旧日本電気工場跡地の橘高校・玉川中学校隣接地に残る「NEC橘アパート」が閉鎖、武蔵小杉周辺で相次ぎ社宅が姿を消す
【Reporter:はつしも】
2021/4/11エントリにおいて、中原区今井西町の「NEC西町アパート・西町寮」が閉鎖されたことをお伝えしました。
これと同時期に、中原区市ノ坪の「NEC橘アパート」も閉鎖されていました。
これにより、隣接する玉川中学校・橘高校が移転開校する前に同地で操業していた、NEC(日本電気)の工場の名残りが無くなることになります。
武蔵小杉周辺で、NEC社宅が徐々に姿を消してきています。
■市ノ坪の「NEC橘アパート」
「NEC橘アパート」は、市ノ坪の川崎市立橘高校・玉川中学校の南側にあります。
上記写真のまっすぐ奥に見えるのがNEC玉川ルネッサンスシティ、その手前に見える緑地は2016/4/15エントリでご紹介した「市ノ坪短絡線」跡地の緑地です。
■閉鎖された入口
NEC橘アパートの入口は、すでに閉鎖されています。
1階の入口はもちろん、2階部分も侵入がないようにネットが張られていました。
こうした防犯上の措置は、NEC西町アパートなどでも同様に施されていたものです。
■ゴミ集積場の終了
ゴミ集積場は、2021年3月31日をもって閉鎖されていました。
社宅の閉鎖も同時期だったのでしょう。
■NEC橘アパートの庭
NEC橘アパートには、小さいながら庭がありました。
こうした構造も、NEC西町アパートとかなり似ていますね。
■NEC玉川ルネッサンスシティ
NEC橘アパートから、NEC玉川ルネッサンスシティがそびえ立つNEC玉川事業場までは、徒歩数分というところです。
玉川事業場勤務であれば、便利だったのではないでしょうか。
■もともとNECの敷地だった橘高校・玉川中学校とNEC橘アパート
■川崎市立橘高等学校
■玉川中学校
なお、NEC橘アパート北側の川崎市立橘高等学校・玉川中学校は、もともとNECの工場敷地でした。
橘高校が工場跡地に移転したのが1952年、玉川中学校が同じく1951年ですから、工場が操業していたのはそれ以前のことです。
NEC橘アパートは玉川中学校の敷地の角にあり、ここだけNECが売却せずに残しておいたようです。
工場があった当時、1950年頃からすでに社宅だったのかどうかはわかりませんが、そんなNEC橘アパートも、とうとう閉鎖されることになりました。
この年度末にNEC西町アパート・西町寮、そしてNEC橘アパートが相次いで閉鎖され、時代の移り変わりを改めて感じるところです。
「社宅の街」という一面も武蔵小杉の昔からの歴史ですので、この風景が消えてしまう前に、本エントリに記録しておきたいと思います。
■NEC西町アパートの庭
■NEC西町寮
【関連リンク】
(向河原~平間関連)
・2015/12/2エントリ 戦火に消えた、南武線の駅。玉川中学校・橘高校前の「武蔵中丸子駅」跡地探訪
(社宅関連)
・2015/8/3エントリ 武蔵小杉周辺で、変わりゆく社宅をめぐる。「横浜ゴム小杉寮」建替え、「JFE」大規模社宅2棟を積水ハウスのマンションに転換
・2017/3/29エントリ 今井西町「横浜ゴム小杉寮」が「シエント武蔵小杉」として建て替え完了、隣接して「武蔵小杉おおぞら保育園」が2017年4月開園
・2021/4/11エントリ 今井西町の大規模社宅「NEC西町アパート・西町寮」が閉鎖、武蔵小杉周辺社宅の転換続く
2021/4/11エントリにおいて、中原区今井西町の「NEC西町アパート・西町寮」が閉鎖されたことをお伝えしました。
これと同時期に、中原区市ノ坪の「NEC橘アパート」も閉鎖されていました。
これにより、隣接する玉川中学校・橘高校が移転開校する前に同地で操業していた、NEC(日本電気)の工場の名残りが無くなることになります。
武蔵小杉周辺で、NEC社宅が徐々に姿を消してきています。
■市ノ坪の「NEC橘アパート」
「NEC橘アパート」は、市ノ坪の川崎市立橘高校・玉川中学校の南側にあります。
上記写真のまっすぐ奥に見えるのがNEC玉川ルネッサンスシティ、その手前に見える緑地は2016/4/15エントリでご紹介した「市ノ坪短絡線」跡地の緑地です。
■閉鎖された入口
NEC橘アパートの入口は、すでに閉鎖されています。
1階の入口はもちろん、2階部分も侵入がないようにネットが張られていました。
こうした防犯上の措置は、NEC西町アパートなどでも同様に施されていたものです。
■ゴミ集積場の終了
ゴミ集積場は、2021年3月31日をもって閉鎖されていました。
社宅の閉鎖も同時期だったのでしょう。
■NEC橘アパートの庭
NEC橘アパートには、小さいながら庭がありました。
こうした構造も、NEC西町アパートとかなり似ていますね。
■NEC玉川ルネッサンスシティ
NEC橘アパートから、NEC玉川ルネッサンスシティがそびえ立つNEC玉川事業場までは、徒歩数分というところです。
玉川事業場勤務であれば、便利だったのではないでしょうか。
■もともとNECの敷地だった橘高校・玉川中学校とNEC橘アパート
■川崎市立橘高等学校
■玉川中学校
なお、NEC橘アパート北側の川崎市立橘高等学校・玉川中学校は、もともとNECの工場敷地でした。
橘高校が工場跡地に移転したのが1952年、玉川中学校が同じく1951年ですから、工場が操業していたのはそれ以前のことです。
NEC橘アパートは玉川中学校の敷地の角にあり、ここだけNECが売却せずに残しておいたようです。
工場があった当時、1950年頃からすでに社宅だったのかどうかはわかりませんが、そんなNEC橘アパートも、とうとう閉鎖されることになりました。
この年度末にNEC西町アパート・西町寮、そしてNEC橘アパートが相次いで閉鎖され、時代の移り変わりを改めて感じるところです。
「社宅の街」という一面も武蔵小杉の昔からの歴史ですので、この風景が消えてしまう前に、本エントリに記録しておきたいと思います。
■NEC西町アパートの庭
■NEC西町寮
【関連リンク】
(向河原~平間関連)
・2015/12/2エントリ 戦火に消えた、南武線の駅。玉川中学校・橘高校前の「武蔵中丸子駅」跡地探訪
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