中原区では、
毎年元日から7日まで「川崎市七福神めぐり」が実施されています。
正月二日の夜、宝船に乗った七福神の絵を枕の下に入れて寝ると縁起が良いとされ、新春の巡拝が古くから地域で行われてきました。
七福神は恵比寿神(清心)、大黒天(財富)、毘沙門天(栄光)、弁財天(愛情)、福禄寿(人望)、寿老神(長命)、布袋尊(寛容)の7人の神様で、これらの神様を祭る中原区内の7つの寺院をめぐります。
各所で
御朱印帳(色紙)に御朱印を押していただきつつ、七福神の功徳によって新年の幸福を祈ります。
弊紙では2017年、2020年にレポートをしておりましたが、
今回は4年ぶりに、武蔵小杉ライフ公式Youtubeチャンネルによるガイド動画とともにご紹介をしたいと思います。
■川崎七福神
■川崎七福神のGoogleマップ
「川崎七福神」は、
福禄寿の「安養寺」、弁財天の「宝蔵寺」、毘沙門天の「東樹院多聞寺」、大黒天の「西明寺」、恵比寿神の「大楽院」、寿老神の「無量寺」、布袋尊の「大楽寺」で構成されています。
いずれも中原区内にあり、自転車で2時間半程度あれば回れるでしょう。
回るコースはお住いの場所によって異なるはずですが、
武蔵小杉駅から北西側に一番遠いのが安養寺、南に一番遠いのが大楽寺です。
このいずれかが始点または終点になる方が多いのではないでしょうか。
弊紙では過去レポート同様、北西端の安養寺から回ってみました。
■「安養寺」への曲がり角
安養寺は武蔵新城駅の北側にあります。
武蔵小杉方面からは南武沿線道路西に進み、上記の交差点で右折するのがお勧めです。
■「福禄寿」の安養寺
安養寺は天輪山無量寿院と称し、大日如来が本尊です。
1567年(永禄10年)頃の開山といわれ、火災等により古来の建物や文献が失われたため詳細は不明な部分もあります。
現在の本堂は、関東大震災による被災後、1966年に再建されたものということです。
「川崎七福神」の各寺院は、
境内の赤いのぼりが「川崎七福神」の目印となっています。
■境内の福禄寿
この安養寺には、
福禄寿が祭られています。
福禄寿は中国の神様で、
「人望」を象徴しています。
杖の頭には経巻が結び付けられ、白鶴を伴っているのが特徴です。
この経巻は人の寿命を記し、
福は「指宝」、禄は「地位」、寿は「長命」で、この3つを備えた人は人望を得るということです。
■御朱印の受付
■最初の御朱印帳(色紙)
「川崎七福神めぐり」では、
最初に訪問した寺院で御朱印帳(色紙)を300円で購入します。
そしてほかの6か所の
各寺院では200円をお支払いして、御朱印を押していただくかたちになります。
つまり、
合計1,500円を要するということですね。
安養寺で最初に御朱印帳をいただくと、すでに
福禄寿の御朱印が押してあります。
ここから七福神巡りのスタンプラリーがスタートです。
■弁財天の「宝蔵寺」
続いて
宝蔵寺は、安養寺から大谷戸小学校の前を通過してすぐの場所です。
こんかい計測したところ、
自転車で2分程度でした。
創建は1520年(永正17年)で、本尊は子育地蔵菩薩です。当初の主家であった吉良氏の没後に土着し、周辺の土地を大ヶ谷戸と名付けました。
天文年間に原氏が祈願所として宝蔵寺を再建し、現在に至ります。
■境内の弁財天
ここでは七福神のうち女性の神様、
弁財天が祭られています。
弁財天はインドの神様で
「愛情」を象徴し、音楽などの芸術や商売繁盛を司っています。
もともとは河川が神格化した水の神様で、多くの弁財天は海岸や川沿いなど、水に縁のある場所に祭られています。
■船に乗った七福神
七福神というと、船に乗ったイメージが強いでしょうか。
川崎七福神の寺院では、唯一法蔵寺に船に乗った石像があります。
■御朱印の押印
■法蔵寺でいただいた弁財天のお守り
2つ目以降の寺院では、最初にもらった御朱印帳にひとつずつ押印していくかたちになります。
また、
法蔵寺では弁財天のお守りも毎年いただけます。
これは常に懐に入れておくものですので、お財布など適切な場所に収めておくのがよいでしょう。
■毘沙門天の「東樹院多聞寺」
宮内新横浜線を渡り、西下橋の交差点で府中街道も横断して宮内の住宅街に入っていくと、
東樹院多聞寺があります。
このルートは少々わかりにくいため、武蔵小杉ライフ公式Youtubeチャンネルのガイド動画もご参照ください。
多聞寺は
1458年(長禄2年)、平氏の流れをくむ武州の豪族・石井源左衛門がこの地で毘沙門天の社を見出し、堂宇を再建したとされています。
現在の本尊である不動明王が勧請されたのは寛永年間で、近江の法印尊義和尚が石井氏の菩提を弔って堂宇を建立し、ご本尊として安置したということです。
■境内の毘沙門天
そのような経緯で、ここでは
毘沙門天が祭られています。
毘沙門天はインドの神様で
「栄光」を象徴し、手に持った多宝塔で財宝を授け、また外敵を打ち払う戦勝の神様でもあり、内なる煩悩も払ってくれるとされています。
よく説法を聞くことから
「多聞天」とも呼ばれ、「東樹院多聞寺」の名前の由来にもなっています。
■御朱印の受付は建物内
法蔵寺では、御朱印の受付は建物内でした。
■近隣七福神のご案内マップ
また東樹院には、
近隣の七福神「宝蔵寺」「西明寺」のご案内マップもありました。
最近はスマートフォンなどでエントリ冒頭に掲載したGoogleマップなどを参照される方が多いと思いますが、七福神巡りはシニア層も多く参加されます。
こうしたアナログなガイドも、役に立つのではないでしょうか。
■大黒天の「西明寺」
続いて中原街道沿いの
西明寺です。
弊紙では法蔵寺から等々力緑地沿いを経由して西明寺までアクセスしており、中原街道は使っていません。
ただ裏路地が分かりにくいという方は、一旦府中街道に出て中原街道からアクセスすることも考えられます。
西明寺はこれまでにも、
大みそかの除夜の鐘や、中原街道の歴史を残す「カギ道」と一緒にご紹介をしてまいりました。
創建時期は不明ですが、北条時頼の信仰が厚く、北条氏ともゆかりの深い神社です。
江戸時代には徳川家康港がたびたび鷹狩りで訪れたということで、かつての中原街道の中心的存在でした。
■本堂内の大黒天
西明寺では、
大黒天が祭られています。
大黒天はインドの神様で
「財富」を象徴し、働き者のために打ち出の小槌をふるって富をもたらすとされています。
頭にかぶった頭巾は、「上を見ず、うつむいて働け」との教えで、
勤労が徳であり、怠惰な者の頭を打つのが小槌であるということです。
七福神の中でも、知名度が高い神様ですね。
■大黒天の御朱印受付
西明寺の御朱印受付は、本堂の隣にあります。
ここでは過去にご紹介した
「だるまのおみくじ」なども販売しています。
■恵比寿天の「大楽院」
そして西明寺から中原街道を経由し、綱島街道を渡った先にあるのが
「大楽院」です。
すぐ隣が
「丸子山王日枝神社」です。
大楽院は真言宗豊山派で、奈良県の長谷寺の直轄寺院です。
1704年(元禄17年)の長谷寺末寺帳や「武蔵風土記稿」などに、かなりの寺格を有していたことが伺われる記述が残されています。
■大楽院の恵比寿堂
大楽院で祭られているのは
「恵比寿天」です。
七福神の中では唯一の日本の神様で、
「清心」を象徴します。
イザナギとイザナミの3番目の御子として生まれたとする説も有力な海の守り神です。釣竿をかついだ姿で、おめでたい
「えびす顔」が有名です。
当初は漁業者の神様でしたが、海産物の売買を通して商売繫盛の神様として信仰されるようになりました。
江戸時代の名僧・天界僧正によれば、恵比寿神は
律儀、福徳、収穫・良果の3つの徳を讃えているということです。
境内の恵比寿天は「恵比寿堂」の中に安置されています。
■セルフサービスの御朱印
大楽院の御朱印は、「人員不足のため」ということで例年
セルフサービスになっています。
200円は浄財箱に入れまして、現地に掲示されている見本通りに御朱印スタンプを押します。
なお、大楽院から「川崎七福神巡り」を始める場合は、インターホンなどで人を呼ぶことになります。
■寿老神の「無量寺」
大楽院の前の道路をまっすぐ南下していくと、中丸子児童公園前で
「無量寺」に到着します。
1580年(天正8年)に覚源和尚により開創され、村の豪士・野村七左衛門が帰依して無量寺を菩提寺としたとされています。
本堂は残念ながら1945年に戦災で焼失しましたが、戦災を逃れた都内の寺院から、築200年以上の本堂を譲り受けて移築したのが現在の本堂です。
■本堂内の寿老人と七福神
無量寺では
寿老神を祭っています。
寿老神は中国の神様で、名前の通り
「長命」を司っています。
手にした巻物には人命の長さが記され、長寿の守りとされている鹿を常に伴っています。
鹿は千五百歳で、その肉を食べた者は2千年の長寿が得られ、杖の先に結びつけられた軸は人の寿命を記した帳簿であるとされています。
■御朱印のセルフサービスコーナー
また無量寺では、有人の事務所でも御朱印を押していただけますが、行列になっている場合など、お急ぎの方向けに
セルフサービスコーナーを利用することも可能でした。
■無量寺向かいの「中丸子児童公園」
また、2017年にもご紹介した通り、無量寺の向かい側には、
2016/12/22エントリで
「アミガサ事件」の記念碑と遺構をご紹介した「中丸子児童公園」があります。
川崎七福神めぐりの道中、立ち寄ってみるのもよいと思います。
■布袋尊の「大楽寺」
無量寺から最後の大楽寺に最短で到達するのは、ルートが少々複雑です。
途中に南武線・横須賀線・府中街道がありますので、地図上で直線的に最短距離を進むことができません。
細かい路地を使うと迷う可能性もありますので、
無量寺から少し北に戻って、御幸踏切や向河原駅前踏切で横須賀線を渡ってから綱島街道を南下し、木月4丁目交差点を左折するのが一番シンプルではないでしょうか。
「大楽寺」は、大楽幼稚園が併設されている寺院です。
創建については明らかでありませんが、中興開山は1741年(天文6年)法印智法によるとされています。
本尊は胎蔵界大日如来が安置されています。
また、大楽寺には
「大楽幼稚園」が併設されています。
■境内の布袋尊
大楽寺には、
「寛容」や和合、笑いを象徴する中国の神様
「布袋尊」が祭られています。
七福神の中では唯一実在したとされている人物で、恰幅の良いお姿が、親しみやすい印象を与えます。
家内安全や学業成就にご利益があるとされ、布袋尊を拝むことで寛容な心が得られるということです。
■本堂の御朱印はセルフサービスに
大楽寺では、2020年にご紹介した際には本堂の中に人がいて御朱印を押してくださったのですが、
今年はセルフサービスになっていました。
■「川崎七福神」のガイドブック
本堂内では、
「川崎七福神」のガイドブックも100円で販売されていました。
各寺院や七福神についてもっと知りたい方は、こちらを購入されるとよいでしょう。
なお、もっと簡単な
B4用紙両面1枚のガイドチラシは、各寺院で無料配布されています。
■日付の記入
布袋尊ですべての御朱印が揃ったことで、最後に
御朱印帳が完成した日を、参拝日として記入いただきます。
これはさすがにセルフサービスではなく、大楽寺で書いていただけました。
本サイトでは大楽寺を最後に回っていますが、ほかの寺院を最後にしても問題ありません。
ただし、
完全セルフサービスの大楽院を一番最後にした場合、日付を自分で書くことはできませんから、一応有人対応が可能な寺院を最後に回したほうがよさそうです。
■完成した御朱印帳
こうして、ご朱印帳が無事に完成しました。
自転車で回ってもそれなりに体力を使いますので、その分達成感がありました。
「七福神巡り」を単なるスタンプラリーとしてとらえると、とにかく御朱印だけ貰っていくのが一番早いかもしれまんが、
各寺院を巡拝していくのが本来の趣旨です。
参加者の方も皆さん、最初にお参りされていました。
「川崎七福神巡り」は必ずしも一気に回る必要はありません。
元日から1月7日までの9:00~16:30、つまり次の土日が丸々使えますので、無理のない範囲で回ってみてはいかがでしょうか。
■武蔵小杉ライフ公式Youtubeチャンネル 中原区の招福スタンプラリー!川崎七福神巡り
最後に、
武蔵小杉ライフ公式Youtubeチャンネルに「川崎七福神巡り」のガイド動画を公開いたしましたので、ご紹介いたします。
弊紙推奨のルート(早送り)も動画で完全収録していますので、ご参考にしてみてくださいね。
【関連リンク】
・
武蔵小杉ライフ:生活情報:神社・仏閣
・
川崎七福神 ウェブサイト
・
2008/12/30エントリ 新年御開帳・川崎七福神巡り
・
2009/1/2エントリ 武蔵小杉の2009年除夜の鐘と初詣
・
2012/12/31エントリ 丸子山王日枝神社の2013年始行事と、大楽院の「川崎七福神」
・
2016/12/22エントリ 多摩川の築堤を直訴「アミガサ事件」による「有吉堤」完成から100年。八幡大神・中丸子児童公園の記念碑と遺構をめぐる
・
2017/1/3エントリ 中原区の7寺院をめぐる、福運スタンプラリー。2017年1月7日(土)まで実施中「川崎七福神めぐり」完遂レポート
・
2020/1/6エントリ 中原区の7寺院で、幸福を呼ぶ御朱印集め。2020年の「川崎七福神めぐり」