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2022年
02月17日

1946年版「最新鉄道図」で見る、東急東横線・南武線と「工業都市駅」「武蔵中丸子駅」など武蔵小杉周辺の変遷

【Reporter:はつしも】

かつての東急東横線には「武蔵小杉駅」が存在せず、現在の同駅よりも少し南側に「工業都市駅」がありました。
一方で南武線(南武鉄道)の小杉御殿町交差点付近に「武蔵小杉停留場」が置かれていたなど、現在とは異なる駅の配置になっていたことは比較的よく知られています。

本エントリでは、1946年(昭和21年)の鉄道路線図をご紹介したいと思います。

■1946年の「著名温泉案内 最新鉄道図」


著名温泉案内 最新鉄道図

温泉案内

こちらは、東方美術印刷が発行していた「著名温泉案内 最新鉄道図」です。
基本的には全国の温泉を案内する鉄道路線図で、地域別の温泉と効用一覧も掲載されていました。

温泉一覧の左側の柱の部分を読むと、「昭和二十一年六月十日」という日付が見えます。
つまり終戦直後の1946年の路線図ということになります。

■凡例
凡例

凡例を見ると、国有鉄道・私設線のほか「社営電車線」などもあります。
また地図記号で「要塞地帯」といったものもあり、時代を感じさせます。

■渋谷~横浜エリアの路線図
東急線エリアの路線図

東横線・南武線エリアの路線図

それでは早速、東横線・南武線エリアの路線図を見ていきましょう。

最初に東横線を見ると、この時代、渋谷と代官山の間に「並木橋」という駅がありました。
廃止されたのがこの路線図が発行された1946年ですから、ぎりぎり残っていたことになります。

「青山師範駅」は現在の学芸大学駅、「高等学校駅」は現在の都立大学駅です。

現在の多摩川駅は、このときはまだ「多摩川園前」でした。
改称されたのは2000年ですから、旧駅名時代を御存じの方も多いと思います。

そしてまだ東急武蔵小杉駅が路線図に存在せず、そのかわりに少し元住吉寄りに「工業都市駅」があります。

日吉駅が「目吉駅」になっていますが…、これは名称変更ではなく誤記のようですね。

一方南武線では、平間駅と向河原駅の間に「武蔵中丸子駅」があります。
同駅については、本サイトでも過去にご紹介しておりました。

そして現在の武蔵小杉駅の位置とは違う、武蔵中原駅寄りの場所(小杉御殿町交差点付近)に武蔵小杉停留場がありました。


なお、ほかにも路線図を見ていくと、「小田急小田原線」が「東急小田原線」になっているなど、細かいところで現在とは異なる部分が多数見つかります。

この時代は戦時中統制で私鉄が合併し「大東急時代」といわれていました。
小田急などが大東急から分離するのは、この路線図が作られてから2年後の1948年となります。

是非、現在の路線図と見比べながらいろいろ探してみてください。

■1958年の法政通り商店街「七夕祭り」のチラシ
1958年の法政通り商店街「七夕祭り」のチラシ

また本サイトでは、1958年(昭和33年)の法政通り商店街「七夕祭り」のチラシを所蔵しており、2017/11/10エントリでご紹介しておりました。

ご関心ありましたら、こちらもご参照ください。

【関連リンク】
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