤノン玉川事業所直行バス」で行く「高津区下野毛」の工場街レポートをご紹介しました。
今回はその続編として、かつて対岸の「世田谷区上野毛」との交通手段であった「下野毛の渡し」の記念碑などを訪れてみました。
■多摩沿線道路の「下野毛」交差点
「下野毛の渡し」は、多摩沿線道路の「下野毛」交差点から多摩川の土手にのぼったところにあります。
下野毛の町工場街は道が入り組んでいますので、武蔵小杉から行く場合は、土手のサイクリングロードを第三京浜方面にまっすぐ進んでいくのが一番わかりやすいでしょう。
■「下野毛の渡し」
土手にのぼると、サイクリングロードの脇に「下野毛の渡し」の記念碑がありました。
このあたりが「下野毛の渡し」が行き来をしていた場所です。
多摩川の流域には、これまでにもご紹介してきた「丸子」「沼部」「等々力」など、両岸に共通する地名があります。
これは「あばれ川」と呼ばれた多摩川が氾濫するたびに流れがかわり、従来は一体だった土地が対岸に取り残されたことなどによって生じたものです。
「野毛」も江戸時代初期に氾濫によって「世田谷区上野毛」「高津区下野毛」に分かれてしまい、耕作のために対岸に渡る農民や、江戸との交通手段として「下野毛の渡し」ができたわけです。
そのようなわけで、「下野毛の渡し」というのは川崎市側から見た呼び名で、世田谷区のウェブサイトなどでは「野毛(多摩川)の渡し」などと記載されています。
■記念碑の説明文
「下野毛の渡し」の記念碑には、このような歴史の一部が簡単に説明されています。
多摩川では近代にいたるまで橋が架けられず、二子橋が1925年(大正14年)、丸子橋が1934年(昭和9年)、新二子橋が1978(昭和53年)にそれぞれ完成しました。
「丸子の渡し」はすぐそばに丸子橋ができたために橋の完成と同時に渡し船も廃止されたのですが、「下野毛の渡し」については丸子橋・二子橋ともに距離があるために1955年(昭和30年)まで存続していたということです。
なお、すでにお伝えしている通り、長い区間にわたって橋がない丸子橋と二子橋の間の交通事情を改善するため、目黒通りと接続される「(仮称)等々力大橋」が、この付近に建設される予定です。
長い年月を経て、「下野毛の渡し」が、ついに現代の橋として生まれ変わるといえるかもしれません。
■「丸子の渡し」の記念碑
■「平間の渡し」の記念碑
ところで、今回ご紹介した「下野毛の渡し」の記念碑は、「丸子の渡し」や「平間の渡し」と共通のデザインによるものですね。
この記念碑はNPO法人多摩川エコミュージアムと川崎市によるもので、2008年3月に「羽田の渡し」「大師の渡し」「丸子の渡し」「下野毛の渡し」「宇奈根の渡し」「堰の渡し」「登戸の渡し」の7か所から設置がスタートしました。
渡し船の発着場所は上記だけではなく、この中には「平間の渡し」などが入っていません。このあと、順次各所に記念碑の設置が進められていったようです。
多摩川に橋が架けられるのに伴って、これらの渡し船も順次廃止になっていきました。
■年に一度復活する「丸子の渡し」
2016/10/30エントリでご紹介した通り、「丸子の渡し」の場所では、年に一度渡し船を復活させる「丸子の渡し祭り」を開催しています。
そのようなイベントを開催しているところは、ほかにはあまりないようです。
さて、「下野毛の渡し」に戻りまして、周辺の様子も見ていきましょう。
■「下野毛の渡し」から見る二子玉川方面
「下野毛の渡し」からは、遠く二子玉川ライズのタワーマンション群をのぞむことができます。
手前に見える道路は、第三京浜です。
■二子玉川公園から見た武蔵小杉方面
2015/7/15エントリでは、逆に二子玉川公園から見た武蔵小杉方面をご紹介しておりました。
今回の「下野毛の渡し」は、上記写真では第三京浜の陰に隠れているあたりですね。
■近くの「下野毛商店街」
せっかくここまで来ましたので、帰り道は先ほどの「下野毛交差点」から下野毛の街中を歩いていきましょう。
交差点から府中街道方面に向かって、「下野毛商店街」がありました。
「下野毛」は町工場だけでなく、住宅・工業混合の準工業地帯として発展してきました。
近年は工場跡地が住宅にかわっていくケースが多い一方、このような昔ながらの商店街も残されています。
■コンビニエンスストア「アイマート」
■「アイマート」の地域イベントの掲示
こちらはコンビニエンスストア「アイマート」です。 セブンイレブンなどの大手ではないローカルコンビニを見かけると、何となくほっこりするのは私だけでしょうか。
店頭には町内会の餅つき大会の告知が掲示されるなど、地域色が出ています。
■「いんさつ和光」のお地蔵さん
印刷店舗「いんさつ和光」の店先には、お地蔵さんが立っていました。
■地域の工務店
■公園の朝体操
商店街の中には、地域の工務店の事務所などもありました。
また近くの公園では、毎週日曜日朝に体操が行われているようです。
「下野毛商店街」は最寄りの駅といえるものがなく、また賑わいのある幹線道路などにも面していないことから決して栄えている商店街というわけではないのですが、何となく「昭和の香り」がして、ほっとするものがありました。
かつてはこの一帯は農地で、「下野毛の渡し」で上野毛側と行き来をしていたのでしょう。
そんな歴史を感じつつ、下野毛の商店街をひとり散策してみました。
【関連リンク】
(中原区宮内・高津区下野毛関連)
・2008/12/8エントリ 宮内新横浜線と多摩川新橋
・2015/5/16エントリ 「川崎ものづくりフェアin等々力」のメタルパッチワークアートと、段ボールパーク
・2015/5/31エントリ 武蔵小杉駅東口に新設「キヤノン玉川事業所直行バス」で行く、下野毛の工場街(前編)
・2015/6/1エントリ 武蔵小杉駅東口に新設「キヤノン玉川事業所直行バス」で行く、下野毛の工場街(後編)
・2015/8/13エントリ 準工業地帯の、企業と地域のかかわり。「クノール納涼盆踊り大会」開催レポート
・2015/9/11エントリ 「デスノート」「ドS刑事」などロケの定番、宮内の「廃工場スタジオ」
(丸子の渡し・平間の渡し関連)
・2009/9/23エントリ 川崎歴史ガイド・中原街道ルート(1):「丸子の渡し」
・2011/7/16エントリ 「ガス橋」と平間の渡し
・2016/10/30エントリ 「第3回 丸子の渡し祭り」開催レポート:渡し船は1時間40分待ちの盛況、大田区発祥「揚げパンマン」登場
(二子玉川関連)
・2011/4/27エントリ 東急線に乗って、二子玉川ライズへ
・2015/7/15エントリ 二子玉川ライズ・第2期の目玉「蔦屋家電」と、「二子玉川公園」から見える武蔵小杉
・2015/9/5エントリ 武蔵小杉・二子玉川を結ぶ「玉11系統 FUTAKOSU BUS」本日運行開始、武蔵小杉目線で巡る乗車レポート
2015年のエントリにおいて、「キヤノン玉川事業所直行バス」で行く「高津区下野毛」の工場街レポートをご紹介しました。
今回はその続編として、かつて対岸の「世田谷区上野毛」との交通手段であった「下野毛の渡し」の記念碑などを訪れてみました。
■多摩沿線道路の「下野毛」交差点
「下野毛の渡し」は、多摩沿線道路の「下野毛」交差点から多摩川の土手にのぼったところにあります。
下野毛の町工場街は道が入り組んでいますので、武蔵小杉から行く場合は、土手のサイクリングロードを第三京浜方面にまっすぐ進んでいくのが一番わかりやすいでしょう。
■「下野毛の渡し」
土手にのぼると、サイクリングロードの脇に「下野毛の渡し」の記念碑がありました。
このあたりが「下野毛の渡し」が行き来をしていた場所です。
多摩川の流域には、これまでにもご紹介してきた「丸子」「沼部」「等々力」など、両岸に共通する地名があります。
これは「あばれ川」と呼ばれた多摩川が氾濫するたびに流れがかわり、従来は一体だった土地が対岸に取り残されたことなどによって生じたものです。
「野毛」も江戸時代初期に氾濫によって「世田谷区上野毛」「高津区下野毛」に分かれてしまい、耕作のために対岸に渡る農民や、江戸との交通手段として「下野毛の渡し」ができたわけです。
そのようなわけで、「下野毛の渡し」というのは川崎市側から見た呼び名で、世田谷区のウェブサイトなどでは「野毛(多摩川)の渡し」などと記載されています。
■記念碑の説明文
「下野毛の渡し」の記念碑には、このような歴史の一部が簡単に説明されています。
多摩川では近代にいたるまで橋が架けられず、二子橋が1925年(大正14年)、丸子橋が1934年(昭和9年)、新二子橋が1978(昭和53年)にそれぞれ完成しました。
「丸子の渡し」はすぐそばに丸子橋ができたために橋の完成と同時に渡し船も廃止されたのですが、「下野毛の渡し」については丸子橋・二子橋ともに距離があるために1955年(昭和30年)まで存続していたということです。
なお、すでにお伝えしている通り、長い区間にわたって橋がない丸子橋と二子橋の間の交通事情を改善するため、目黒通りと接続される「(仮称)等々力大橋」が、この付近に建設される予定です。
長い年月を経て、「下野毛の渡し」が、ついに現代の橋として生まれ変わるといえるかもしれません。
■「丸子の渡し」の記念碑
■「平間の渡し」の記念碑
ところで、今回ご紹介した「下野毛の渡し」の記念碑は、「丸子の渡し」や「平間の渡し」と共通のデザインによるものですね。
この記念碑はNPO法人多摩川エコミュージアムと川崎市によるもので、2008年3月に「羽田の渡し」「大師の渡し」「丸子の渡し」「下野毛の渡し」「宇奈根の渡し」「堰の渡し」「登戸の渡し」の7か所から設置がスタートしました。
渡し船の発着場所は上記だけではなく、この中には「平間の渡し」などが入っていません。このあと、順次各所に記念碑の設置が進められていったようです。
多摩川に橋が架けられるのに伴って、これらの渡し船も順次廃止になっていきました。
■年に一度復活する「丸子の渡し」
2016/10/30エントリでご紹介した通り、「丸子の渡し」の場所では、年に一度渡し船を復活させる「丸子の渡し祭り」を開催しています。
そのようなイベントを開催しているところは、ほかにはあまりないようです。
さて、「下野毛の渡し」に戻りまして、周辺の様子も見ていきましょう。
■「下野毛の渡し」から見る二子玉川方面
「下野毛の渡し」からは、遠く二子玉川ライズのタワーマンション群をのぞむことができます。
手前に見える道路は、第三京浜です。
■二子玉川公園から見た武蔵小杉方面
2015/7/15エントリでは、逆に二子玉川公園から見た武蔵小杉方面をご紹介しておりました。
今回の「下野毛の渡し」は、上記写真では第三京浜の陰に隠れているあたりですね。
■近くの「下野毛商店街」
せっかくここまで来ましたので、帰り道は先ほどの「下野毛交差点」から下野毛の街中を歩いていきましょう。
交差点から府中街道方面に向かって、「下野毛商店街」がありました。
「下野毛」は町工場だけでなく、住宅・工業混合の準工業地帯として発展してきました。
近年は工場跡地が住宅にかわっていくケースが多い一方、このような昔ながらの商店街も残されています。
■コンビニエンスストア「アイマート」
■「アイマート」の地域イベントの掲示
こちらはコンビニエンスストア「アイマート」です。 セブンイレブンなどの大手ではないローカルコンビニを見かけると、何となくほっこりするのは私だけでしょうか。
店頭には町内会の餅つき大会の告知が掲示されるなど、地域色が出ています。
■「いんさつ和光」のお地蔵さん
印刷店舗「いんさつ和光」の店先には、お地蔵さんが立っていました。
■地域の工務店
■公園の朝体操
商店街の中には、地域の工務店の事務所などもありました。
また近くの公園では、毎週日曜日朝に体操が行われているようです。
「下野毛商店街」は最寄りの駅といえるものがなく、また賑わいのある幹線道路などにも面していないことから決して栄えている商店街というわけではないのですが、何となく「昭和の香り」がして、ほっとするものがありました。
かつてはこの一帯は農地で、「下野毛の渡し」で上野毛側と行き来をしていたのでしょう。
そんな歴史を感じつつ、下野毛の商店街をひとり散策してみました。
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・2008/12/8エントリ 宮内新横浜線と多摩川新橋
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・2015/6/1エントリ 武蔵小杉駅東口に新設「キヤノン玉川事業所直行バス」で行く、下野毛の工場街(後編)
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(丸子の渡し・平間の渡し関連)
・2009/9/23エントリ 川崎歴史ガイド・中原街道ルート(1):「丸子の渡し」
・2011/7/16エントリ 「ガス橋」と平間の渡し
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・2011/4/27エントリ 東急線に乗って、二子玉川ライズへ
・2015/7/15エントリ 二子玉川ライズ・第2期の目玉「蔦屋家電」と、「二子玉川公園」から見える武蔵小杉
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