二ヶ領用水支流の暗渠巡り(1):中丸子堀跡地の「中丸子緑道」に春の散策シーズンが到来
【Reporter:はつしも】
中原区を斜めに横断して流れる二ヶ領用水は、かつては農業用水路として利用されていました。
広範囲の農地に水を供給するためには当然ながら二ヶ領用水だけでは不可能で、数多くの支流が作られ、葉脈のように各地に水を運んでいました。
それらの支流は現在では多くが暗渠(あんきょ:地下水溝)になっていまして、上部が遊歩道や路地になっています。
今回はそのうち、多摩川沿いに整備された「中丸子緑道」をめぐってみたいと思います。
■「中丸子緑道」「中丸子南緑道」「北谷町緑道」のマップ
「中丸子緑道」は、中丸子の多摩川沿いを流れていた二ヶ領用水の支流「中丸子堀(ミカイ堀)」跡地を遊歩道化したものです。
最寄駅で言えば北端が向河原駅、南端が平間駅にあたりますが、駅からはそれぞれ距離があります。
中丸子緑道は南側で「中丸子南緑道」「北谷町緑道」に枝分かれしていますが、今回は「中丸子緑道」に絞ってご紹介していきましょう。
■「中丸子緑道」の案内板
■中丸子緑道
武蔵小杉・向河原方面から向かう場合、下沼部小学校前の道路を南下すると中丸子緑道の案内板が見えてきます。
ここには前述のような、緑道の由来などが書かれていました。
■中丸子緑道の花壇
中丸子緑道は、3つの町内会が地区ごとに分担をして植物等の手入れをしています。
季節ごとにさまざまな花が咲いていますが、4月~5月にかけてのこの時期はやはり緑道がパッと明るくなりますね。
■「花ドロボー皆で監視」
■「だれですか、?ペットボトルの上を歩く人は、」
緑道では花壇とともに、さまざまな注意書きが目に留まりました。
「花ドロボー」の警告は武蔵小杉駅周辺でも見かけることがあります。
残念なことですが、実際に持って行ってしまう方がいるのでしょうね。
■「ムクゲ 強い精神力」
もちろん注意書きだけでなく、町内会の皆さんによる植物の紹介も充実しています。
「ムクゲ」の花言葉は、「強い精神力」です。
■「災害時集合場所」の掲示
また中丸子緑道は、災害時の一時避難場所にも指定されています。
緑道は広い場所が少なく、あくまでも一時避難です。最終避難場所は川崎市立橘高等学校になっていました。
■中丸子緑道の遊具
中丸子緑道には、何か所か遊具が設置されているところがあります。
緑道の小道をお散歩しながらお子さんが遊べますので、気分転換になってよいのではないでしょうか。
■中丸子緑道を横切る道路
中丸子緑道は、途中に横切る道路があります。
昔は農業用水路だったのですから、かつてはここが小さな橋になっていたのでしょう。
■水車小屋跡地の案内(緑道入口の案内板より)
現在では全く痕跡が残されていませんが、この緑道の中ほどには、大正時代まで水車小屋がありました。
水車小屋では精米、製粉が行われていまして、遠く大田区の大森や羽田、川崎区の大師からも利用する方が来訪されたそうです。
1923年の関東大震災で水車小屋は倒壊してしまい、その後用水路も暗渠となって現在に至ります。
■「中丸子児童公園」
■「有吉堤竣工百年の碑」
さらに進んでいくと突然視界が開けて、緑道が中規模の児童公園とつながりました。
ここは「中丸子児童公園」です。
中丸子児童公園には、かつて多摩川の氾濫に悩まされた住民の陳情によって、100年前に築堤された「有吉堤」を記念する石碑が建てられています。
「有吉堤」の築堤と、そのもとになった陳情「アミガサ事件」については、2016/12/22エントリでもご紹介しておりますので、詳細は関連リンクをご参照ください。
■「有吉堤」の遺構
中丸子緑道では、「有吉堤」の遺構を各所で見ることができます。
風景自体は何気ないものですが、かつての姿を想像しながら歩くのも良いでしょう。
■中丸子緑道の終わり近く
■壁面の文字
緑道が終わりに近づくと、壁面に文字がありました。
これは一体なんでしょうか。
■1~100の数字
■ひらがな50音
■アルファベット
消えかけている部分もあって写真ではわかりにくいですが、これは数字と、ひらがなと、アルファベット一覧でした。
かつての児童公園のデザインのようなものだったのではないかと思います。
明確な用途はありませんが、子どもはそれでも何らかの遊び方を編み出してしまうものです。
まだ新しいころは、ここで遊んだ子どもたちもいたのではないでしょうか。
■中丸子緑道終点の西松屋
■石碑
ベビー・キッズ洋品店の西松屋まで到着するとほぼ多摩川河川敷に近く、ここで中丸子緑道はおしまいです。
かつての農業用水路は、このまま多摩川に合流していたのでしょうか。
終点付近からは、遠く武蔵小杉の高層ビル群を眺めることができました。
冒頭に掲載のマップの通り、終点付近からは「中丸子南緑道」「北谷町緑道」が分岐しているのですが、そちらは次回に譲りたいと思います。
そう遠くないうちに、また緑道でお会いいたしましょう。
【関連リンク】
・中原区ウェブサイト 歴史と緑の散策マップ
・2011/7/16エントリ 「ガス橋」と平間の渡し
・2014/11/21エントリ 下平間のバス停「住宅前」と、「武道館前」
・2014/11/28エントリ 川崎市動物愛護センターが中原区上平間に2018年度移転へ
・2015/5/26エントリ 南武線各駅開業88周年記念展示(4):「平間駅」
・2016/9/7エントリ 臨海部の工業用水を支える「平間配水所」の調圧塔と、川崎市中部学校給食センター・動物愛護センター整備
・2016/12/22エントリ 多摩川の築堤を直訴「アミガサ事件」による「有吉堤」完成から100年。八幡大神・中丸子児童公園の記念碑と遺構をめぐる
中原区を斜めに横断して流れる二ヶ領用水は、かつては農業用水路として利用されていました。
広範囲の農地に水を供給するためには当然ながら二ヶ領用水だけでは不可能で、数多くの支流が作られ、葉脈のように各地に水を運んでいました。
それらの支流は現在では多くが暗渠(あんきょ:地下水溝)になっていまして、上部が遊歩道や路地になっています。
今回はそのうち、多摩川沿いに整備された「中丸子緑道」をめぐってみたいと思います。
■「中丸子緑道」「中丸子南緑道」「北谷町緑道」のマップ
「中丸子緑道」は、中丸子の多摩川沿いを流れていた二ヶ領用水の支流「中丸子堀(ミカイ堀)」跡地を遊歩道化したものです。
最寄駅で言えば北端が向河原駅、南端が平間駅にあたりますが、駅からはそれぞれ距離があります。
中丸子緑道は南側で「中丸子南緑道」「北谷町緑道」に枝分かれしていますが、今回は「中丸子緑道」に絞ってご紹介していきましょう。
■「中丸子緑道」の案内板
■中丸子緑道
武蔵小杉・向河原方面から向かう場合、下沼部小学校前の道路を南下すると中丸子緑道の案内板が見えてきます。
ここには前述のような、緑道の由来などが書かれていました。
■中丸子緑道の花壇
中丸子緑道は、3つの町内会が地区ごとに分担をして植物等の手入れをしています。
季節ごとにさまざまな花が咲いていますが、4月~5月にかけてのこの時期はやはり緑道がパッと明るくなりますね。
■「花ドロボー皆で監視」
■「だれですか、?ペットボトルの上を歩く人は、」
緑道では花壇とともに、さまざまな注意書きが目に留まりました。
「花ドロボー」の警告は武蔵小杉駅周辺でも見かけることがあります。
残念なことですが、実際に持って行ってしまう方がいるのでしょうね。
■「ムクゲ 強い精神力」
もちろん注意書きだけでなく、町内会の皆さんによる植物の紹介も充実しています。
「ムクゲ」の花言葉は、「強い精神力」です。
■「災害時集合場所」の掲示
また中丸子緑道は、災害時の一時避難場所にも指定されています。
緑道は広い場所が少なく、あくまでも一時避難です。最終避難場所は川崎市立橘高等学校になっていました。
■中丸子緑道の遊具
中丸子緑道には、何か所か遊具が設置されているところがあります。
緑道の小道をお散歩しながらお子さんが遊べますので、気分転換になってよいのではないでしょうか。
■中丸子緑道を横切る道路
中丸子緑道は、途中に横切る道路があります。
昔は農業用水路だったのですから、かつてはここが小さな橋になっていたのでしょう。
■水車小屋跡地の案内(緑道入口の案内板より)
現在では全く痕跡が残されていませんが、この緑道の中ほどには、大正時代まで水車小屋がありました。
水車小屋では精米、製粉が行われていまして、遠く大田区の大森や羽田、川崎区の大師からも利用する方が来訪されたそうです。
1923年の関東大震災で水車小屋は倒壊してしまい、その後用水路も暗渠となって現在に至ります。
■「中丸子児童公園」
■「有吉堤竣工百年の碑」
さらに進んでいくと突然視界が開けて、緑道が中規模の児童公園とつながりました。
ここは「中丸子児童公園」です。
中丸子児童公園には、かつて多摩川の氾濫に悩まされた住民の陳情によって、100年前に築堤された「有吉堤」を記念する石碑が建てられています。
「有吉堤」の築堤と、そのもとになった陳情「アミガサ事件」については、2016/12/22エントリでもご紹介しておりますので、詳細は関連リンクをご参照ください。
■「有吉堤」の遺構
中丸子緑道では、「有吉堤」の遺構を各所で見ることができます。
風景自体は何気ないものですが、かつての姿を想像しながら歩くのも良いでしょう。
■中丸子緑道の終わり近く
■壁面の文字
緑道が終わりに近づくと、壁面に文字がありました。
これは一体なんでしょうか。
■1~100の数字
■ひらがな50音
■アルファベット
消えかけている部分もあって写真ではわかりにくいですが、これは数字と、ひらがなと、アルファベット一覧でした。
かつての児童公園のデザインのようなものだったのではないかと思います。
明確な用途はありませんが、子どもはそれでも何らかの遊び方を編み出してしまうものです。
まだ新しいころは、ここで遊んだ子どもたちもいたのではないでしょうか。
■中丸子緑道終点の西松屋
■石碑
ベビー・キッズ洋品店の西松屋まで到着するとほぼ多摩川河川敷に近く、ここで中丸子緑道はおしまいです。
かつての農業用水路は、このまま多摩川に合流していたのでしょうか。
終点付近からは、遠く武蔵小杉の高層ビル群を眺めることができました。
冒頭に掲載のマップの通り、終点付近からは「中丸子南緑道」「北谷町緑道」が分岐しているのですが、そちらは次回に譲りたいと思います。
そう遠くないうちに、また緑道でお会いいたしましょう。
【関連リンク】
・中原区ウェブサイト 歴史と緑の散策マップ
・2011/7/16エントリ 「ガス橋」と平間の渡し
・2014/11/21エントリ 下平間のバス停「住宅前」と、「武道館前」
・2014/11/28エントリ 川崎市動物愛護センターが中原区上平間に2018年度移転へ
・2015/5/26エントリ 南武線各駅開業88周年記念展示(4):「平間駅」
・2016/9/7エントリ 臨海部の工業用水を支える「平間配水所」の調圧塔と、川崎市中部学校給食センター・動物愛護センター整備
・2016/12/22エントリ 多摩川の築堤を直訴「アミガサ事件」による「有吉堤」完成から100年。八幡大神・中丸子児童公園の記念碑と遺構をめぐる