下小田中にある、別世界への入口。川崎市重要歴史記念物が安置される「全龍寺」
【Reporter:はつしも】
本サイトが審査員をつとめる「第9回なかはらフォトコンテスト」において、下小田中の「全龍寺」を撮影した作品が優秀作品に選ばれ、2019/4/25エントリにおいてご紹介しました。
本サイトではこれまでに訪れたことがない場所でしたので、一度ご紹介しておきたいと思います。
■全龍寺の入口
「全龍寺」は、室町時代後期に開かれた「常泉寺」が前身とされ、同時代作の「十一面観音菩薩坐像」を本尊とする曹洞宗の寺院です。
下小田中を横断する2車線道路に入口があるのですが、間口が狭いためにこの奥に一定規模の寺院があることに気づきにくいかもしれません。
■全龍寺の参道
全龍寺の参道は、手入れの行き届いた植栽や、立ち並ぶ石像の間をまっすぐ続いています。
なんとなく、奥に進んでいくほどに俗世を離れていくような気持になります。
■全龍寺の門
そして奥には、全龍寺の門がありました。
この門は上に部屋がついている立派なもので、周辺を彩るモミジなどの植物も見事です。
「第9回なかはらフォトコンテスト」で撮影された写真は秋の紅葉をとらえたものですが、5月の陽光に照らされた木々も美しかったです。
■門の左右に立つ仁王様
門の左右には、仁王様(金剛力士像)が立っていました。
これは西明寺などと同じで、仏閣でよくみられる構成です。
口が開いているのが阿形(あぎょう)像、口を結んでいるのが吽形(うんぎょう)像で、門で仏敵を退散させる役割を果たしています。
■般若心経のくるま
門をくぐると、般若心経が刻まれたくるまがありました。
神社と仏閣の違いはありますが、以前「多摩川浅間神社」に、全龍寺のものと形状がほぼ同じくるまが設置されたことをご紹介しておりました。
多摩川浅間神社のくるまは、罪と汚れを祓う祝詞(のりと)が刻まれていまして、くるまを回すことで祝詞を唱えるのと同じ効果が得られるというものでした。
同じような考え方で、全龍寺のくるまは、回すことで般若心経を唱えることになるのでしょうかね。
■全龍寺の本堂
■「川崎市の文化財」の説明
全龍寺の本堂の奥にはまた別のお堂がありまして、江戸時代に下小田中の一部を知行(所領として支配)していた旗本・小林正利(1635-1711)の石像が安置されています。
これは川崎市重要歴史記念物に指定されていまして、境内に説明の看板が立てられていました。
自由に拝観などはできないため、本エントリでその姿をお伝えはでいませんが、川崎市教育委員会の解説によると、像は、風折烏帽子をかぶり、紋付の直垂(ひたたれ)をまとった武士の俗体姿で、一石から彫り出されたのちに彩色が施されているということです。
また、着衣にあしらわれた6個の家紋には金彩が使われるなど、非常にクオリティの高い作品とされています。
石像の刻銘からは、宝永5年(1708年)8月、江戸の石工船戸屋八郎が制作した小林正利74歳の時の寿像(存命中につくられる彫刻や肖像画)であることが確認できます。
石造による寿像は珍しく、また小林正利が徳川家綱に仕え武蔵国多摩・橘樹両郡450石を領していた地域ゆかりの旗本である点なども評価され、川崎市重要歴史記念物とされているものです。
詳細については、関連リンクの川崎市教育委員会のウェブサイトをご参照ください。
小さいですが石像の写真も掲載されています。
■境内にあった布袋様
今回のようにふとしたきっかけで、地域の歴史に触れることがあります。
また秋の紅葉の頃、全龍寺の門を訪れてみようと思います。
■全龍寺のマップ
【関連リンク】
・武蔵小杉ライフ:生活情報:神社・仏閣
・川崎市教育委員会 かわさきの文化財 全龍寺
・2018/1/3エントリ 丸子橋そばの、初詣・安産祈願・厄除けスポット。「多摩川浅間神社」の「大祓詞」のくるまを回して、境内から富士山と武蔵小杉をのぞむ
・2019/4/25エントリ 中原区の魅力を発見。「第9回なかはらフォトコンテスト」最優秀作品1点、優秀・入選作品10点をご紹介
本サイトが審査員をつとめる「第9回なかはらフォトコンテスト」において、下小田中の「全龍寺」を撮影した作品が優秀作品に選ばれ、2019/4/25エントリにおいてご紹介しました。
本サイトではこれまでに訪れたことがない場所でしたので、一度ご紹介しておきたいと思います。
■全龍寺の入口
「全龍寺」は、室町時代後期に開かれた「常泉寺」が前身とされ、同時代作の「十一面観音菩薩坐像」を本尊とする曹洞宗の寺院です。
下小田中を横断する2車線道路に入口があるのですが、間口が狭いためにこの奥に一定規模の寺院があることに気づきにくいかもしれません。
■全龍寺の参道
全龍寺の参道は、手入れの行き届いた植栽や、立ち並ぶ石像の間をまっすぐ続いています。
なんとなく、奥に進んでいくほどに俗世を離れていくような気持になります。
■全龍寺の門
そして奥には、全龍寺の門がありました。
この門は上に部屋がついている立派なもので、周辺を彩るモミジなどの植物も見事です。
「第9回なかはらフォトコンテスト」で撮影された写真は秋の紅葉をとらえたものですが、5月の陽光に照らされた木々も美しかったです。
■門の左右に立つ仁王様
門の左右には、仁王様(金剛力士像)が立っていました。
これは西明寺などと同じで、仏閣でよくみられる構成です。
口が開いているのが阿形(あぎょう)像、口を結んでいるのが吽形(うんぎょう)像で、門で仏敵を退散させる役割を果たしています。
■般若心経のくるま
門をくぐると、般若心経が刻まれたくるまがありました。
神社と仏閣の違いはありますが、以前「多摩川浅間神社」に、全龍寺のものと形状がほぼ同じくるまが設置されたことをご紹介しておりました。
多摩川浅間神社のくるまは、罪と汚れを祓う祝詞(のりと)が刻まれていまして、くるまを回すことで祝詞を唱えるのと同じ効果が得られるというものでした。
同じような考え方で、全龍寺のくるまは、回すことで般若心経を唱えることになるのでしょうかね。
■全龍寺の本堂
■「川崎市の文化財」の説明
全龍寺の本堂の奥にはまた別のお堂がありまして、江戸時代に下小田中の一部を知行(所領として支配)していた旗本・小林正利(1635-1711)の石像が安置されています。
これは川崎市重要歴史記念物に指定されていまして、境内に説明の看板が立てられていました。
自由に拝観などはできないため、本エントリでその姿をお伝えはでいませんが、川崎市教育委員会の解説によると、像は、風折烏帽子をかぶり、紋付の直垂(ひたたれ)をまとった武士の俗体姿で、一石から彫り出されたのちに彩色が施されているということです。
また、着衣にあしらわれた6個の家紋には金彩が使われるなど、非常にクオリティの高い作品とされています。
石像の刻銘からは、宝永5年(1708年)8月、江戸の石工船戸屋八郎が制作した小林正利74歳の時の寿像(存命中につくられる彫刻や肖像画)であることが確認できます。
石造による寿像は珍しく、また小林正利が徳川家綱に仕え武蔵国多摩・橘樹両郡450石を領していた地域ゆかりの旗本である点なども評価され、川崎市重要歴史記念物とされているものです。
詳細については、関連リンクの川崎市教育委員会のウェブサイトをご参照ください。
小さいですが石像の写真も掲載されています。
■境内にあった布袋様
今回のようにふとしたきっかけで、地域の歴史に触れることがあります。
また秋の紅葉の頃、全龍寺の門を訪れてみようと思います。
■全龍寺のマップ
【関連リンク】
・武蔵小杉ライフ:生活情報:神社・仏閣
・川崎市教育委員会 かわさきの文化財 全龍寺
・2018/1/3エントリ 丸子橋そばの、初詣・安産祈願・厄除けスポット。「多摩川浅間神社」の「大祓詞」のくるまを回して、境内から富士山と武蔵小杉をのぞむ
・2019/4/25エントリ 中原区の魅力を発見。「第9回なかはらフォトコンテスト」最優秀作品1点、優秀・入選作品10点をご紹介