川崎フロンターレ小林悠選手が現役引退会見を実施、太陽のような笑顔とサポーター思う涙(コメント全文掲載)
本日、川崎フロンターレの小林悠選手が、2027年1月1日をもって現役引退することを発表しました。
川崎市麻生区の川崎フロンターレクラブハウスにおいて記者会見が行われましたので、弊紙では登壇した小林悠選手・脇坂泰斗選手・向島建スカウトのコメント全文を掲載いたします。
■川崎フロンターレ小林悠選手が現役引退会見を実施、太陽のような笑顔とサポーター思う涙
小林悠選手は、東京都町田市出身で、拓殖大学を経て2010シーズンに川崎フロンターレに加入しました。
拓殖大学在学中にJリーグ特別指定選手として水戸ホーリーホックでの試合出場がありますが、基本的に川崎フロンターレの「ワンクラブマン」として17シーズンにわたりクラブを支えてきました。
加入以来、あと一歩でタイトルに手が届かない状況でしたが、キャプテンに就任した2017シーズンにキャリアハイとなる23得点を挙げ、J1初優勝の原動力となりました。
このシーズンは得点王・MVPを獲得し、川崎市に大きな喜びをもたらしました。
またファンサービスや地域貢献活動にも先陣を切って取り組み、後輩らを牽引する姿は、中村憲剛さん引退後に川崎フロンターレを象徴する選手として多くの方に愛されてきました。
その小林悠選手が現役引退を決意し、事前には内容を伏せる形で本日麻生区のクラブハウスで記者会見が行われました。
■最寄り駅の小田急線栗平駅の看板
■麻生グラウンドに整備されたクラブハウス

川崎フロンターレは、川崎市麻生区に「麻生グラウンド」と併設のクラブハウスを保有しています。
ここがトップチームなどの練習拠点であり、また直近ではU-21Jリーグの試合会場としても活用されるようになりました。
多くの選手らがこのグラウンドから成長していく「はじまりの地」として、最寄り駅の小田急線栗平駅にも看板が出ています。
小林悠選手も、この麻生グラウンドで長い年月を過ごしてきました。
■記者会見は11時スタート
■司会は高木聖佳さん
■会見場の花は平間銀座商店街の「花重」

記者会見は、小林悠選手の背番号でもある「11」時にスタートしました。
また本日9月23日は同選手の誕生日でもあり、これらの符号から「小林悠選手の会見ではないか」ということは多くのサポーターらが想像していたようです。
会見場に飾られた青いバラなどの綺麗な花は、平間銀座商店街の「花重」さんが手掛けられたものでした。
それでは以下、記者会見のQ&Aを全文書き起こしでお伝えいたします。
(小林悠選手)
お集まりいただきありがとうございます。 2010年からフロンターレに加入して17年目のシーズンなんですけど、これだけ長くひとつのクラブで現役を続けられていること、本当に幸せに思っています。
今日皆さんにお伝えしたいことは、今シーズンの2027年の12月いっぱい…2026年ですね、すみません。2026年の12月いっぱい(※正確には2027年1月1日)で引退することを決めました。 そのことについてお話したいと思うので、今日、よろしくお願いします。

--現在の心境は。
(小林悠選手)
そうですね。プロサッカー選手をやっていればいつか誰しもが来る日が来たなというか。でも、自分の中ではもう決めていたことなので、今こうやって皆さんの前で話することでホッとしているというか、そういう気持ちです。
--引退を決断した要因は。
(小林悠選手)
そうですね。 一番決め手になったことは、 自分自身のことを自分が信じきれなくなってしまったというのが一番の理由で、やっぱり気持ちでプレーしている部分が多かったので。
それができないなら選手を退くべきだなと思い、決断しました。

--いつ頃決断したか。
(小林悠選手)
細かく言えば。 プロである程度活躍するようになってから、フォワードとして活躍するようになってから、シーズンを通して1点も取れなかったらフォワードとして辞めるべきだなというのはずっと思っていたので。
百年構想の前のシーズンですね。 アウェーのガンバ戦でゴールを決めたんですけど、その日たまたま、たまたまというか、もうその時も年齢はかなりいっていたので。 引退というのもちょっとよぎっている時期でもあって。 そのガンバ戦の前に妻に LINE をしていて、今日決めれなかったらサッカー辞めるかもしれない、引退するかもしれないっていう話はしていて。
で、決めることができたので、そのシーズンは辞めなかったんですけど、その後の百年構想リーグでゴールを決めれなかったら引退しようかなと思っている中で、最後怪我をしてしまってピッチに立てなかったので。
強化部のタケさんとか、吉田社長とかと話をして、「まあでも、やっぱり最後、応援してくれてくれたサポーターのためにもピッチに立つべきじゃないか」ということを言っていただいて。でも自分の中でもう1年間、体と心と向き合ったときに、ちょっと頑張れないなっていう自分がいたので、 ちょっと特別な形で、12月いっぱいでの引退という形になりました。

--本日誕生日だが、このタイミングでの発表になった経緯は。
(小林悠選手)
えー、まあ、そうですね、強化部の方とも相談して、やっぱり長く応援してくれているサポーターの方たちにもなるべく早い時期に知ってもらって、最後の僕の引退までの姿を見てもらう方がいいんじゃないあなというところで、39歳という切りのいい日だったので決めました。
--会場までの通路に小林選手の写真が飾られていたが。
(小林悠選手)
いや、本当に知らなかったので、階段を上ってくる中でいろんなことが思い出されましたし、あの悔しかった試合だったり、タイトルを獲った試合だったり懐かしいなっていう試合がたくさんあって、嬉しく思いましたけど。
最後、家族の写真だけはちょっと、ちょっと会見前に見るもんじゃなかったなというか、ちょっと涙を流してしまったので。見なきゃよかったなと思いました(笑)

--誰かに相談したか。
(小林悠選手)
憲剛さんだったり、幼馴染の小野寺達也だったり、それこそ百年構想リーグで、引退しようか迷った時に、オニさんにもご相談したんですけど、なんか出てくれなくて。多分自分が、そういうことを考えてるなと思いっていたから多分出なかったっていう風に、最近になって知ったんですけど。
うーん、だから、あとは基本的には自分が自分で決めたことが大きかったと思います。
--プレーヤーしても盟友だった中村憲剛さんにかけられた言葉は。
(小林悠選手)
いや、憲剛さんは「やっぱり百年構想で辞めるのは違うんじゃないか」っていう風に言ってくれて。 そうですね、憲剛さんがもし1年頑張れないなら半年でも、悠ならたぶん言えば、大竹さんも力になってくれるんじゃない? っていう風に言ってくれたので、その憲剛さんの助言はすごいありがたかったですね。
--チームメイトにも伝えたか。
(小林悠選手)
はい。 先週のオフ明けとかに、何日だったかな。1週間前だったかな。鹿島戦始まる前に選手のみんなには、お伝えさせていただいて。 まあ一応その前に、僚太(大島僚太選手)と、アキ君(家長昭博選手)と、丸(丸山祐市選手)には個別に話したんですけど、チームメイトには先週話しました。

--印象に残っている言葉は。
(小林悠選手)
僚太は…なんていうのかな、「そうですか」っていう風に聞いてくれた感じで、アキ君はやっぱり。 その、なんていうかな、みんなの前で話した後も一緒に泣いて抱き合ってくれて。 本当にこの年齢までやってる数少ない仲間なので、アキ君にしかわからないこともあるだろうし、すごく一緒にやってくれたことが嬉しかったですし。
で、丸は、丸はちょっと本当に仲良くなりすぎて、いつでも話せたんですけど。 ふざけた話ばっかしちゃうので、なかなかそういう話はできくて。アキ君が間違ってぼそっと漏らしちゃって、僕より先に丸に話しちゃったので、それを聞いて僕は丸に電話して。
でも、丸にはノボリと章太みたいな存在がいなくなって、丸がいてくれて本当に助かったっていう話をして。
丸はなんかまだ「僕は悠君の引退はまだあきらめてないですからね」なんて言っていたので、はい。まあ本当にあの3人の存在は自分にとって大きかったと思いますね。
--サポーターに対する思いは。
(小林悠選手)
いや、本当に、ここ数年は苦しいことが多くて。
試合に出れない日だったり、も本当に怪我が多くて、なかなか絡めない日でもやっぱり11番のユニフォームを着て、僕が出ないのに来てくれて応援してくれてる人の姿を見ると。 何回でもこうもう一回頑張らなきゃなと思えたし。
最近の方は自分が自分を信じれなかったんですけど、それでも自分を信じてくれるサポーターがいたから、なんとここまでやって来れたと思うんで。感謝しかないですし。本当にその人たちと、家族の妻と息子たちのために、最後の3か月ですね。本当にどんな形でもいいので。その人たちにゴールする姿を絶対に見せたいと。感謝の気持ちを返したいと。 思っています。

--背番号11に対する思いは。
そうですね、多分僕がつける前は外国籍選手の11番が多かったと思うんですけど、2年目に当時の庄司さんが11番を付けてみなかっていう風に言っていただいて、自分にプレッシャーかける意味でも付けたいなと思って。まさかこんなに長く付けられるとは思っていなかったので、本当に重みのある番号だと思ってますし、フロンターレの11番といえっば小林悠だっていう風に、自分の番号にできたことはすごい嬉しく思っています。
--また背番号11をサポーターに掲げたい思いは。
本当に残り3か月の間に、やっぱりチームでの競争もありますし、そんな簡単なことではないと思っているんですけど、でもやっぱり先ほども言いましたけど、応援してくれているサポーターに、11番を着て等々力に来てくれているサポーターの皆さんに、もう一度ゴールする姿だったり、戦う姿。 自分の ギラギラした気持ちをもう一度最後見せられるようにしっかりコンディションを上げて終始頑張っていたらなと思います。
(フォトセッションにて「11」ポーズも)

--勝利のメンタリティの継承やリスペクトの気持ちについて。
継承していくっていうのはなかなか難しいことだなとは思いますけど、でも優勝した時の雰囲気だったり、そういうものを知っている選手が厳しさだったりそういうのを教えていかなければいけないと思います。でもチームも本当に少しずつ強くなってるなというのは感じていて。このままうまくいけばもう1階タイトル取れるチームになっていけるんじゃないかなと、中にいる自分自身感じているので。
やっぱりタイトル取る喜びっていうのも選手にも感じてほしいですし。振り返るとタイトル取ったシーズンとか、そういうシーズンは頭に浮かぶので。僕もまだ3か月ありますけど、辞めた後に何が残るのかっていうとやっぱりタイトルを獲ったことだと思うので。それは今選手、若い選手含めて、そのシーズンにフロンターレにいたんだよっていうことをもしやめてからも語れるような選手になってほしいので、残り3か月でたくさんのことを伝えていければなと思います。

--記憶に残るゴールは。
そうですね、本当にいろんなところまで言ってますけど、初優勝の時の仙台戦の2ゴールだった李、ルヴァンの初タイトルの時の2ゴールもそうですし、思い出すと切りがないというか、初得点を取ったときのアキ君のアシストもそうですし、憲剛さんが引退するときのアシストもそうですし。
自分の一番苦しかった時に、アウェーの京都戦に僚太がアシストしてくれた試合もそうですけど、自分は自分で取ったゴールがほとんどないので、たくさんのパサーだったり仲間、チームメイトに助けられたゴール、本当にどれも自分の中で大切な宝物だと思っています。
--自分を信じられなくなった原因は。
ここ数年、怪我がやっぱ本当に増えていて、筋肉系の怪我ですね。 そこで、例えば試合に出れてる時とか、得点を取れてる時だったら、怪我してもそのリハビリ中に復帰してゴールを決めるイメージっていうのが湧きやすいんですけど、やっぱり年齢を重ねる中で、出場機会も減ってきて、体が思うように動かなくなってくる中で、怪我をしてリハビリをしてっていう中で、復帰した時に自分がゴールを決めるっていう、昔あったギラギラしてたものが少しずつ年齢と共に消えていくのを感じていて。それがこうなっていくにつれて、引退っていうものが明確になってきたっていう感じですかね。
でも引退後を発表して、残り3か月と思った時に、今ギラギラしていたものがないかというと、逆に今また出てきて、残り3ヶ月で自分に何が見せられるだろうかと。3日前くらいに全体合流したんですけど、今はゴールするイメージが自分の中にはありますし、最後しっかりそういうところを見せられるように頑張りたいなと思います。
(再び、ギラギラした姿を -2020シーズンより)撮影:本平基

--他クラブへの移籍や、川崎で引退する思いは。
うーん。 そうですね。 まあやっぱり2016年に移籍のオファーをいただいて、まあそれでもフロンターレ残りたいと思ってタイトルを獲ったことで、その時からも基本的にはフロンターレで、やっぱりこのチームで引退したいという思いが強くなったのと、やっぱりその最後、他のチームに移籍して、最後の試合引退、試合後によくセレモニーとかやるじゃないですか。 その時になったら、もし多分フロンターレから最後引退する間際に1年、2年移籍したチームでセレモニーやったときに、長くフロンターレで僕を応援してくれたサポーターの前で引退できないのって辛いなってすごい思ってしまって。
いろんな人の引退する人のセレモニーとか見る中で、僕はやっぱり11番のフロンターレのユニフォームを着た、今までずっと戦ってきてくれた人の前でそれをしたいなと思ったので、だから最後もこのクラブでって思いました。

--引退後のビジョンは。
そうですね。 僕自身、特に体格に恵まれたわけでもスピードがあるわけでもないですけど、こうやって得点たくさん取れたのこいとには自分なりの考えもあって。
それを指導者としてフォワードを育てるというか、いい選手をフォワードのストライカーとしての、指導者としての、引退後を考えていて。チームに、フロンターレにこのまま残れれば自分的にはベストかなと思いいます。
--フロンターレでの17年間を振り返ってどうか。
いやもう本当に、残り3ヶ月ありますけど、本当に幸せだったなと。怪我があったり、悔しい思いもたくさんしましたけど、それも含めて幸せでしかなかったなと思ってますし、
それこそ安藤に「自分で辞められるタイミングを決めるというのは本当に幸せなことですよ」って言ってもらって、本当にそうだなと。たくさんの人が続けたくても続けられない中で自分でここで辞めるって選択をできたことを本当に嬉しく思いますし、チームの協力があってのことですけど、それも含めて本当に幸せな17年間だったなと思います。
--小林選手にとってフロンターレとは。またフロンターレ期待することは。
フロンターレ自体は本当に自分たちにとってはは自分たちには温かい存在だと思っていて。ほかのチームに移籍したことがないのでわからないんですけど、選手もそうだし、スタッフも本当に温かい人が多くて。
あとはフロンターレやってるいろんな活動、そういうのも含めて本当に大好きなチームですし。
ただ、タイトルだけが足りないと言われてきた中で、それにもしっかりと自分も携わることができて、クラブとして本当に素晴らしいクラブだなと思ってますし。
これからどうなってほしいかっていうのは、本当に変わらずにフロンターレらしさっていうのを無くさないでほしいですし、ファン、サポーターに愛されるクラブで、いろんなことに協力的で、いろんな人を助けられたり、いろんな人を笑顔にできるチームでこれからもあってほしいなと思っています。
あとはアジアでタイトルを獲ってもらえたら最高だなと思います。

--一番印象に残っている出来事は。
出来事。 なんだろう。 嬉しいことはいっぱいあるんですけど。
本当ににありきたりになってしまうですけど、初タイトルを取った時の記憶は本当に今でもすごく覚えていますし、オニさんとか憲剛さんとかと喜び合えたことは、本当に嘘じゃなく一生忘れない出来事だろうなと。
あのスタジアムのサポーターの雰囲気とか、 本当にあの日はなんか、 もうサッカーやめてもいいな、いつやめてもいいなと本当に嘘じゃなく思えた、それぐらい本当に嬉しかった出来事なので。
なんか自分の。 辛かったこととかも本当に全てなくせとというか、このためにやってきたっていう思いがすごいあったので、あの日のことはそうですね、今でもすごく覚えていますし、死ぬまで忘れないだろうなと思います。

--キャプテンとして優勝したことについては。
うーん。 そうですね。 まあ自分がキャプテンだからっていうことは本当に思わないですけど、キャプテンになった時に本当に一つ絶対決めてたことが、絶対このチームで一番勝つことに対して、自分が絶対一番じゃないといけないっていう、そこは譲れなかったですし。 そんなのね、サッカー選手なら誰だって勝ちたいよって思ってると思うんですけど、いや、「俺は絶対、俺のが絶対勝ちたい」って自分が言い切れる。
そういうふうな自分の中のキャプテンのイメージを作ってやっていたので、本当に戦術的なこととかね、いろいろ自分には足りないことたくさんあったと思うんですけど、その気持ちの部分では誰にも譲らないっていうところはキャプテンとしてやれたのかなと。それが本当に全ていい方向に行って結果に繋がったので、その時の自分の行動だったり、そういうのもは間違ってなかったのかなと思います。

--中村憲剛さんとのエピソードは。
本当に現役中もそうですし、引退してからもういつも話し相手になってくれて、上手くいかなかったときにも、今コーチとして来てくれますけど、コーチじゃない時でも連絡取り合ってましたし。 やっぱり一番自分のこと理解してくれている人だと思うので、今回引退に至る中でも、まず誰に話そうってなったときにすぐに憲剛さんが浮かんできましたし。
今自分がなんていうか、引退するってなって思うのは、やっぱりあの人はすごかったなっというか。 憲剛さん本当に何というか、辞める時もみんな「まだできるじゃん」って思ったんですけど、僕は本当に膝も悪いし、体もボロボロというか、やり切って辞めるので、憲剛さん、僕の1個上40でまだあんなやってて、いや、あの人すごいなと。 今この場に立ってより思うように思いました。
--高校の同級生である太田宏介元選手にはどう伝えたか。
そうですね、宏介には電話で伝えたんですけど。 「いや、本当にお疲れ様」って言ってくれて、すごい「本当ここまでよくやったよ」って言ってくれて。
本当に小学生からずっと選抜とかで一緒だった時期もありましたし、高校も一緒なんで、ライバルとして、あとは家庭環境もちょっと似ているところもあって、いろんなところが似ている中で、自分の中で宏介には負けたくないって思いでずっとやってましたし、彼の方が先にプロ行って、自分は大学を卒業してからプロになったんですけど、代表に入ったタイミングも一緒だったり、本当にすごい運命的なところはかなりあると思うので、宏介が先に引退してしまったことは、ちょっと悲しかったところもありますけど、宏介の時もやっぱり本当に小学生から知っている宏介がここまでやって、本当に立派だったなとリスペクトしてますし、宏介も自分のことをそういうふうに言ってくれたので、浩介の存在、同い年でずっと昔からやっているライバルという存在は自分にとってすごく大きかったなと思います。

--息子さんにはどう伝えたか。
息子たちには、パパもう少しでサッカーやめるからねって話を 35、 6ぐらいからちょっと言ってて。 「やだやだ」っていう風に、「まだやれるでしょ」って言ってるんですけど、言ってたんですけど、「でもいつかは来るんだよ」って。 「いつか来ないと、みんなおじいちゃんになってもサッカーしてるでしょ?」 っていう話をして、そんなことできないでしょ? って。「サッカー選手って若くて動ける選手が多いでしょ?」って。「パパ、これでも結構頑張ってる方なんだよ」という話をしていたんですけど。 はい。
でもちゃんと説明していく中で、息子たちは理解してくれましたね。
まあでも、それでも妻の方がちょっと大変で、大変というか、受け入れられないというか。僕はなんかイメージとして、辞めるって言った時に、「お疲れ様」っていうか、「頑張ったね」って言ってくれると思ったんですけど、本当に泣いて泣いて、 1週間泣いて、朝練習行く前に泣いてて、帰ってきたらまだ泣いてるみたいな。1週間ぐらい続いたんですかね。
自分の思ってたのと違かったんですけど、まあでも話していくうちに。 一番そばで自分がケガだったり、いろんな辛い思いしても、結局乗り越えてゴール決めてきたのを一番そばで見てくれてたので。 そうですね、またこういうことがあっても、「やっぱり頑張るって言ってくれると思った」っていうふうに言ってくれたんですけど、自分の中でいつかは来る日が来たんだなって思っていますし、そういう風に説明をして、少しずつ妻の中でも整理ができるようになってきたのかなと思います。
--J1歴代7位の得点の「被害者」である他クラブの選手・サポーターについては。
いや、本当にあの、どのスタジアムに行ってもいい雰囲気を作ってもらいましたし。
なんかね、札幌とかは僕を到着させないように、なんか SNS でいろいろやってくれたりとか、いろんな面白い仕掛けを作ってくれたり。 まあでもなんか愛があるなというか。
はい。 それだけ相手チームに嫌がられる選手になれたっていうのは自分自身嬉しく思いますし。まあでも本当にどのアウェイのスタジアムに行っても、やっぱりなんか僕はそういう雰囲気が好きなので、余計燃えるというか。選手にとって本当にありがたかったなと思います。

そして、Q&Aのあとは、小林悠選手をスカウトした、強化部の向島建(たつる)さんが登場して、花束贈呈が行われました。
向島スカウトのコメントをお伝えします。
■小林悠選手と向島建スカウト

(向島スカウト)
17年間本当にありがとう。 スカウトやって5、6年の時に声をかけさせてもらって、自分でも間違ってなかったなって今思います。
本当にあの頃のフロンターレに来てくれて、フロンターレを選んでくれてありがとう。
これだけの活躍、本当にスカウトみょうりに尽きる。あと3か月、いいプレーをね。ゴールを決めてください。
続いて、キャプテンの脇坂泰斗選手からも、花束贈呈がありました。
脇坂泰斗選手は涙に言葉をつまらせながら、メッセージを届けました。
■小林悠選手と脇坂泰斗選手

(脇坂泰斗選手)
この花束贈呈という仕事はすごい光栄なことですけど、同時に一番嫌な仕事でもありました。
悠さんを愛したサポーターの方だったり、スタッフ、チームメイトを代表してやれること…こんな泣くつもりで来てないんですけど、ちょっと耐えれなくて本当にすみません。

皆さん、悠さんからもらったものはたくさんあると思いますし、僕もその中の一人で、1年目の辛い時期に、上辺だけのなぐさめの言葉ではなくて、自分に物足りないものだったり、自信を持っていいところだったりっていうところを明確に言葉にしてくれて、お前と一緒にプレーしたいんだっていうところを言ってもらえたから、必死に食らいつきましたし。
初めて僕がスタメン出た時、初アシストとは悠さんに。その試合後に…(言葉にならない)ここから頑張ろうって、なんか仲間として認められた感がすごい嬉しくて。そこからいろんなものをもらえました。 勇気ももらえましたし。 悠さんと過ごした時間。本当に宝物ですし。
なんかさっき僕が聞いてたより引退が 1年延びてたんですけど、なんだ、まだ 1年半あるのかと。 はい。 ちょっとそういう天然なところも皆さんと一緒で大好きですし。
この長い現役生活の中で、体も心も酷使してたんだろうなっていうのを近くで見て。 残りの 3ヶ月は…自分の思うようにプレーしてほしいなと思いますし、でもただ応援してくれてるサポーターだったり、家族、チームメイトのためにプレーするのが悠さんだと思うので、最後一緒に天皇杯取れるように、僕もキャプテンとしてしっかり一緒にチームを引っ張っていきたいなと思います。
ありがとうございました。
■天然ぶりを突っ込まれて笑う小林悠選手

--2人からのメッセージを受けてどうか。
(小林悠選手)
いやもうタツルさん(向島スカウト)は本当に自分を見つけてくれた人なので、本当に感謝しかないですし、ヤストはね、本当に自分の弟のような存在で、みんなに発表前にヤストに個別で言わなかったのは、ヤストの泣いた顔が見たかったんで(笑)、あえて言わなかったんですけど。
うん。 本当にキャプテンとしてチームを引っ張っていってくれてるんで、タイトルを一緒に取れたら嬉しいなと思います。
--復帰の目安は。
(小林悠選手)
今一応10月3日にあるU21の試合に、もし少しでも出れたら一番いい形なのかなというふうに、そこに今コンディションを向けて上げていってる状態です。
--引退までに見せたいものは。
(小林悠選手)
いや、もう誰よりもゴールを欲してる姿を見せたいですし、きっと自分のユニフォームを着ているサポーターはそういうところを見たいと思ってると思うので、そういう姿とゴールを見せられるように頑張りたいと思います。

■フォトセッションで引退会見は終了

最後にフォトセッションを行って、小林悠選手の引退発表記者会見は終了しました。
小林悠選手の人柄そのものの、太陽のような笑顔が随所にみられつつ、ファン・サポーターのことを思う涙も印象的でした。
会見は川崎フロンターレのYouTubeチャンネルで配信され、アーカイブも視聴が可能です。詳細は関連リンクより、本日開設された「小林悠引退特設サイト」をご覧ください。
本記事では、その約1時間弱の会見の全文を書き起こしております。
一度会見を御覧になった方も、あらためてお読みいただければ幸いです。
■武蔵小杉ライフ公式Instagram
また武蔵小杉ライフ公式YouTubeチャンネル/Instagram/TikTokでも、本日の会見を30秒弱にまとめたショート動画を公開しております。
こちらは本日先行して公開し、すでにたいへんご好評をいただいておりますので、あわせてご視聴ください。
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・小林悠選手 引退特設サイト
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川崎市麻生区の川崎フロンターレクラブハウスにおいて記者会見が行われましたので、弊紙では登壇した小林悠選手・脇坂泰斗選手・向島建スカウトのコメント全文を掲載いたします。
■川崎フロンターレ小林悠選手が現役引退会見を実施、太陽のような笑顔とサポーター思う涙
小林悠選手は、東京都町田市出身で、拓殖大学を経て2010シーズンに川崎フロンターレに加入しました。
拓殖大学在学中にJリーグ特別指定選手として水戸ホーリーホックでの試合出場がありますが、基本的に川崎フロンターレの「ワンクラブマン」として17シーズンにわたりクラブを支えてきました。
加入以来、あと一歩でタイトルに手が届かない状況でしたが、キャプテンに就任した2017シーズンにキャリアハイとなる23得点を挙げ、J1初優勝の原動力となりました。
このシーズンは得点王・MVPを獲得し、川崎市に大きな喜びをもたらしました。
またファンサービスや地域貢献活動にも先陣を切って取り組み、後輩らを牽引する姿は、中村憲剛さん引退後に川崎フロンターレを象徴する選手として多くの方に愛されてきました。
その小林悠選手が現役引退を決意し、事前には内容を伏せる形で本日麻生区のクラブハウスで記者会見が行われました。
■最寄り駅の小田急線栗平駅の看板
■麻生グラウンドに整備されたクラブハウス

川崎フロンターレは、川崎市麻生区に「麻生グラウンド」と併設のクラブハウスを保有しています。
ここがトップチームなどの練習拠点であり、また直近ではU-21Jリーグの試合会場としても活用されるようになりました。
多くの選手らがこのグラウンドから成長していく「はじまりの地」として、最寄り駅の小田急線栗平駅にも看板が出ています。
小林悠選手も、この麻生グラウンドで長い年月を過ごしてきました。
■記者会見は11時スタート
■司会は高木聖佳さん
■会見場の花は平間銀座商店街の「花重」

記者会見は、小林悠選手の背番号でもある「11」時にスタートしました。
また本日9月23日は同選手の誕生日でもあり、これらの符号から「小林悠選手の会見ではないか」ということは多くのサポーターらが想像していたようです。
会見場に飾られた青いバラなどの綺麗な花は、平間銀座商店街の「花重」さんが手掛けられたものでした。
それでは以下、記者会見のQ&Aを全文書き起こしでお伝えいたします。
(小林悠選手)
お集まりいただきありがとうございます。 2010年からフロンターレに加入して17年目のシーズンなんですけど、これだけ長くひとつのクラブで現役を続けられていること、本当に幸せに思っています。
今日皆さんにお伝えしたいことは、今シーズンの2027年の12月いっぱい…2026年ですね、すみません。2026年の12月いっぱい(※正確には2027年1月1日)で引退することを決めました。 そのことについてお話したいと思うので、今日、よろしくお願いします。

--現在の心境は。
(小林悠選手)
そうですね。プロサッカー選手をやっていればいつか誰しもが来る日が来たなというか。でも、自分の中ではもう決めていたことなので、今こうやって皆さんの前で話することでホッとしているというか、そういう気持ちです。
--引退を決断した要因は。
(小林悠選手)
そうですね。 一番決め手になったことは、 自分自身のことを自分が信じきれなくなってしまったというのが一番の理由で、やっぱり気持ちでプレーしている部分が多かったので。
それができないなら選手を退くべきだなと思い、決断しました。

--いつ頃決断したか。
(小林悠選手)
細かく言えば。 プロである程度活躍するようになってから、フォワードとして活躍するようになってから、シーズンを通して1点も取れなかったらフォワードとして辞めるべきだなというのはずっと思っていたので。
百年構想の前のシーズンですね。 アウェーのガンバ戦でゴールを決めたんですけど、その日たまたま、たまたまというか、もうその時も年齢はかなりいっていたので。 引退というのもちょっとよぎっている時期でもあって。 そのガンバ戦の前に妻に LINE をしていて、今日決めれなかったらサッカー辞めるかもしれない、引退するかもしれないっていう話はしていて。
で、決めることができたので、そのシーズンは辞めなかったんですけど、その後の百年構想リーグでゴールを決めれなかったら引退しようかなと思っている中で、最後怪我をしてしまってピッチに立てなかったので。
強化部のタケさんとか、吉田社長とかと話をして、「まあでも、やっぱり最後、応援してくれてくれたサポーターのためにもピッチに立つべきじゃないか」ということを言っていただいて。でも自分の中でもう1年間、体と心と向き合ったときに、ちょっと頑張れないなっていう自分がいたので、 ちょっと特別な形で、12月いっぱいでの引退という形になりました。

--本日誕生日だが、このタイミングでの発表になった経緯は。
(小林悠選手)
えー、まあ、そうですね、強化部の方とも相談して、やっぱり長く応援してくれているサポーターの方たちにもなるべく早い時期に知ってもらって、最後の僕の引退までの姿を見てもらう方がいいんじゃないあなというところで、39歳という切りのいい日だったので決めました。
--会場までの通路に小林選手の写真が飾られていたが。
(小林悠選手)
いや、本当に知らなかったので、階段を上ってくる中でいろんなことが思い出されましたし、あの悔しかった試合だったり、タイトルを獲った試合だったり懐かしいなっていう試合がたくさんあって、嬉しく思いましたけど。
最後、家族の写真だけはちょっと、ちょっと会見前に見るもんじゃなかったなというか、ちょっと涙を流してしまったので。見なきゃよかったなと思いました(笑)

--誰かに相談したか。
(小林悠選手)
憲剛さんだったり、幼馴染の小野寺達也だったり、それこそ百年構想リーグで、引退しようか迷った時に、オニさんにもご相談したんですけど、なんか出てくれなくて。多分自分が、そういうことを考えてるなと思いっていたから多分出なかったっていう風に、最近になって知ったんですけど。
うーん、だから、あとは基本的には自分が自分で決めたことが大きかったと思います。
--プレーヤーしても盟友だった中村憲剛さんにかけられた言葉は。
(小林悠選手)
いや、憲剛さんは「やっぱり百年構想で辞めるのは違うんじゃないか」っていう風に言ってくれて。 そうですね、憲剛さんがもし1年頑張れないなら半年でも、悠ならたぶん言えば、大竹さんも力になってくれるんじゃない? っていう風に言ってくれたので、その憲剛さんの助言はすごいありがたかったですね。
--チームメイトにも伝えたか。
(小林悠選手)
はい。 先週のオフ明けとかに、何日だったかな。1週間前だったかな。鹿島戦始まる前に選手のみんなには、お伝えさせていただいて。 まあ一応その前に、僚太(大島僚太選手)と、アキ君(家長昭博選手)と、丸(丸山祐市選手)には個別に話したんですけど、チームメイトには先週話しました。

--印象に残っている言葉は。
(小林悠選手)
僚太は…なんていうのかな、「そうですか」っていう風に聞いてくれた感じで、アキ君はやっぱり。 その、なんていうかな、みんなの前で話した後も一緒に泣いて抱き合ってくれて。 本当にこの年齢までやってる数少ない仲間なので、アキ君にしかわからないこともあるだろうし、すごく一緒にやってくれたことが嬉しかったですし。
で、丸は、丸はちょっと本当に仲良くなりすぎて、いつでも話せたんですけど。 ふざけた話ばっかしちゃうので、なかなかそういう話はできくて。アキ君が間違ってぼそっと漏らしちゃって、僕より先に丸に話しちゃったので、それを聞いて僕は丸に電話して。
でも、丸にはノボリと章太みたいな存在がいなくなって、丸がいてくれて本当に助かったっていう話をして。
丸はなんかまだ「僕は悠君の引退はまだあきらめてないですからね」なんて言っていたので、はい。まあ本当にあの3人の存在は自分にとって大きかったと思いますね。
--サポーターに対する思いは。
(小林悠選手)
いや、本当に、ここ数年は苦しいことが多くて。
試合に出れない日だったり、も本当に怪我が多くて、なかなか絡めない日でもやっぱり11番のユニフォームを着て、僕が出ないのに来てくれて応援してくれてる人の姿を見ると。 何回でもこうもう一回頑張らなきゃなと思えたし。
最近の方は自分が自分を信じれなかったんですけど、それでも自分を信じてくれるサポーターがいたから、なんとここまでやって来れたと思うんで。感謝しかないですし。本当にその人たちと、家族の妻と息子たちのために、最後の3か月ですね。本当にどんな形でもいいので。その人たちにゴールする姿を絶対に見せたいと。感謝の気持ちを返したいと。 思っています。

--背番号11に対する思いは。
そうですね、多分僕がつける前は外国籍選手の11番が多かったと思うんですけど、2年目に当時の庄司さんが11番を付けてみなかっていう風に言っていただいて、自分にプレッシャーかける意味でも付けたいなと思って。まさかこんなに長く付けられるとは思っていなかったので、本当に重みのある番号だと思ってますし、フロンターレの11番といえっば小林悠だっていう風に、自分の番号にできたことはすごい嬉しく思っています。
--また背番号11をサポーターに掲げたい思いは。
本当に残り3か月の間に、やっぱりチームでの競争もありますし、そんな簡単なことではないと思っているんですけど、でもやっぱり先ほども言いましたけど、応援してくれているサポーターに、11番を着て等々力に来てくれているサポーターの皆さんに、もう一度ゴールする姿だったり、戦う姿。 自分の ギラギラした気持ちをもう一度最後見せられるようにしっかりコンディションを上げて終始頑張っていたらなと思います。
(フォトセッションにて「11」ポーズも)

--勝利のメンタリティの継承やリスペクトの気持ちについて。
継承していくっていうのはなかなか難しいことだなとは思いますけど、でも優勝した時の雰囲気だったり、そういうものを知っている選手が厳しさだったりそういうのを教えていかなければいけないと思います。でもチームも本当に少しずつ強くなってるなというのは感じていて。このままうまくいけばもう1階タイトル取れるチームになっていけるんじゃないかなと、中にいる自分自身感じているので。
やっぱりタイトル取る喜びっていうのも選手にも感じてほしいですし。振り返るとタイトル取ったシーズンとか、そういうシーズンは頭に浮かぶので。僕もまだ3か月ありますけど、辞めた後に何が残るのかっていうとやっぱりタイトルを獲ったことだと思うので。それは今選手、若い選手含めて、そのシーズンにフロンターレにいたんだよっていうことをもしやめてからも語れるような選手になってほしいので、残り3か月でたくさんのことを伝えていければなと思います。

--記憶に残るゴールは。
そうですね、本当にいろんなところまで言ってますけど、初優勝の時の仙台戦の2ゴールだった李、ルヴァンの初タイトルの時の2ゴールもそうですし、思い出すと切りがないというか、初得点を取ったときのアキ君のアシストもそうですし、憲剛さんが引退するときのアシストもそうですし。
自分の一番苦しかった時に、アウェーの京都戦に僚太がアシストしてくれた試合もそうですけど、自分は自分で取ったゴールがほとんどないので、たくさんのパサーだったり仲間、チームメイトに助けられたゴール、本当にどれも自分の中で大切な宝物だと思っています。
--自分を信じられなくなった原因は。
ここ数年、怪我がやっぱ本当に増えていて、筋肉系の怪我ですね。 そこで、例えば試合に出れてる時とか、得点を取れてる時だったら、怪我してもそのリハビリ中に復帰してゴールを決めるイメージっていうのが湧きやすいんですけど、やっぱり年齢を重ねる中で、出場機会も減ってきて、体が思うように動かなくなってくる中で、怪我をしてリハビリをしてっていう中で、復帰した時に自分がゴールを決めるっていう、昔あったギラギラしてたものが少しずつ年齢と共に消えていくのを感じていて。それがこうなっていくにつれて、引退っていうものが明確になってきたっていう感じですかね。
でも引退後を発表して、残り3か月と思った時に、今ギラギラしていたものがないかというと、逆に今また出てきて、残り3ヶ月で自分に何が見せられるだろうかと。3日前くらいに全体合流したんですけど、今はゴールするイメージが自分の中にはありますし、最後しっかりそういうところを見せられるように頑張りたいなと思います。
(再び、ギラギラした姿を -2020シーズンより)撮影:本平基
--他クラブへの移籍や、川崎で引退する思いは。
うーん。 そうですね。 まあやっぱり2016年に移籍のオファーをいただいて、まあそれでもフロンターレ残りたいと思ってタイトルを獲ったことで、その時からも基本的にはフロンターレで、やっぱりこのチームで引退したいという思いが強くなったのと、やっぱりその最後、他のチームに移籍して、最後の試合引退、試合後によくセレモニーとかやるじゃないですか。 その時になったら、もし多分フロンターレから最後引退する間際に1年、2年移籍したチームでセレモニーやったときに、長くフロンターレで僕を応援してくれたサポーターの前で引退できないのって辛いなってすごい思ってしまって。
いろんな人の引退する人のセレモニーとか見る中で、僕はやっぱり11番のフロンターレのユニフォームを着た、今までずっと戦ってきてくれた人の前でそれをしたいなと思ったので、だから最後もこのクラブでって思いました。

--引退後のビジョンは。
そうですね。 僕自身、特に体格に恵まれたわけでもスピードがあるわけでもないですけど、こうやって得点たくさん取れたのこいとには自分なりの考えもあって。
それを指導者としてフォワードを育てるというか、いい選手をフォワードのストライカーとしての、指導者としての、引退後を考えていて。チームに、フロンターレにこのまま残れれば自分的にはベストかなと思いいます。
--フロンターレでの17年間を振り返ってどうか。
いやもう本当に、残り3ヶ月ありますけど、本当に幸せだったなと。怪我があったり、悔しい思いもたくさんしましたけど、それも含めて幸せでしかなかったなと思ってますし、
それこそ安藤に「自分で辞められるタイミングを決めるというのは本当に幸せなことですよ」って言ってもらって、本当にそうだなと。たくさんの人が続けたくても続けられない中で自分でここで辞めるって選択をできたことを本当に嬉しく思いますし、チームの協力があってのことですけど、それも含めて本当に幸せな17年間だったなと思います。
--小林選手にとってフロンターレとは。またフロンターレ期待することは。
フロンターレ自体は本当に自分たちにとってはは自分たちには温かい存在だと思っていて。ほかのチームに移籍したことがないのでわからないんですけど、選手もそうだし、スタッフも本当に温かい人が多くて。
あとはフロンターレやってるいろんな活動、そういうのも含めて本当に大好きなチームですし。
ただ、タイトルだけが足りないと言われてきた中で、それにもしっかりと自分も携わることができて、クラブとして本当に素晴らしいクラブだなと思ってますし。
これからどうなってほしいかっていうのは、本当に変わらずにフロンターレらしさっていうのを無くさないでほしいですし、ファン、サポーターに愛されるクラブで、いろんなことに協力的で、いろんな人を助けられたり、いろんな人を笑顔にできるチームでこれからもあってほしいなと思っています。
あとはアジアでタイトルを獲ってもらえたら最高だなと思います。

--一番印象に残っている出来事は。
出来事。 なんだろう。 嬉しいことはいっぱいあるんですけど。
本当ににありきたりになってしまうですけど、初タイトルを取った時の記憶は本当に今でもすごく覚えていますし、オニさんとか憲剛さんとかと喜び合えたことは、本当に嘘じゃなく一生忘れない出来事だろうなと。
あのスタジアムのサポーターの雰囲気とか、 本当にあの日はなんか、 もうサッカーやめてもいいな、いつやめてもいいなと本当に嘘じゃなく思えた、それぐらい本当に嬉しかった出来事なので。
なんか自分の。 辛かったこととかも本当に全てなくせとというか、このためにやってきたっていう思いがすごいあったので、あの日のことはそうですね、今でもすごく覚えていますし、死ぬまで忘れないだろうなと思います。

--キャプテンとして優勝したことについては。
うーん。 そうですね。 まあ自分がキャプテンだからっていうことは本当に思わないですけど、キャプテンになった時に本当に一つ絶対決めてたことが、絶対このチームで一番勝つことに対して、自分が絶対一番じゃないといけないっていう、そこは譲れなかったですし。 そんなのね、サッカー選手なら誰だって勝ちたいよって思ってると思うんですけど、いや、「俺は絶対、俺のが絶対勝ちたい」って自分が言い切れる。
そういうふうな自分の中のキャプテンのイメージを作ってやっていたので、本当に戦術的なこととかね、いろいろ自分には足りないことたくさんあったと思うんですけど、その気持ちの部分では誰にも譲らないっていうところはキャプテンとしてやれたのかなと。それが本当に全ていい方向に行って結果に繋がったので、その時の自分の行動だったり、そういうのもは間違ってなかったのかなと思います。

--中村憲剛さんとのエピソードは。
本当に現役中もそうですし、引退してからもういつも話し相手になってくれて、上手くいかなかったときにも、今コーチとして来てくれますけど、コーチじゃない時でも連絡取り合ってましたし。 やっぱり一番自分のこと理解してくれている人だと思うので、今回引退に至る中でも、まず誰に話そうってなったときにすぐに憲剛さんが浮かんできましたし。
今自分がなんていうか、引退するってなって思うのは、やっぱりあの人はすごかったなっというか。 憲剛さん本当に何というか、辞める時もみんな「まだできるじゃん」って思ったんですけど、僕は本当に膝も悪いし、体もボロボロというか、やり切って辞めるので、憲剛さん、僕の1個上40でまだあんなやってて、いや、あの人すごいなと。 今この場に立ってより思うように思いました。
--高校の同級生である太田宏介元選手にはどう伝えたか。
そうですね、宏介には電話で伝えたんですけど。 「いや、本当にお疲れ様」って言ってくれて、すごい「本当ここまでよくやったよ」って言ってくれて。
本当に小学生からずっと選抜とかで一緒だった時期もありましたし、高校も一緒なんで、ライバルとして、あとは家庭環境もちょっと似ているところもあって、いろんなところが似ている中で、自分の中で宏介には負けたくないって思いでずっとやってましたし、彼の方が先にプロ行って、自分は大学を卒業してからプロになったんですけど、代表に入ったタイミングも一緒だったり、本当にすごい運命的なところはかなりあると思うので、宏介が先に引退してしまったことは、ちょっと悲しかったところもありますけど、宏介の時もやっぱり本当に小学生から知っている宏介がここまでやって、本当に立派だったなとリスペクトしてますし、宏介も自分のことをそういうふうに言ってくれたので、浩介の存在、同い年でずっと昔からやっているライバルという存在は自分にとってすごく大きかったなと思います。

--息子さんにはどう伝えたか。
息子たちには、パパもう少しでサッカーやめるからねって話を 35、 6ぐらいからちょっと言ってて。 「やだやだ」っていう風に、「まだやれるでしょ」って言ってるんですけど、言ってたんですけど、「でもいつかは来るんだよ」って。 「いつか来ないと、みんなおじいちゃんになってもサッカーしてるでしょ?」 っていう話をして、そんなことできないでしょ? って。「サッカー選手って若くて動ける選手が多いでしょ?」って。「パパ、これでも結構頑張ってる方なんだよ」という話をしていたんですけど。 はい。
でもちゃんと説明していく中で、息子たちは理解してくれましたね。
まあでも、それでも妻の方がちょっと大変で、大変というか、受け入れられないというか。僕はなんかイメージとして、辞めるって言った時に、「お疲れ様」っていうか、「頑張ったね」って言ってくれると思ったんですけど、本当に泣いて泣いて、 1週間泣いて、朝練習行く前に泣いてて、帰ってきたらまだ泣いてるみたいな。1週間ぐらい続いたんですかね。
自分の思ってたのと違かったんですけど、まあでも話していくうちに。 一番そばで自分がケガだったり、いろんな辛い思いしても、結局乗り越えてゴール決めてきたのを一番そばで見てくれてたので。 そうですね、またこういうことがあっても、「やっぱり頑張るって言ってくれると思った」っていうふうに言ってくれたんですけど、自分の中でいつかは来る日が来たんだなって思っていますし、そういう風に説明をして、少しずつ妻の中でも整理ができるようになってきたのかなと思います。
--J1歴代7位の得点の「被害者」である他クラブの選手・サポーターについては。
いや、本当にあの、どのスタジアムに行ってもいい雰囲気を作ってもらいましたし。
なんかね、札幌とかは僕を到着させないように、なんか SNS でいろいろやってくれたりとか、いろんな面白い仕掛けを作ってくれたり。 まあでもなんか愛があるなというか。
はい。 それだけ相手チームに嫌がられる選手になれたっていうのは自分自身嬉しく思いますし。まあでも本当にどのアウェイのスタジアムに行っても、やっぱりなんか僕はそういう雰囲気が好きなので、余計燃えるというか。選手にとって本当にありがたかったなと思います。

そして、Q&Aのあとは、小林悠選手をスカウトした、強化部の向島建(たつる)さんが登場して、花束贈呈が行われました。
向島スカウトのコメントをお伝えします。
■小林悠選手と向島建スカウト

(向島スカウト)
17年間本当にありがとう。 スカウトやって5、6年の時に声をかけさせてもらって、自分でも間違ってなかったなって今思います。
本当にあの頃のフロンターレに来てくれて、フロンターレを選んでくれてありがとう。
これだけの活躍、本当にスカウトみょうりに尽きる。あと3か月、いいプレーをね。ゴールを決めてください。
続いて、キャプテンの脇坂泰斗選手からも、花束贈呈がありました。
脇坂泰斗選手は涙に言葉をつまらせながら、メッセージを届けました。
■小林悠選手と脇坂泰斗選手

(脇坂泰斗選手)
この花束贈呈という仕事はすごい光栄なことですけど、同時に一番嫌な仕事でもありました。
悠さんを愛したサポーターの方だったり、スタッフ、チームメイトを代表してやれること…こんな泣くつもりで来てないんですけど、ちょっと耐えれなくて本当にすみません。

皆さん、悠さんからもらったものはたくさんあると思いますし、僕もその中の一人で、1年目の辛い時期に、上辺だけのなぐさめの言葉ではなくて、自分に物足りないものだったり、自信を持っていいところだったりっていうところを明確に言葉にしてくれて、お前と一緒にプレーしたいんだっていうところを言ってもらえたから、必死に食らいつきましたし。
初めて僕がスタメン出た時、初アシストとは悠さんに。その試合後に…(言葉にならない)ここから頑張ろうって、なんか仲間として認められた感がすごい嬉しくて。そこからいろんなものをもらえました。 勇気ももらえましたし。 悠さんと過ごした時間。本当に宝物ですし。
なんかさっき僕が聞いてたより引退が 1年延びてたんですけど、なんだ、まだ 1年半あるのかと。 はい。 ちょっとそういう天然なところも皆さんと一緒で大好きですし。
この長い現役生活の中で、体も心も酷使してたんだろうなっていうのを近くで見て。 残りの 3ヶ月は…自分の思うようにプレーしてほしいなと思いますし、でもただ応援してくれてるサポーターだったり、家族、チームメイトのためにプレーするのが悠さんだと思うので、最後一緒に天皇杯取れるように、僕もキャプテンとしてしっかり一緒にチームを引っ張っていきたいなと思います。
ありがとうございました。
■天然ぶりを突っ込まれて笑う小林悠選手

--2人からのメッセージを受けてどうか。
(小林悠選手)
いやもうタツルさん(向島スカウト)は本当に自分を見つけてくれた人なので、本当に感謝しかないですし、ヤストはね、本当に自分の弟のような存在で、みんなに発表前にヤストに個別で言わなかったのは、ヤストの泣いた顔が見たかったんで(笑)、あえて言わなかったんですけど。
うん。 本当にキャプテンとしてチームを引っ張っていってくれてるんで、タイトルを一緒に取れたら嬉しいなと思います。
--復帰の目安は。
(小林悠選手)
今一応10月3日にあるU21の試合に、もし少しでも出れたら一番いい形なのかなというふうに、そこに今コンディションを向けて上げていってる状態です。
--引退までに見せたいものは。
(小林悠選手)
いや、もう誰よりもゴールを欲してる姿を見せたいですし、きっと自分のユニフォームを着ているサポーターはそういうところを見たいと思ってると思うので、そういう姿とゴールを見せられるように頑張りたいと思います。

■フォトセッションで引退会見は終了

最後にフォトセッションを行って、小林悠選手の引退発表記者会見は終了しました。
小林悠選手の人柄そのものの、太陽のような笑顔が随所にみられつつ、ファン・サポーターのことを思う涙も印象的でした。
会見は川崎フロンターレのYouTubeチャンネルで配信され、アーカイブも視聴が可能です。詳細は関連リンクより、本日開設された「小林悠引退特設サイト」をご覧ください。
本記事では、その約1時間弱の会見の全文を書き起こしております。
一度会見を御覧になった方も、あらためてお読みいただければ幸いです。
■武蔵小杉ライフ公式Instagram
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また武蔵小杉ライフ公式YouTubeチャンネル/Instagram/TikTokでも、本日の会見を30秒弱にまとめたショート動画を公開しております。
こちらは本日先行して公開し、すでにたいへんご好評をいただいておりますので、あわせてご視聴ください。
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