中原区の新年招福祈願「川崎七福神巡り」2025レポート:ゆっくり脇見バージョン
中原区では、毎年元日から7日まで「川崎市七福神めぐり」が実施されています。
正月二日の夜、宝船に乗った七福神の絵を枕の下に入れて寝ると縁起が良いとされ、新春の巡拝が古くから地域で行われてきました。
七福神は恵比寿神(清心)、大黒天(財富)、毘沙門天(栄光)、弁財天(愛情)、福禄寿(人望)、寿老神(長命)、布袋尊(寛容)の7人の神様で、これらの神様を祭る中原区内の7つの寺院をめぐります。
各寺院では御朱印帳(色紙)に御朱印を押していただきつつ、七福神の功徳によって新年の幸福を祈ります。
弊紙では2017・2020・2024年にレポートをしておりましたが、今回はゆっくり脇見をしながら、これまでにご紹介していなかった写真を交えてご紹介したいと思います。
■川崎七福神
■川崎七福神のGoogleマップ
「川崎七福神」は、福禄寿の「安養寺」、弁財天の「宝蔵寺」、毘沙門天の「東樹院多聞寺」、大黒天の「西明寺」、恵比寿神の「大楽院」、寿老神の「無量寺」、布袋尊の「大楽寺」の7つの寺院を回ります。
経路はお住まいによって異なるでしょうが、武蔵小杉駅を中心に考えると北西側に一番遠いのが安養寺、南に一番遠いのが大楽寺ですので、このいずれかが始点または終点になる方が多そうです。
弊紙では武蔵新城方面から先に回り、ゴールを大楽寺とするルートで毎回回っています。
■安養寺(福禄寿)
■福禄寿の像
安養寺は武蔵新城駅の北側にあります。「天輪山無量寿院」と称し、大日如来が本尊です。
1567年(永禄10年)頃の開山といわれ、火災等により古来の建物や文献が失われたため詳細は不明な部分もあります。
現在の本堂は、関東大震災による被災後、1966年に再建されたものということです。
この安養寺には、福禄寿が祭られています。
福禄寿は中国の神様で、「人望」を象徴しています。
杖の頭には経巻が結び付けられ、白鶴を伴っているのが特徴です。
この経巻は人の寿命を記し、福は「指宝」、禄は「地位」、寿は「長命」で、この3つを備えた人は人望を得るということです。
■御朱印の受付
「川崎七福神めぐり」では、最初に訪問した寺院で御朱印帳(色紙)を300円で購入します。
残り6カ所の各寺院では200円をお支払いして、御朱印を押していただきますので、合計1,500円ということになります。
大楽院はセルフサービスですので(チャイムで呼び出しもできると思いますが)、有人対応の他6寺院から始めるのが良いでしょう。
安養寺は最初に御朱印帳をいただくと、すでに福禄寿の御朱印が押してあります。
ここから七福神巡りがスタートです。
■木を打つ「コンニチワ」
ところで、無量寺の境内には木を打つ楽器のようなものがありました。
5つそれぞれに音階が異なり、順番に打つと「コンニチワ」というご挨拶になるようです。
■宝蔵寺(弁財天)
■弁財天の像
安養寺から自転車で2分ほどの距離に宝蔵寺がありますので、ここは皆さん連続して参拝されるでしょう。
創建は1520年(永正17年)で、本尊は子育地蔵菩薩です。
当初の主家であった吉良氏の没後に土着し、周辺の土地を大ヶ谷戸と名付けました。安養寺との間には川崎市立大谷戸小学校がありますので、多くの方が前を通ると思います。
天文年間に原氏が祈願所として宝蔵寺を再建し、現在に至ります。
ここでは七福神のうち唯一の女性の神様、弁財天が祭られています。
弁財天はインドの神様で「愛情」を象徴し、音楽などの芸術や商売繁盛を司っています。
もともとは河川が神格化した水の神様で、多くの弁財天は海岸や川沿いなど、水に縁のある場所に祭られています。
■弁財天のお堂
■美しい弁財天
これまであまりご紹介してきませんでしたが、境内には弁財天のお堂があります。
この中に鎮座する弁財天の木像は、女性らしい美しい姿でした。
■法蔵寺でいただける弁財天のお守り
2つ目以降の寺院では、最初にもらった御朱印帳にひとつずつ押印していくかたちになります。
また、法蔵寺では弁財天のお守りも毎年いただけます。
これはお財布などに入れておくのがお勧めということです。
■七福神像
また、宝蔵寺には七福神が揃った像がありますので、こちらもフォトスポットかと思います。
■東樹院多聞寺(毘沙門天)
■毘沙門天の像
宝蔵寺から宮内新横浜線を渡り、西下橋の交差点から府中街道を経由して宮内の住宅街に入っていくと、東樹院多聞寺があります。
このルートは分かりにくいため、記事末尾の武蔵小杉ライフ公式Youtubeチャンネルのガイド動画もご参照ください。
多聞寺は1458年(長禄2年)、平氏の流れをくむ武州の豪族・石井源左衛門がこの地で毘沙門天の社を見出し、堂宇を再建したとされています。
現在の本尊である不動明王が勧請されたのは寛永年間で、近江の法印尊義和尚が石井氏の菩提を弔って堂宇を建立し、ご本尊として安置したということです。
そのような経緯で、ここでは毘沙門天が祭られています。
毘沙門天はインドの神様で「栄光」を象徴し、手に持った多宝塔で財宝を授け、また外敵を打ち払う戦勝の神様でもあり、内なる煩悩も払ってくれるとされています。
よく説法を聞くことから「多聞天」とも呼ばれ、「東樹院多聞寺」の名前の由来にもなっています。
■毘沙門天のお堂
そしてこちらも過去にあまりご紹介していなかったのですが、多聞寺の境内には毘沙門天のお堂があります。
この中に祭られた毘沙門天の像は、色鮮やかなものでした。
■御朱印の受付
多聞寺の御朱印の受付は、立派な建物です。
建物の前には近隣の宝蔵寺、次にご紹介する西明寺への地図も毎年掲示されています。
■西明寺(大黒天)の参道
多聞寺の案内に従って到着したのが、中原街道の「カギ道」近くの西明寺です。
西明寺の創建時期は不明ですが、北条時頼の信仰が厚く、北条氏ともゆかりの深い神社です。
江戸時代には徳川家康港がたびたび鷹狩りで訪れたということで、かつての中原街道の中心的存在だったことはよく知られています。
西明寺は中原街道からの長い参道が美しく、お勧めできる風景です。
■「川崎七福神」目印ののぼり
川崎七福神の7つの寺院には、期間中赤いのぼりが立てられています。
これが目印になりますので、初めてでも比較的寺院を見つけやすいと思います。
■「七福神」ののぼり
西明寺では、参道に色とりどりの「七福神」ののぼりが立っているのが特徴です。
これらも参道の風景を効果的に彩っていました。
■西明寺の山門
西明寺の山門にも、「川崎七福神」の提灯と、「謹賀新年」の看板がありました。
■西明寺の境内
■大黒天の像
西明寺では、大黒天が祭られています。
大黒天はインドの神様で「財富」を象徴し、働き者のために打ち出の小槌をふるって富をもたらすとされています。
頭にかぶった頭巾は、「上を見ず、うつむいて働け」との教えで、勤労が徳であり、怠惰な者の頭を打つのが小槌であるということです。
■西明寺の御朱印受付
西明寺の御朱印受付は、本堂の隣にあります。
ここでは過去にご紹介した「だるまのおみくじ」なども販売しています。
■参拝者用のトイレ
川崎七福神は、寒い中自転車でも2時間程度かかります。
途中、トイレに行きたくなる方も多いと思いますが、西明寺には車いすでも使える立派な参拝者用トイレが設置されています。
西明寺は川崎七福神の中でも中間にありますので、ここでトイレに行っておくとよいかもしれません。
■大楽院(恵比寿神)
西明寺から中原街道を経由し、綱島街道を渡った先に「大楽院」があります。
すぐ隣が「丸子山王日枝神社」です。
大楽院は真言宗豊山派で、奈良県の長谷寺の直轄寺院です。
1704年(元禄17年)の長谷寺末寺帳や「武蔵風土記稿」などに、かなりの寺格を有していたことが伺われる記述が残されています。
■御開帳されていた恵比寿堂
■お堂の中に並んだ恵比寿様
大楽院で祭られているのは「恵比寿天」です。
七福神の中では唯一の日本の神様で、「清心」を象徴します。
イザナギとイザナミの3番目の御子として生まれたとする説も有力な海の守り神です。釣竿をかついだ姿で、おめでたい「えびす顔」が有名です。
当初は漁業者の神様でしたが、海産物の売買を通して商売繫盛の神様として信仰されるようになりました。
江戸時代の名僧・天界僧正によれば、恵比寿神は律儀、福徳、収穫・良果の3つの徳を讃えているということです。
境内の恵比寿天は「恵比寿堂」の中に安置されています。
過去にご紹介した時はいずれもお堂が閉まっていたのですが、今回は御開帳されていましたので、恵比寿様をよく拝観することができました。
■御朱印はセルフサービス
大楽院の御朱印は、「人員不足のため」例年セルフサービスになっています。
200円は浄財箱に入れまして、現地に掲示されている見本通りに御朱印スタンプを押します。
なお、大楽院から「川崎七福神巡り」を始める場合は、インターホンなどで人を呼ぶことになりますが、他の寺院からスタートしたほうが簡便でしょう。
■お線香の着火機も
■お線香をあげて参拝
またセルフサービスの御朱印の隣には、同じくセルフサービスで100円のお線香もありました。
着火機がありますので、これで着火して本堂前にお線香をあげることができます。
■長寿院無量寺(寿老人)
■寿老人の像
大楽院の前の道路をまっすぐ南下していくと、中丸子児童公園前で「無量寺」に到着します。
1580年(天正8年)に覚源和尚により開創され、村の豪士・野村七左衛門が帰依して無量寺を菩提寺としたとされています。
本堂は残念ながら1945年に戦災で焼失しましたが、戦災を逃れた都内の寺院から、築200年以上の本堂を譲り受けて移築したのが現在の本堂です。
無量寺では寿老神を祭っています。
寿老神は中国の神様で、名前の通り「長命」を司っています。
手にした巻物には人命の長さが記され、長寿の守りとされている鹿を常に伴っています。
鹿は千五百歳で、その肉を食べた者は2千年の長寿が得られ、杖の先に結びつけられた軸は人の寿命を記した帳簿であるとされています。
■御朱印の受付
■セルフサービスも可能
また無量寺では、有人の御朱印受付のほか、行列になっている場合など、お急ぎの方向けにセルフサービスコーナーを利用することも可能でした。
■休憩場所
■参拝者用のトイレも
また長寿院無量寺には、休憩できる場所の他、トイレもありました。
疲れてきたら、無理せず座って休むのもよいでしょう。
■大楽寺(布袋尊)
■布袋尊の像
無量寺から最後の大楽寺に最短で到達するのは、ルートが複雑です。
途中に南武線・横須賀線・府中街道がありますので、地図上で直線的に最短距離を進むことができません。
細かい路地を使うと迷う可能性もありますので、無量寺から少し北に戻って、御幸踏切や向河原駅前踏切で横須賀線を渡ってから綱島街道を南下し、木月4丁目交差点を左折するのが一番シンプルと考え、弊紙ではお勧めしています。
「大楽寺」は、大楽幼稚園が併設されている寺院で、胎蔵界大日如来が本尊です。
創建については明らかでありませんが、中興開山は1741年(天文6年)法印智法によるとされています。
また、大楽寺には「大楽幼稚園」が併設されています。
大楽寺には、「寛容」や和合、笑いを象徴する中国の神様「布袋尊」が祭られています。
七福神の中では唯一実在したとされている人物で、恰幅の良いお姿が、親しみやすい印象を与えます。家内安全や学業成就にご利益があるとされ、布袋尊を拝むことで寛容な心が得られるということです。
■七福神は本堂でセルフサービス
■本堂
■セルフサービスの御朱印
大楽寺では、2020年には本堂の中に人がいて御朱印を押してくださったのですが、現在はセルフサービスになっています。
■本堂にはたくさんの布袋尊
本堂には、実にたくさんの布袋尊の像がありました。
それぞれにタイプが異なりますので、ひとつひとつ見ていくと楽しいです。
また、「袖の下」からお賽銭をあげられる布袋様もお馴染みです。
■サザエさんファミリーの像
そして本堂にはなぜか、サザエさんファミリーの像もありました。
こちらもよくできていますね。
■日付の記入は有人対応
布袋尊ですべての御朱印が揃ったことで、希望される方は最後に御朱印帳が完成した日を、参拝日として記入いただくことができます。
これはさすがにセルフサービスではなく、大楽寺で書いていただけます。
本サイトでは大楽寺を最後に回っていますが、ほかの寺院を最後にしても問題ありません。
ただし、完全セルフサービスの大楽院を一番最後にした場合、日付を自分で書くことはできませんから、一応有人対応が可能な寺院を最後に回したほうがよいでしょう。
■完成した御朱印帳
こうして、見事に御朱印帳が完成しました。
それなりに労力がかかりますので、満足感があります。
なお、毎回申し上げておりますが、「川崎七福神巡り」はスタンプラリーというわけではなく、各寺院を巡拝していくのが本来の趣旨となっています。
参加者の方も皆さん、最初にお参りされていました。
最短でスタンプを押していくよりも、達成感も得られると思います。
2025年の「川崎七福神巡り」は1月7日(火)までで、まだ2日間あります。
時間は9:00~16:30ですので日中お仕事がある方はもう難しいと思いますが、時間のある方は最後にトライしてみても良いと思います。
■武蔵小杉ライフ公式Youtubeチャンネル 中原区の招福スタンプラリー!川崎七福神巡り
最後に、昨年公開した武蔵小杉ライフ公式Youtubeチャンネル「川崎七福神巡り」のガイド動画を再掲しておきます。
弊紙推奨のルート(早送り)も動画で完全収録していますので、ご参考にどうぞ。
【関連リンク】
・武蔵小杉ライフ:生活情報:神社・仏閣
・川崎七福神 ウェブサイト
・2008/12/30エントリ 新年御開帳・川崎七福神巡り
・2009/1/2エントリ 武蔵小杉の2009年除夜の鐘と初詣
・2012/12/31エントリ 丸子山王日枝神社の2013年始行事と、大楽院の「川崎七福神」
・2016/12/22エントリ 多摩川の築堤を直訴「アミガサ事件」による「有吉堤」完成から100年。八幡大神・中丸子児童公園の記念碑と遺構をめぐる
・2017/1/3エントリ 中原区の7寺院をめぐる、福運スタンプラリー。2017年1月7日(土)まで実施中「川崎七福神めぐり」完遂レポート ・2020/1/6エントリ 中原区の7寺院で、幸福を呼ぶ御朱印集め。2020年の「川崎七福神めぐり」
・2024/1/3エントリ 中原区の招福スタンプラリー!2024年の「川崎七福神巡り」推奨ルート完全ガイド
正月二日の夜、宝船に乗った七福神の絵を枕の下に入れて寝ると縁起が良いとされ、新春の巡拝が古くから地域で行われてきました。
七福神は恵比寿神(清心)、大黒天(財富)、毘沙門天(栄光)、弁財天(愛情)、福禄寿(人望)、寿老神(長命)、布袋尊(寛容)の7人の神様で、これらの神様を祭る中原区内の7つの寺院をめぐります。
各寺院では御朱印帳(色紙)に御朱印を押していただきつつ、七福神の功徳によって新年の幸福を祈ります。
弊紙では2017・2020・2024年にレポートをしておりましたが、今回はゆっくり脇見をしながら、これまでにご紹介していなかった写真を交えてご紹介したいと思います。
■川崎七福神
■川崎七福神のGoogleマップ
「川崎七福神」は、福禄寿の「安養寺」、弁財天の「宝蔵寺」、毘沙門天の「東樹院多聞寺」、大黒天の「西明寺」、恵比寿神の「大楽院」、寿老神の「無量寺」、布袋尊の「大楽寺」の7つの寺院を回ります。
経路はお住まいによって異なるでしょうが、武蔵小杉駅を中心に考えると北西側に一番遠いのが安養寺、南に一番遠いのが大楽寺ですので、このいずれかが始点または終点になる方が多そうです。
弊紙では武蔵新城方面から先に回り、ゴールを大楽寺とするルートで毎回回っています。
■安養寺(福禄寿)
■福禄寿の像
安養寺は武蔵新城駅の北側にあります。「天輪山無量寿院」と称し、大日如来が本尊です。
1567年(永禄10年)頃の開山といわれ、火災等により古来の建物や文献が失われたため詳細は不明な部分もあります。
現在の本堂は、関東大震災による被災後、1966年に再建されたものということです。
この安養寺には、福禄寿が祭られています。
福禄寿は中国の神様で、「人望」を象徴しています。
杖の頭には経巻が結び付けられ、白鶴を伴っているのが特徴です。
この経巻は人の寿命を記し、福は「指宝」、禄は「地位」、寿は「長命」で、この3つを備えた人は人望を得るということです。
■御朱印の受付
「川崎七福神めぐり」では、最初に訪問した寺院で御朱印帳(色紙)を300円で購入します。
残り6カ所の各寺院では200円をお支払いして、御朱印を押していただきますので、合計1,500円ということになります。
大楽院はセルフサービスですので(チャイムで呼び出しもできると思いますが)、有人対応の他6寺院から始めるのが良いでしょう。
安養寺は最初に御朱印帳をいただくと、すでに福禄寿の御朱印が押してあります。
ここから七福神巡りがスタートです。
■木を打つ「コンニチワ」
ところで、無量寺の境内には木を打つ楽器のようなものがありました。
5つそれぞれに音階が異なり、順番に打つと「コンニチワ」というご挨拶になるようです。
■宝蔵寺(弁財天)
■弁財天の像
安養寺から自転車で2分ほどの距離に宝蔵寺がありますので、ここは皆さん連続して参拝されるでしょう。
創建は1520年(永正17年)で、本尊は子育地蔵菩薩です。
当初の主家であった吉良氏の没後に土着し、周辺の土地を大ヶ谷戸と名付けました。安養寺との間には川崎市立大谷戸小学校がありますので、多くの方が前を通ると思います。
天文年間に原氏が祈願所として宝蔵寺を再建し、現在に至ります。
ここでは七福神のうち唯一の女性の神様、弁財天が祭られています。
弁財天はインドの神様で「愛情」を象徴し、音楽などの芸術や商売繁盛を司っています。
もともとは河川が神格化した水の神様で、多くの弁財天は海岸や川沿いなど、水に縁のある場所に祭られています。
■弁財天のお堂
■美しい弁財天
これまであまりご紹介してきませんでしたが、境内には弁財天のお堂があります。
この中に鎮座する弁財天の木像は、女性らしい美しい姿でした。
■法蔵寺でいただける弁財天のお守り
2つ目以降の寺院では、最初にもらった御朱印帳にひとつずつ押印していくかたちになります。
また、法蔵寺では弁財天のお守りも毎年いただけます。
これはお財布などに入れておくのがお勧めということです。
■七福神像
また、宝蔵寺には七福神が揃った像がありますので、こちらもフォトスポットかと思います。
■東樹院多聞寺(毘沙門天)
■毘沙門天の像
宝蔵寺から宮内新横浜線を渡り、西下橋の交差点から府中街道を経由して宮内の住宅街に入っていくと、東樹院多聞寺があります。
このルートは分かりにくいため、記事末尾の武蔵小杉ライフ公式Youtubeチャンネルのガイド動画もご参照ください。
多聞寺は1458年(長禄2年)、平氏の流れをくむ武州の豪族・石井源左衛門がこの地で毘沙門天の社を見出し、堂宇を再建したとされています。
現在の本尊である不動明王が勧請されたのは寛永年間で、近江の法印尊義和尚が石井氏の菩提を弔って堂宇を建立し、ご本尊として安置したということです。
そのような経緯で、ここでは毘沙門天が祭られています。
毘沙門天はインドの神様で「栄光」を象徴し、手に持った多宝塔で財宝を授け、また外敵を打ち払う戦勝の神様でもあり、内なる煩悩も払ってくれるとされています。
よく説法を聞くことから「多聞天」とも呼ばれ、「東樹院多聞寺」の名前の由来にもなっています。
■毘沙門天のお堂
そしてこちらも過去にあまりご紹介していなかったのですが、多聞寺の境内には毘沙門天のお堂があります。
この中に祭られた毘沙門天の像は、色鮮やかなものでした。
■御朱印の受付
多聞寺の御朱印の受付は、立派な建物です。
建物の前には近隣の宝蔵寺、次にご紹介する西明寺への地図も毎年掲示されています。
■西明寺(大黒天)の参道
多聞寺の案内に従って到着したのが、中原街道の「カギ道」近くの西明寺です。
西明寺の創建時期は不明ですが、北条時頼の信仰が厚く、北条氏ともゆかりの深い神社です。
江戸時代には徳川家康港がたびたび鷹狩りで訪れたということで、かつての中原街道の中心的存在だったことはよく知られています。
西明寺は中原街道からの長い参道が美しく、お勧めできる風景です。
■「川崎七福神」目印ののぼり
川崎七福神の7つの寺院には、期間中赤いのぼりが立てられています。
これが目印になりますので、初めてでも比較的寺院を見つけやすいと思います。
■「七福神」ののぼり
西明寺では、参道に色とりどりの「七福神」ののぼりが立っているのが特徴です。
これらも参道の風景を効果的に彩っていました。
■西明寺の山門
西明寺の山門にも、「川崎七福神」の提灯と、「謹賀新年」の看板がありました。
■西明寺の境内
■大黒天の像
西明寺では、大黒天が祭られています。
大黒天はインドの神様で「財富」を象徴し、働き者のために打ち出の小槌をふるって富をもたらすとされています。
頭にかぶった頭巾は、「上を見ず、うつむいて働け」との教えで、勤労が徳であり、怠惰な者の頭を打つのが小槌であるということです。
■西明寺の御朱印受付
西明寺の御朱印受付は、本堂の隣にあります。
ここでは過去にご紹介した「だるまのおみくじ」なども販売しています。
■参拝者用のトイレ
川崎七福神は、寒い中自転車でも2時間程度かかります。
途中、トイレに行きたくなる方も多いと思いますが、西明寺には車いすでも使える立派な参拝者用トイレが設置されています。
西明寺は川崎七福神の中でも中間にありますので、ここでトイレに行っておくとよいかもしれません。
■大楽院(恵比寿神)
西明寺から中原街道を経由し、綱島街道を渡った先に「大楽院」があります。
すぐ隣が「丸子山王日枝神社」です。
大楽院は真言宗豊山派で、奈良県の長谷寺の直轄寺院です。
1704年(元禄17年)の長谷寺末寺帳や「武蔵風土記稿」などに、かなりの寺格を有していたことが伺われる記述が残されています。
■御開帳されていた恵比寿堂
■お堂の中に並んだ恵比寿様
大楽院で祭られているのは「恵比寿天」です。
七福神の中では唯一の日本の神様で、「清心」を象徴します。
イザナギとイザナミの3番目の御子として生まれたとする説も有力な海の守り神です。釣竿をかついだ姿で、おめでたい「えびす顔」が有名です。
当初は漁業者の神様でしたが、海産物の売買を通して商売繫盛の神様として信仰されるようになりました。
江戸時代の名僧・天界僧正によれば、恵比寿神は律儀、福徳、収穫・良果の3つの徳を讃えているということです。
境内の恵比寿天は「恵比寿堂」の中に安置されています。
過去にご紹介した時はいずれもお堂が閉まっていたのですが、今回は御開帳されていましたので、恵比寿様をよく拝観することができました。
■御朱印はセルフサービス
大楽院の御朱印は、「人員不足のため」例年セルフサービスになっています。
200円は浄財箱に入れまして、現地に掲示されている見本通りに御朱印スタンプを押します。
なお、大楽院から「川崎七福神巡り」を始める場合は、インターホンなどで人を呼ぶことになりますが、他の寺院からスタートしたほうが簡便でしょう。
■お線香の着火機も
■お線香をあげて参拝
またセルフサービスの御朱印の隣には、同じくセルフサービスで100円のお線香もありました。
着火機がありますので、これで着火して本堂前にお線香をあげることができます。
■長寿院無量寺(寿老人)
■寿老人の像
大楽院の前の道路をまっすぐ南下していくと、中丸子児童公園前で「無量寺」に到着します。
1580年(天正8年)に覚源和尚により開創され、村の豪士・野村七左衛門が帰依して無量寺を菩提寺としたとされています。
本堂は残念ながら1945年に戦災で焼失しましたが、戦災を逃れた都内の寺院から、築200年以上の本堂を譲り受けて移築したのが現在の本堂です。
無量寺では寿老神を祭っています。
寿老神は中国の神様で、名前の通り「長命」を司っています。
手にした巻物には人命の長さが記され、長寿の守りとされている鹿を常に伴っています。
鹿は千五百歳で、その肉を食べた者は2千年の長寿が得られ、杖の先に結びつけられた軸は人の寿命を記した帳簿であるとされています。
■御朱印の受付
■セルフサービスも可能
また無量寺では、有人の御朱印受付のほか、行列になっている場合など、お急ぎの方向けにセルフサービスコーナーを利用することも可能でした。
■休憩場所
■参拝者用のトイレも
また長寿院無量寺には、休憩できる場所の他、トイレもありました。
疲れてきたら、無理せず座って休むのもよいでしょう。
■大楽寺(布袋尊)
■布袋尊の像
無量寺から最後の大楽寺に最短で到達するのは、ルートが複雑です。
途中に南武線・横須賀線・府中街道がありますので、地図上で直線的に最短距離を進むことができません。
細かい路地を使うと迷う可能性もありますので、無量寺から少し北に戻って、御幸踏切や向河原駅前踏切で横須賀線を渡ってから綱島街道を南下し、木月4丁目交差点を左折するのが一番シンプルと考え、弊紙ではお勧めしています。
「大楽寺」は、大楽幼稚園が併設されている寺院で、胎蔵界大日如来が本尊です。
創建については明らかでありませんが、中興開山は1741年(天文6年)法印智法によるとされています。
また、大楽寺には「大楽幼稚園」が併設されています。
大楽寺には、「寛容」や和合、笑いを象徴する中国の神様「布袋尊」が祭られています。
七福神の中では唯一実在したとされている人物で、恰幅の良いお姿が、親しみやすい印象を与えます。家内安全や学業成就にご利益があるとされ、布袋尊を拝むことで寛容な心が得られるということです。
■七福神は本堂でセルフサービス
■本堂
■セルフサービスの御朱印
大楽寺では、2020年には本堂の中に人がいて御朱印を押してくださったのですが、現在はセルフサービスになっています。
■本堂にはたくさんの布袋尊
本堂には、実にたくさんの布袋尊の像がありました。
それぞれにタイプが異なりますので、ひとつひとつ見ていくと楽しいです。
また、「袖の下」からお賽銭をあげられる布袋様もお馴染みです。
■サザエさんファミリーの像
そして本堂にはなぜか、サザエさんファミリーの像もありました。
こちらもよくできていますね。
■日付の記入は有人対応
布袋尊ですべての御朱印が揃ったことで、希望される方は最後に御朱印帳が完成した日を、参拝日として記入いただくことができます。
これはさすがにセルフサービスではなく、大楽寺で書いていただけます。
本サイトでは大楽寺を最後に回っていますが、ほかの寺院を最後にしても問題ありません。
ただし、完全セルフサービスの大楽院を一番最後にした場合、日付を自分で書くことはできませんから、一応有人対応が可能な寺院を最後に回したほうがよいでしょう。
■完成した御朱印帳
こうして、見事に御朱印帳が完成しました。
それなりに労力がかかりますので、満足感があります。
なお、毎回申し上げておりますが、「川崎七福神巡り」はスタンプラリーというわけではなく、各寺院を巡拝していくのが本来の趣旨となっています。
参加者の方も皆さん、最初にお参りされていました。
最短でスタンプを押していくよりも、達成感も得られると思います。
2025年の「川崎七福神巡り」は1月7日(火)までで、まだ2日間あります。
時間は9:00~16:30ですので日中お仕事がある方はもう難しいと思いますが、時間のある方は最後にトライしてみても良いと思います。
■武蔵小杉ライフ公式Youtubeチャンネル 中原区の招福スタンプラリー!川崎七福神巡り
最後に、昨年公開した武蔵小杉ライフ公式Youtubeチャンネル「川崎七福神巡り」のガイド動画を再掲しておきます。
弊紙推奨のルート(早送り)も動画で完全収録していますので、ご参考にどうぞ。
【関連リンク】
・武蔵小杉ライフ:生活情報:神社・仏閣
・川崎七福神 ウェブサイト
・2008/12/30エントリ 新年御開帳・川崎七福神巡り
・2009/1/2エントリ 武蔵小杉の2009年除夜の鐘と初詣
・2012/12/31エントリ 丸子山王日枝神社の2013年始行事と、大楽院の「川崎七福神」
・2016/12/22エントリ 多摩川の築堤を直訴「アミガサ事件」による「有吉堤」完成から100年。八幡大神・中丸子児童公園の記念碑と遺構をめぐる
・2017/1/3エントリ 中原区の7寺院をめぐる、福運スタンプラリー。2017年1月7日(土)まで実施中「川崎七福神めぐり」完遂レポート ・2020/1/6エントリ 中原区の7寺院で、幸福を呼ぶ御朱印集め。2020年の「川崎七福神めぐり」
・2024/1/3エントリ 中原区の招福スタンプラリー!2024年の「川崎七福神巡り」推奨ルート完全ガイド