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2021年
02月11日

宮内自治会がWeb連携案内板「宮内歴史ガイド」で地域の歴史を紹介、黄金の太刀の伝説残る「黄金塚」を探訪

【Reporter:はつしも】

中原区宮内の町工場街に、「黄金塚」というバス停があるのが、以前から気になっていました。

そんな中、宮内地区の歴史を伝える「宮内歴史ガイド委員会」が2019年に発足し、ウェブサイト「宮内歴史ガイド」を開設するとともに、現在までに各所の史跡等に案内板を設置してきました。

この「黄金塚」についても、史跡のひとつとして案内板が設置され、その由来を知ることができました。

■「黄金塚」のバス停
黄金塚のバス停

「黄金塚」のバス停

こちらが、宮内一丁目にある「黄金塚」バス停です。

2015年に「高津区下野毛」の準工業地帯を取材した際に通りかかり、有難げな、何か特徴的な由来がありそうな名前が非常に気になっていました。

■「黄金塚」の石碑
「黄金塚」の石碑

黄金塚の石碑

バス停の近くには、かねてから「黄金塚」の石碑がありました。
ただご覧の通り、ここには由来の説明などはありませんでした。

■設置されたガイド
設置されたガイド

黄金塚のガイド

そして今回、石碑のそばに設置されたのが、こちらのガイドです。
中ほどに史跡についての案内と、QRコードが記載されています。

■「黄金塚」の由来
黄金塚の説明

このガイドでは由来がコンパクトに説明されています。
さらにQRコードを読み取ると、「宮内歴史ガイド」のウェブサイトにアクセスでき、より詳細な説明や資料画像を見ることができます。

「宮内歴史ガイド」によると、黄金塚には、鎌倉幕府の御家人であった稲毛三郎重成にまつわる伝説が伝えられています。

重成は将軍源頼朝の義弟にあたり、稲毛荘(現在の中原区・高津区)を所領としていました。

かつて多摩川流域は鎌倉幕府の北方への防衛線であり、重成は戦勝祈願のためにこの地に「黄金の太刀」を埋めたとされています。

それが「黄金塚」の由来というわけです。

この周辺には古墳があり、勾玉や、剣形石製模造品などが出土したということです。
のちに多摩川の旧堤防が築かれたときに、古墳とともに黄金塚も壊されたとされています。

■「宮内歴史ガイド」のウェブサイト
宮内歴史ガイドのページ

本エントリをご参照になる方は、現地に行く前にこちらの「宮内歴史ガイド」のウェブサイト(エントリ末尾にリンク掲載)をご参照されることになると思いますが、現地でふと目に留まって、QRコードを読み取る方もいらっしゃるのではないでしょうか。

5年前、本サイトが通りかかったときにはその場で由来を知ることができませんでしたが、こうして歴史を伝える手段を作っておくのは、非常によいことと思います。

これらのガイド設置とウェブサイト開設を行った宮内自治会の皆さんは、地域の歴史を知る人が徐々に少なくなり、後世に伝わらなくなってしまうことに強い危機感を持たれたようです。

現在、ウェブサイトには12か所が登録されており、今後追加の可能性もあります。

冒頭にご紹介したバス停には、次のバス停が「下枠鼻」とあり、これまた何やら由来がありそうですが、実はこちらも「宮内歴史ガイド」に掲載されていました。

本サイトでも少しずつ、宮内の史跡巡りをしてみようかと思います。

■生田緑地の「枡形山」
枡形山の断面図

■「枡形山」から見た武蔵小杉の高層ビル群
枡形山展望台から見える武蔵小杉の高層ビル群

ところで、「黄金塚」に黄金の太刀を埋めたとされる稲毛三郎重成は、現在の生田緑地に「枡形城」を築きました。

枡形山については、2016/5/13エントリでご紹介をしておりまして、山の展望台から武蔵小杉の高層ビル群を望むことができました。

重成も枡形城から、所領である中原区、高津区の平地を眺めていたのではないでしょうか。

■「黄金塚」のマップ


【関連リンク】
宮内歴史ガイド ウェブサイト
2015/5/31エントリ 武蔵小杉駅東口に新設「キヤノン玉川事業所直行バス」で行く、下野毛の工場街(前編)
2015/6/1エントリ 武蔵小杉駅東口に新設「キヤノン玉川事業所直行バス」で行く、下野毛の工場街(後編)
2016/5/13エントリ 武蔵小杉目線で巡る、生田緑地。「かわさき宙と緑の科学館」「日本民家園」「岡本太郎美術館」と、「枡形山」から望む武蔵小杉

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