武蔵小杉ブログ(武蔵小杉ライフ 公式ブログ)

川崎市中原区の再開発で変貌する街・武蔵小杉のタウン情報サイト『武蔵小杉ライフ』の公式ニュースブログ。街の最新情報やさまざまな話題をご紹介します。

2009年
12月21日

川崎歴史ガイド・中原街道ルート(番外編):武蔵小杉駅の八百八橋

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2009/11/29エントリ「川崎歴史ガイド・中原街道ルート(4)」において、
中原街道の「八百八橋」について取り上げました。
「八百八橋」とは、1772年から1781年にかけて上丸子で「ほしか屋」
という肥料店を営んでいた野村文左衛門が私財を投じて中原街道
沿いの各地に架けた石橋
のことです。
野村文左衛門は「人々のために1,000の橋を架ける」という志により
この事業を行い、その功績を讃えて「八百八橋」と呼ばれるようになり
ました。

■石橋醤油店に移設された八百八橋と記念碑
石橋醤油店に移設された八百八橋と記念碑

前回は上記の写真のように、その石橋の一部が中原街道沿いの
石橋醤油店に移設
されていることをメインに取り上げたのですが、
それ以外に、JR武蔵小杉駅ロータリーにも石橋の一部が移設展示
されています。
今回は「川崎歴史ガイド・中原街道ルート」の番外編として、その
武蔵小杉駅ロータリーの八百八橋をご紹介したいと思います。

■JR武蔵小杉駅ロータリー
JR武蔵小杉駅ロータリー

さて、ここは武蔵小杉駅北口ロータリーの見慣れた風景ですが、
「はて、そんな石橋の展示あったかしら?」という方も多いのでは
ないでしょうか。

■ロータリーの歩道橋
ロータリーの歩道橋

石橋と石碑の展示があるのは、このフロンターレカラーの歩道橋の
近く
で、確かに歩道橋沿いに石碑はあったような・・・と思いつつ周辺
を探してみると・・・石碑と石橋を見つけることができました。

■八百八橋の顕彰碑
八百八橋の顕彰碑

まず、石碑が歩道橋のすぐそばに建立されているのは比較的すぐ
に目に付きます。そして移設された石橋の一部はというと、この石碑
の少々手前にありました。

■移設された八百八橋
移設された八百八橋

これが移設された八百八橋の一部で、現在ではアスファルトに埋め
込まれたかたち
になっており、石橋としての原型は残っていません。

当初、1964年に武蔵中原観光協会が八百八橋の顕彰碑とともに
石橋を一部復元
した際には石碑の前の地面に露出するかたちで
展示されていたのですが、ロータリーの拡張に伴って現在の姿に
なったそうです。

1964年当初の展示については、新丸子の情報サイト「新丸子タウン
情報マップ」の「MARUKO TOWN GALLERY」に当時の写真が
掲載
されていますので、そちらもご参照ください。

■新丸子タウン情報マップ MARUKO TOWN GALLERY
http://www.alles.or.jp/~salut/gallery20020427.html
※一番右上に該当する写真が掲載されています。

地面に埋め込んでしまう、というのはなかなか意外な展示方法でし
たが、野村文左衛門の志は「多くの人に渡ってもらいたい」という
ことだったのでしょうから、毎日ロータリーを行き交う人々が踏み
しめるアスファルトの一部になるというのは、ひとつの考え方として
ありなのかもしれません。

ただ、一体化している分存在があまり知られていないような気がいた
しまして(ウェブでもほとんど情報がありません)、今回「川崎歴史
ガイド」の連載本編からピックアップして取り上げることといたしました。

【関連リンク】
2009/9/23エントリ 川崎歴史ガイド・中原街道ルート(1):「丸子の渡し」
2009/10/6エントリ 川崎歴史ガイド・中原街道ルート(2):「旧原家母屋跡地」
2009/11/9エントリ 川崎歴史ガイド・中原街道ルート(3):「旧名主家と長屋門」
2009/11/29エントリ 川崎歴史ガイド・中原街道ルート(4):「明治の醤油作りと
八百八橋」

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