中原街道のカギ道(前編):小杉御殿と西明寺
中原区の幹線道路である中原街道の小杉御殿町・小杉陣屋町の境に、
一部道路が不自然にクランクになっている部分があります。
■中原街道のクランク(地図)
■中原街道のクランク(写真)
これは丸子橋側から撮影したもので、道路右側が小杉御殿町1丁目、
左側が小杉陣屋町2丁目にあたります。丸子橋方面から来ると、一旦
左折した後、すぐに右折をするクランク(カギ道)状になっています。
この由来は江戸時代初期にさかのぼります。
初代将軍徳川家康は「鷹狩り」を好んだことからいくつか宿泊所
(御殿)を作らせていますが、そのひとつ「小杉御殿」がこの付近に
ありました。
現在の「小杉御殿町」という地名はそれに由来するものです。
家康が別荘としての「殿舎」を築き、慶長9年(1604)年頃から利用
されていたようです。その後秀忠の代を経て、家光が「御殿」と
して完成させました。
家光の代には、まだ東海道が未整備であったことから、西国大名の
参勤交代の休憩場としても利用されていたものです。
しかし寛永元年(1624年)に東海道が整備されると中原街道の往来
は減少し、小杉御殿は万治3年(1660年)に廃止されました。
そこで中原街道のクランク(カギ道)の話に戻りますと、
これは将軍をはじめとする要人が宿泊するために、容易に攻め込ま
れないよう、守りを固めるためにあえて周辺の道をカギ状にしたもの
で、それが現在の道路にも残っているのだそうです。
城下町のお城周辺の道などによくみられる構造ですね。
小杉御殿は現在の中原小学校、西明寺の一帯だったようですが、
遺構は全く残っておらず、石碑が立ててあるのみです。
西明寺は、小杉御殿の建設とほぼ同時期に有馬村(現在の神奈川県
高座郡)から現在地に移された寺院で、徳川家康が鷹狩りの休憩に
滞在したと伝えられています。小杉御殿の一部ともいえる存在だった
のではないでしょうか。
こういった経緯から、西明寺は小杉御殿、徳川家とゆかりの深い寺院
として現在も残っています。
■西明寺の参道
ちょうど中原街道のクランクの曲がり角から西明寺の長い参道が
続いています。写真には写っていませんが、この参道の入口に
「徳川将軍小杉御殿跡」の石碑が建てられています。
■西明寺の正門と仁王像
参道を進むと、正門とその両脇に立つ仁王像を見ることができます。
■西明寺の境内
境内は広く、植木などもきれいに整えられた立派なものです。中原
街道から長い参道を通って住宅地の中に入っているため静かで、
街なかにいることを思わず忘れてしまう雰囲気があります。
なお、西明寺は川崎中原七福神に数えられ、大黒天がまつられて
います。七福神めぐりでお参りされる方も多いようですね。
■川崎市観光協会連合会 七福神めぐり
http://www.k-kankou.jp/shichifukujin/text.html
地理的な面から見ると、この西明寺と、同じく付近にある泉澤寺が
小杉御殿を守護するかたちであったようです。自然の要害である
多摩川、カギ道、寺院など、いろいろな要因で守りを固めていたわけ
ですね。
中原街道のカギ道の付近は、小杉御殿町という地名と西明寺に、
かすかに歴史の名残りを感じさせる場所になっています。
前編はここまでで、カギ道の成り立ちと西明寺についてご紹介しま
した。少々長くなりましたので、後編に続きます。
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