■はじめに:
今回の震災で被害にあわれた方へ心よりご冥福をお祈りいたします。
この記事は興味本位で被害状況を写すものではなく、
今後想定される
関東地方での大規模災害に備え、我々地域住民で何が出来るのかを
考える一助になればと思うものです。
筆者は地震発生時には
南武線の登戸駅付近で電車に乗っていました。
当初脱線したのかと思うような激しい揺れでしたがその後乗客の中
から、
「東北で大地震」「大津波警報」といった声が挙がるのを
聞いて事態を知るようになりました。
当然ながら携帯などは一切繋がらず不安がつのりましたが、
徒歩→
タクシーと乗り継ぎ2時間ぐらいかけて武蔵小杉周辺まで帰り着き
ました。震災時にたまたまそれほど遠くない場所にいたので比較的
帰着が早かったことは運が良かったと思います。
その後武蔵小杉駅周辺を見て回りました。
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■3/11 17:46 再開発地区のスーパー フーディアム
初めに見て回ったのが再開発地区の店舗群ですが、
軒並み停電に
なり閉店していました。これは隣接するタワーマンションが1棟
まるごと停電となっているため、この影響によるものと思われます。
■3/11 17:47 再開発地区 中原市民館横のam/pm
向かい側、
中原市民館の入る建物の1階にあるコンビニも同様に
停電で閉店していました。再開発地区のマンション群ではこの様に
1階に店舗、上階に居住区となっている建物が多く見受けられますが
電力供給系統としては建物が停電すると全て影響を受ける様子が
伺えます。
■3/11 17:48 綱島街道
元住吉・日吉方面に向かう道路を撮影したものですが、
既に大渋滞
となっていました。帰宅する途中で通った南武沿線道路も溝の口から
武蔵小杉方面にかけては上下線とも大渋滞でした。このように
地震
からわずか数時間で幹線道路が軒並み機能しなくなることは非常に
恐いことだと思います。
この渋滞は深夜まで続いた模様です。
■3/11 17:50 武蔵小杉新駅広場のスーパーデリド
今回の地震では
電力等のインフラの被災を免れた
レジデンス・ザ・武蔵小杉の1階に入るスーパーです。買出しに
来た人たちが行列をなしています。
行列には心なしか会社員姿の方々が多いように見受けられました。
電車が止まったため徹夜を覚悟した周辺の会社員の方でしょうか?
もしくはここから徒歩で帰宅される方々でしょうか。
この店舗その後
入場規制がかかり、通常より早めの夜22時ごろ
には閉店となった模様です。震災発生時には食料や非常品の確保
をしたくなる気持ちは理解できます。特に大きな混乱はなかった
ようですが、このような事態では冷静に対処頂きたいと思います。
■3/11 17:51 武蔵小杉駅 新南改札口
駅改札に向かう通路です。灯が消え真っ暗な状態です。
このとき既に
南武線、横須賀線ともに不通となっていましたが、
それでもなんらかの情報を求めて改札方面へ行き来する人々が
見受けられました。
このときホームにはちょうど
オレンジ色の湘南新宿ラインが停止して
いました。この路線は総経路がかなり長く遠地を目的地とされていた
にもかかわらず下車を余儀なくされた方々も多かったのでは
なかったかと思います。
■3/11 17:52 新駅広場前のタクシー待ち行列
新駅広場前のタクシー乗り場で待ち行列をなす人たちです。
後日都心方面から帰宅した人から伺った話では
都心の駅前でタクシー
を一晩待ったが来たのはわずか4台だったとのことでした。
前述の幹線道路の渋滞でも書いた通り、この状況では一旦出た
タクシーが戻ってくるのは容易な状況ではなかったことでしょう。
■3/11 17:53 野村不動産武蔵小杉ビル
新駅広場に面する野村ビルですが、ここもここもなぜか電力が生き
ているようで1棟まるごと点灯しています。この様に区画ごとに
電力の死活に差がある理由はよく分かりません。
■3/11 17:53 新駅広場前の交差点の信号
新駅広場前の交差点の信号は消灯していました。筆者が帰宅する
途中でも信号の消灯や店舗の停電を数多く見かけました。
この信号はちょうど1年前、
2010年3月の横須賀線武蔵小杉駅の開業
と同時に設置されたものですが、それ以前は無信号状態で、交差点前
では車両は一旦減速しゆっくりと通過していました。当時の状態に
戻ったわけですが当時とは異なる点は人通りが圧倒的に増えています。
幸い事故等には至らなかった模様ですが、他の箇所ではいち早く
人手で手信号の整理を行っているような光景も見かけたのに比べると
少々危険なように感じました。
■3/11 17:58 NPO法人小杉駅周辺エリアマネジメントの事務所
日が暮れてきました。
再開発地区にある
NPO小杉駅周辺エリアマネジメントの事務所には
周辺のマンションから非難されてきた住民が多く集まっていました。
しかし、周辺のマンション群と同じく事務所にも電力が通って
いませんでした。多くが小さなお子さんを連れたお母さん方でした。
灯も暖房もない中で懐中電灯やろうそくの火を頼りに不安な時を
過されたことと思います。
■3/11 18:06 野村ビル1階の店舗
電力が生きている
野村ビルでは1階の店舗群は通常通り営業している
模様でした。ここだけ見ると一見震災の被害などないような平和な
光景です。
■3/11 20:08 レジデンス・ザ・武蔵小杉
先ほどの場所に戻りまして、
電力インフラの被災を免れた
レジデンス・ザ・武蔵小杉ではNPO法人小杉駅周辺エリアマネジメント
や周辺マンションと協力して、周辺住民の受け入れを決定しました。
マンション1階のロビーを開放し、小さなお子さんを連れた家族や
エレベーターが停止していることによる帰宅困難者を受け入れて
いました。先般当ブログのインタビュー記事でも取り上げた
コミュニティ委員会の保崎さんが率先して陣頭指揮を取っていました。
■3/11 22:49 綱島街道
夜22時過ぎごろより周辺でも徐々に電力が回復してきました。
信号や街灯も点灯してきました。この時間綱島街道では
徒歩で帰宅
する方々の行列がまだまだ続いていました。
しかし被災を受けた
エレベーターの動力は回復せず順番に点検を
待っている状況でした。結局一番遅いところでは
深夜2時ごろまで
復旧が続いた模様です。
■3/12 06:09 レジデンス・ザ・武蔵小杉
翌朝、レジデンスさんに再びお邪魔しました。
この緊急避難所では数十名の方々が一夜を過されたとのことでした。
住民のみなさんが徹夜で交代番をされたとのことで大変ご苦労なこと
だったと思います。
写真は
読売新聞が被災者の方に無償で新聞をご提供頂いたとのこと
でした。このような状況でも新聞の配達が行われていることは驚き
でしたが、被害にあわれた方々が何よりも欲しいのは情報です。
こういった無償のご協力には大変感慨深いものがあります。
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以上は筆者が当日周辺を回った時に知りえた限りの情報です。
その後武蔵小杉周辺では大きな混乱もなく、街は徐々に平穏を
取り戻しつつありますが、いまこの原稿を書いている現在も
たびたび余震を感じています。
今回の災害を教訓とし、より地域での備えが充実すればと思います。
【関連リンク】
2010/12/17エントリ 武蔵小杉の「ひと」(6):レジデンス・ザ・武蔵
小杉(前編)
2010/12/18エントリ 武蔵小杉の「ひと」(6):レジデンス・ザ・武蔵
小杉(後編)
2011/3/11エントリ 大地震により武蔵小杉で大規模な停電が発生
2011/3/12エントリ 東日本大震災翌日の武蔵小杉