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2016年
12月22日

多摩川の築堤を直訴「アミガサ事件」による「有吉堤」完成から100年。八幡大神・中丸子児童公園の記念碑と遺構をめぐる

【Reporter:はつしも】

1914年(大正3年)9月16日、大雨が降るたびに洪水に悩まされてきた橘樹郡御幸村の住民、約200名が「多摩川の築堤」を神奈川県知事に求めるべく決起しました。

道中、より広範囲の住民も加わって500人ほどが神奈川県庁に押し寄せたといわれ、代表者が当時の知事と面談して地域の窮状と築堤の必要性を訴えました。

この集団は目印として編み笠をかぶっていたことから、「アミガサ事件」として後世に伝わっています。
事件をきっかけとして各地で築堤運動が活発となり、御幸村の一帯には道路をかさ上げした「有吉堤」が1916年に完成するなど、現在の多摩川の治水の礎ともなりました。


そして「アミガサ事件」から100年が経過した2014年には、決起の場所となった「八幡大神」に記念碑が設置されました。
また「有吉堤」の完成から100年後にあたる本年、その遺構が残る中丸子児童公園に記念碑が10月30日に設置されました。

本エントリでは、その記念碑をめぐりながら、当時の歴史を振り返ってみたいと思います。

■「アミガサ事件」の決起の場所となった八幡大神
「アミガサ事件」の決起の場所となった八幡大神

「アミガサ事件」における住民の決起場所となった「八幡大神」は、中原区上平間にあります。
向河原から南武沿線道路をずっと南下し、ガス橋通りでガス橋方面に曲がってすぐの場所です。

境内が当時と全く同じかどうかはわかりませんが、八幡大神は小さな神社です。
ここに200人が集まるとなると、現在の境内からは外まであふれるような状態だったのではないでしょうか。

当時は、治安維持などを理由として大勢で集まるということが許されない世の中でした。
それが徒党を組み、神奈川県知事まで直訴をしにいくというのは、決死の覚悟が必要だったようです。

■「アミガサ事件百年の碑」
「アミガサ事件百年の碑」

■「アミガサ事件集結の地」
「アミガサ事件集結の地」

「アミガサ事件集結の地」

境内には、アミガサ事件から100年を記念する石碑と、集結の地であることを示す立札が設置されていました。
この立札には、当時の経緯などが書かれています。

警官との小競り合いのすえ代表者のみが県知事に面会したものの、当時は禁止されていた「徒党を組んでの強訴」に対する説諭と従来通りの説明を受けるにとどまり、その場では思ったような協力を取り付けることはできなかったとされています。

しかしながら治水を求める切実な住民運動は、多摩川沿いの各地に広がっていきます。
そしてアミガサ事件の翌年、1915年に就任した有吉忠一知事がついに多摩川の築堤に乗り出すことになりました。

■対岸の大田区(ガス橋付近)
対岸の東京都大田区(ガス橋付近)
※写真は現在のものであり、歴史的事実を紹介する記事内容と直接的な関係はありません。

ここでハードルとなったのが、対岸の東京都側住民の反対です。

川崎側に堤をつくるとなると、対岸の東京都側の水害が激しくなるとの理由から、築堤への反対運動が勃発し、国土交通省が工事の差し止め命令を出したのです。
 
ところが、有吉知事はの命令をあえて無視し、「堤防の新設」にはあたらない沿道のかさ上げによる代用堤防の工事を推進しました。
その結果、全長2.2キロにわたる代用堤防が1916年に完成したのです。

この堤は有吉知事の名前をとって、「有吉堤」として現代まで名前が残っています。

当時の国土交通省としては容認できないものだったと思いますが、100年が経過した現在では、同省のウェブサイト(エントリ末尾の関連リンク参照)に下記のような記述があります。

<国土交通省ウェブサイトの記述より>
この事件は当時の有吉神奈川県知事による築堤や各所での多摩川改修請願運動に飛び火して、多摩川改修工事へと実を結ぶことになりました。

国土交通省が差し止め命令を出したことは「なかったこと」になっているようで、のちの多摩川改修工事につながった「功績」として位置づけられていることがわかります。

時代とともに評価が変わるのは、一般によくあることです。
いつまでも評価を変えられないことの方が問題ですから、この変化は前向きなものと捉えて良いのではないでしょうか。

■中丸子児童公園に残る「有吉堤」の遺構と、竣工百年の記念碑
中丸子児童公園に残る「有吉堤」の遺構と、竣工百年の記念碑

竣工百年の記念碑

「有吉堤」の完成から百年が経過し、現在は中丸子児童公園など、一部にその遺構が残っています。
上記写真奥の、道路沿いの土手が「有吉堤」で、当時の郡道をかさ上げした形になります。

その土手の手前に、竣工百年の記念碑が2016年10月に設置されました。

■「有吉堤」の解説
「有吉堤」の解説

解説

またこちらにも、「有吉堤」に関する詳細解説が掲示されています。
有吉知事は国土交通省の中止命令を無視したことで始末書を書かされ、譴責処分を受けましたが、「県民のために公利を諮った」のだから、「名誉な譴責」である、とのちに回顧していたそうです。

■「有吉堤」の当時の地図
「有吉堤」の当時の地図

こちらは、現地に掲示されている当時の地図です。
「無量寺」とあるあたりが、現在の中丸子児童公園の遺構の場所です。

■「有吉堤」の現在の地図
「有吉堤」の現在の地図

続いてこちらは、現代の地図にあてはめた「有吉堤」の地図です。
北側は現在の丸子山王日枝神社あたりまで、堤が続いていたことがわかります。

「有吉堤」は、全長約2.2kmにわたって築堤されました。

■「有吉堤」の遺構
「有吉堤」の遺構

「有吉堤」の遺構は、中丸子児童公園以外にも、何か所かその痕跡を見つけることができます。
中丸子緑道沿いに歩いてそれを探していくのも、遺構がお好きな方でしたら楽しいかもしれませんね。

■アミガサ事件記念碑・遺構マップ
アミガサ事件記念碑・遺構マップ
 
【関連リンク】
(水害関連)
国土交通省 水管理・国土保全 多摩川の歴史
2008/8/29エントリ 多摩川増水
2016/6/1エントリ 国土交通省が多摩川・鶴見川・相模川水系の洪水氾濫シミュレーションを公開、武蔵小杉等任意地点への洪水到達時間と最大浸水深が検索可能に
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2016/10/24エントリ 丸子橋近く、多摩川汽水域の境界「調布取水堰」探訪。アユが遡上する魚道と、歴代水位の記録

(平間関連)
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