武蔵小杉駅前・こすぎコアパークに「ケンゴヒストリーウォール」が登場、工事壁面に中村憲剛選手と川崎フロンターレの18年間の記録を展示
【Reporter:はつしも】
武蔵小杉駅南口駅前の「こすぎコアパーク」に設置された工事用の仮囲いに、今シーズン限りでの引退を表明している川崎フロンターレ中村憲剛選手の展示「ケンゴヒストリーウォール」が登場しました。
また武蔵小杉駅周辺各地に置いても、中村憲剛選手の18年を振り返るタペストリーが設置されています。
■こすぎコアパークの「ケンゴヒストリーウォール」
こすぎコアパークは、武蔵小杉駅南口地区西街区第一種市街地再開発事業で整備された駅前のオープンスペースです。
本サイトでもすでにお伝えした通り、さらなる魅力向上のために飲食施設の整備や駅からの導線改善が行われることが決定しており、現在は敷地の大部分が仮囲いに覆われています。
今回はその仮囲いスペースを活用して、中村憲剛選手に関するヒストリー展示が行われました。
■「ケンゴヒストリーウォール」(北側)
■「ケンゴヒストリーウォール」(西側)
中村憲剛選手は、中央大学から川崎フロンターレに加入し、途中で海外クラブからのオファーを受けながらも18年間フロンターレ一筋を貫きました。
こうした選手は「ワン・クラブ・マン」と呼ばれ、18年間の長きにわたって中心選手として活躍した例は世界的にも多くはありません。
こすぎコアパークの展示は、そんな中村憲剛選手の歩みを振り返るものとなっていました。
展示は大きく北側と西側に分かれ、北側が2003年~2010年、西側が2011年~2020年までのヒストリーになっています。
■2003年、オファー無しからのスタート
中村憲剛選手は、決して鳴り物入りでプロ人生をスタートさせたわけではありませんでした。
中央大学で活躍したもののJリーグクラブからオファーはなく、練習生として参加した川崎フロンターレのトレーニングでクラブの目に留まり、入団することになりました。
「川崎フロンターレに拾ってもらった」
中村憲剛選手はのちのちも振り返り、「ワン・クラブ・マン」として引退する18年のキャリアにもつながりました。
■2004年、J1昇格
現在の川崎フロンターレはJ1の「王者」と呼ばれる強豪に上り詰めていますが、中村憲剛選手入団当時はJ2でした。
それが翌年、J1に昇格を果たすことになります。
こののち長い間「無冠」「シルバーコレクター」と呼ばれることになりますが、「J2優勝」というタイトルはここで手にしています。
またこの年、背番号が26から現在の「14番」 になりました。
■2005年、J1リーグ8位
J1リーグ昇格初年の2005年は、1桁順位の8位でした。
このときにはすっかりクラブの中心選手として成長しています。
2006年、日本代表選出
■レジェンド・ジュニーニョ選手と
2006年は、J1リーグ2位。中村憲剛選手はクラブとして初めてJ1ベストイレブンに選出され、日本代表にも選ばれました。
クラブの中心選手から、Jリーグを代表する選手への飛躍です。
■2007年、AFCアジアカップ代表選出
2007年は、ヤマザキナビスコカップ(現在のルヴァンカップ)準優勝を果たしました。
こののち決勝での敗戦を重ねていくことになりますが、その悔しさ・苦労は2019年に報われることになります。
また中村憲剛選手は、AFCアジアカップ日本代表にも選出されたほか、Jリーグベストイレブンにも選出されました。
■2008年、J1リーグ2位&ベストイレブン
2008年は、J1リーグ2位でした。「シルバーコレクター」という声が聞こえるようになった時期です。
一方、中村憲剛選手はこの年もJ1リーグベストイレブンに選出され、3年連続となりました。
■2009年、J1リーグ2位&ナビスコカップ準優勝
2009年は、J1リーグ2位、かつヤマザキナビスコカップも準優勝でした。
立派な成績で中村憲剛選手は4年連続のベストイレブンにも選出されていますが、中村憲剛選手としては非常に悔しい思いだったのではないでしょうか。
■2010年、ワールドカップ出場
■ワールドカップに出場した中村憲剛選手
2010年は、南アフリカワールドカップが開催されました。
中村憲剛選手は稲本選手らとともに日本代表に選出され、1試合に出場しました。
ここまでがこすぎコアパーク「北側」の展示になっています。
■こすぎコアパーク西側の2011~2020展示
続いて、こすぎコアパーク西側の展示です。
こちらでは、2011年から2020年までのヒストリーが展示されています。
西側展示冒頭の予告にもあるように、いよいよタイトルの獲得です。
■2011年、東日本大震災チャリティーマッチ出場
2011年は、東日本大震災が発生しました。
Jリーグではリーグ中断ののちにチャリティーマッチを開催し、中村憲剛選手も出場しています。
川崎フロンターレにおいても、さまざまな復興支援活動に取り組み、現在まで被災地との協力関係が発展してきています。
2012年、J1リーグ8位
2012年は、J1リーグ8位でした。
このあたりの数年間は、最後まで優勝争いに絡むのがなかなか難しい時期でした。
■2013年、伊藤宏樹選手引退
2013年、入団以来11年間クラブをともにしてきた伊藤宏樹選手が引退しました。
伊藤宏樹選手は、現在の中村憲剛選手のようなクラブを代表する選手で、ここから中村憲剛選手がキャプテンとして名実ともにクラブを引っ張っていくことになります。
■2014年、川崎市制90周年
■W杯代表から落選した中村憲剛選手を迎えたサポーター
2014年は川崎市制90周年にあたり、記念ユニフォームを着用して3試合が行われました。
中村憲剛選手は、ワールドカップブラジル大会の代表から残念ながら落選しましたが、ホームゲームでは「GO! KENGO!」の横断幕とともにサポーターが迎えました。
この風景を、中村憲剛選手は今でもよく覚えているといいます。
■2015年、500試合出場&新メインスタンド完成
2015年、中村憲剛選手は公式戦通算500試合出場を達成しました。
またこの年に等々力陸上競技場のメインスタンドが完成しています。
中村憲剛選手は35歳となり、この年に「あと5年、40歳で引退する」ことを決意しました。
■2016年、史上最年長MVP
中村憲剛選手が引退を決意してからの5年間、まるで集大成のように、これまでどうしても手が届かなかったさまざまなタイトルを獲得していきます。
2016年はJ1リーグ3位・天皇杯準優勝でしたが、中村憲剛が史上最年長でMVPを獲得しました。
この記録は、現在も破られていません。
■2017年、J1リーグ初優勝
2017年以降は、ご存知の方も多いでしょう。
2017年、川崎フロンターレは悲願のJ1初優勝を果たしました。
ホーム最終戦、逆転優勝が決まった瞬間から号泣した中村憲剛選手の姿は、多くの方の記憶に残りました。
長い間取れなかったタイトルが、この年から憑き物が取れたように次々と獲得できるようになります。
■2018年、J1リーグ連覇
■2019年、ルヴァンカップ初優勝
2018年は、J1リーグ連覇です。
そして「トーナメント一発勝負」のカップ戦についても、ついに2019年にルヴァンカップを制しました。
しかしながら、2019シーズンに中村憲剛選手は左膝前十字靱帯損傷・左膝外側半月板損傷という、全治7か月の大けがを負ってしまいます。
心に決めていた2020シーズン・40歳での引退までリミットが迫る中、かつてない逆境を迎えることになりました。
■2020年、復活とJ1リーグ3度目の優勝
■3度目のJ1リーグ優勝
そして2020年、中村憲剛選手はリハビリの末に見事復活し、復帰戦でゴールというドラマを見せてくれました。
さらに10月30日にバースデーゴールを決め、翌日11月1日に現役引退を発表しました。
11月中にJ1史上最速でのリーグ優勝も決め、残るリーグ戦と「天皇杯」に向けてまだまだ活躍をしていこうというところです。
■4つのタイトルを獲得
こすぎコアパークでの「ケンゴヒストリーウォール」では、このように中村憲剛選手の18年間を、川崎フロンターレの成績とともに振り返ることができました。
古株の方は懐かしく、最近中村憲剛選手を知った方は新鮮に写真を鑑賞できるのではないでしょうか。
■フォトスポット
そしてこすぎコアパークの北側壁面・西側壁面の角には、フォトスポットがありました。
比較的人通りの多い場所でもありますので、周囲に留意して利用されるとよいと思います。
■街中のタペストリー
また、武蔵小杉駅周辺でも、前述の通り中村憲剛選手のタペストリーが掲出されています。
こちらは「街中ジャック」といえるほどに全面展開されていますので、多くの方がどこかでご覧になっていることでしょう。
中村憲剛選手の現役生活は、天皇杯決勝に進出した場合、2021年1月1日が最後となります。
それに向けて12月21日には等々力陸上競技場で引退&優勝報告セレモニーがありますし、まだこれから盛り上げの企画も出てくるのではないでしょうか。
■川崎駅北口通路の「川崎フロンターレ優勝記念ストリート」
先日は、川崎駅北口通路の「川崎フロンターレ優勝記念ストリート」展示についてご紹介しました。
こちらにも中村憲剛選手のヒストリー展示がありまして、内容としてはこすぎコアパークと共通する部分もあります。
今回は武蔵小杉駅前に「ケンゴヒストリーウォール」が設置されたことで、12月16日のホーム最終戦で、川崎市内他地域から武蔵小杉まで来てご覧になる方も多そうです。
川崎駅まで見に行くのは大変ですし、武蔵小杉周辺サポーターとしても嬉しいところですね。
【関連リンク】
・川崎フロンターレ ロの恋人! LOTTE presents 12/21「中村憲剛引退セレモニー&優勝報告会」実施のお知らせ
・川崎フロンターレ 中村憲剛選引退特設サイト
・DAZN 川崎フロンターレクラブ応援プラン専用ページ
・中村憲剛オフィシャルブログ 引退会見
・中村憲剛twitter
・川崎フロンターレ 中村憲剛選手現役引退のお知らせ
・川崎フロンターレ One Four KENGOプロモーション実施のお知らせ
・天皇杯 ウェブサイト
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・2020/10/31エントリ 中村憲剛40歳誕生日弾で川崎フロンターレがリーグ新12連勝、フロンパークではゆかりの地域の物産販売やいもほり体験実施
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・2020/11/3エントリ 川崎フロンターレが札幌戦で等々力陸上競技場を中村憲剛一色に演出、「陸前高田ランド」ではご当地グルメに賑わい
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・2020/11/25エントリ 川崎フロンターレが史上最速のJ1リーグ優勝決定、中村憲剛選手らが「黄金のお風呂」で歓喜
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・2020/12/4エントリ 川崎駅北口通路に「川崎フロンターレ優勝記念ストリート」が登場、歴代ユニフォーム・中村憲剛選手の18年ヒストリーと今季戦績を展示
武蔵小杉駅南口駅前の「こすぎコアパーク」に設置された工事用の仮囲いに、今シーズン限りでの引退を表明している川崎フロンターレ中村憲剛選手の展示「ケンゴヒストリーウォール」が登場しました。
また武蔵小杉駅周辺各地に置いても、中村憲剛選手の18年を振り返るタペストリーが設置されています。
■こすぎコアパークの「ケンゴヒストリーウォール」
こすぎコアパークは、武蔵小杉駅南口地区西街区第一種市街地再開発事業で整備された駅前のオープンスペースです。
本サイトでもすでにお伝えした通り、さらなる魅力向上のために飲食施設の整備や駅からの導線改善が行われることが決定しており、現在は敷地の大部分が仮囲いに覆われています。
今回はその仮囲いスペースを活用して、中村憲剛選手に関するヒストリー展示が行われました。
■「ケンゴヒストリーウォール」(北側)
■「ケンゴヒストリーウォール」(西側)
中村憲剛選手は、中央大学から川崎フロンターレに加入し、途中で海外クラブからのオファーを受けながらも18年間フロンターレ一筋を貫きました。
こうした選手は「ワン・クラブ・マン」と呼ばれ、18年間の長きにわたって中心選手として活躍した例は世界的にも多くはありません。
こすぎコアパークの展示は、そんな中村憲剛選手の歩みを振り返るものとなっていました。
展示は大きく北側と西側に分かれ、北側が2003年~2010年、西側が2011年~2020年までのヒストリーになっています。
■2003年、オファー無しからのスタート
中村憲剛選手は、決して鳴り物入りでプロ人生をスタートさせたわけではありませんでした。
中央大学で活躍したもののJリーグクラブからオファーはなく、練習生として参加した川崎フロンターレのトレーニングでクラブの目に留まり、入団することになりました。
「川崎フロンターレに拾ってもらった」
中村憲剛選手はのちのちも振り返り、「ワン・クラブ・マン」として引退する18年のキャリアにもつながりました。
■2004年、J1昇格
現在の川崎フロンターレはJ1の「王者」と呼ばれる強豪に上り詰めていますが、中村憲剛選手入団当時はJ2でした。
それが翌年、J1に昇格を果たすことになります。
こののち長い間「無冠」「シルバーコレクター」と呼ばれることになりますが、「J2優勝」というタイトルはここで手にしています。
またこの年、背番号が26から現在の「14番」 になりました。
■2005年、J1リーグ8位
J1リーグ昇格初年の2005年は、1桁順位の8位でした。
このときにはすっかりクラブの中心選手として成長しています。
2006年、日本代表選出
■レジェンド・ジュニーニョ選手と
2006年は、J1リーグ2位。中村憲剛選手はクラブとして初めてJ1ベストイレブンに選出され、日本代表にも選ばれました。
クラブの中心選手から、Jリーグを代表する選手への飛躍です。
■2007年、AFCアジアカップ代表選出
2007年は、ヤマザキナビスコカップ(現在のルヴァンカップ)準優勝を果たしました。
こののち決勝での敗戦を重ねていくことになりますが、その悔しさ・苦労は2019年に報われることになります。
また中村憲剛選手は、AFCアジアカップ日本代表にも選出されたほか、Jリーグベストイレブンにも選出されました。
■2008年、J1リーグ2位&ベストイレブン
2008年は、J1リーグ2位でした。「シルバーコレクター」という声が聞こえるようになった時期です。
一方、中村憲剛選手はこの年もJ1リーグベストイレブンに選出され、3年連続となりました。
■2009年、J1リーグ2位&ナビスコカップ準優勝
2009年は、J1リーグ2位、かつヤマザキナビスコカップも準優勝でした。
立派な成績で中村憲剛選手は4年連続のベストイレブンにも選出されていますが、中村憲剛選手としては非常に悔しい思いだったのではないでしょうか。
■2010年、ワールドカップ出場
■ワールドカップに出場した中村憲剛選手
2010年は、南アフリカワールドカップが開催されました。
中村憲剛選手は稲本選手らとともに日本代表に選出され、1試合に出場しました。
ここまでがこすぎコアパーク「北側」の展示になっています。
■こすぎコアパーク西側の2011~2020展示
続いて、こすぎコアパーク西側の展示です。
こちらでは、2011年から2020年までのヒストリーが展示されています。
西側展示冒頭の予告にもあるように、いよいよタイトルの獲得です。
■2011年、東日本大震災チャリティーマッチ出場
2011年は、東日本大震災が発生しました。
Jリーグではリーグ中断ののちにチャリティーマッチを開催し、中村憲剛選手も出場しています。
川崎フロンターレにおいても、さまざまな復興支援活動に取り組み、現在まで被災地との協力関係が発展してきています。
2012年、J1リーグ8位
2012年は、J1リーグ8位でした。
このあたりの数年間は、最後まで優勝争いに絡むのがなかなか難しい時期でした。
■2013年、伊藤宏樹選手引退
2013年、入団以来11年間クラブをともにしてきた伊藤宏樹選手が引退しました。
伊藤宏樹選手は、現在の中村憲剛選手のようなクラブを代表する選手で、ここから中村憲剛選手がキャプテンとして名実ともにクラブを引っ張っていくことになります。
■2014年、川崎市制90周年
■W杯代表から落選した中村憲剛選手を迎えたサポーター
2014年は川崎市制90周年にあたり、記念ユニフォームを着用して3試合が行われました。
中村憲剛選手は、ワールドカップブラジル大会の代表から残念ながら落選しましたが、ホームゲームでは「GO! KENGO!」の横断幕とともにサポーターが迎えました。
この風景を、中村憲剛選手は今でもよく覚えているといいます。
■2015年、500試合出場&新メインスタンド完成
2015年、中村憲剛選手は公式戦通算500試合出場を達成しました。
またこの年に等々力陸上競技場のメインスタンドが完成しています。
中村憲剛選手は35歳となり、この年に「あと5年、40歳で引退する」ことを決意しました。
■2016年、史上最年長MVP
中村憲剛選手が引退を決意してからの5年間、まるで集大成のように、これまでどうしても手が届かなかったさまざまなタイトルを獲得していきます。
2016年はJ1リーグ3位・天皇杯準優勝でしたが、中村憲剛が史上最年長でMVPを獲得しました。
この記録は、現在も破られていません。
■2017年、J1リーグ初優勝
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2017年、川崎フロンターレは悲願のJ1初優勝を果たしました。
ホーム最終戦、逆転優勝が決まった瞬間から号泣した中村憲剛選手の姿は、多くの方の記憶に残りました。
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■川崎駅北口通路の「川崎フロンターレ優勝記念ストリート」
先日は、川崎駅北口通路の「川崎フロンターレ優勝記念ストリート」展示についてご紹介しました。
こちらにも中村憲剛選手のヒストリー展示がありまして、内容としてはこすぎコアパークと共通する部分もあります。
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