武蔵小杉ブログ(武蔵小杉ライフ 公式ブログ)

川崎市中原区の再開発で変貌する街・武蔵小杉のタウン情報サイト『武蔵小杉ライフ』の公式ニュースブログ。街の最新情報やさまざまな話題をご紹介します。

2010年
06月28日

川崎歴史ガイド・中原街道ルート(7):「小杉陣屋と次大夫」

hatsushimo.gif

川崎歴史ガイド・中原街道ルートの連載第7回は、「小杉陣屋と
次大夫」
です。

小杉御殿の建設などが行われた徳川家康の治世当初において、
多摩川周辺の土地は非常に生産性の低い状態
でした。水辺であり
ながら水利が悪く、草地や荒地ばかりの中に小さい集落が点在して
いるのみだったようです。

米の増産に取り組んでいた家康は江戸近郊の各地で新田開発を
計画しますが、それにあたって多摩川からの農業用用水路の敷設
を進言し、用水奉行を任されたのが小泉次大夫
でした。
次大夫によって川崎市内に敷設されたのが二ヶ領用水であり、
その拠点となったのが小杉陣屋です。

■現在の二ヶ領用水
現在の二ヶ領用水

「陣屋」とは、江戸時代において各藩の藩庁が置かれた屋敷か、
または幕府直轄領の代官の住居・役所
のことを指します。小泉
次大夫は旗本代官ですので、次大夫の陣屋は後者ということに
なりますね。
ただ、単なるお屋敷というだけではなく、小杉陣屋は言ってみれば
公共工事の現地事務所のような役割だったのではないかと思い
ます。

小泉次大夫は、1597年(慶長2年)より、多摩川両岸の用水路建設
に着手
しましたが、完成までに14年を要する難工事となっています。
陣屋は川崎側の小杉陣屋だけでなく、江戸側の狛江にも設けられ、
次大夫が各地の現場で指揮を取って完成にこぎつけました。

■小杉陣屋の跡地
小杉陣屋の跡地

小杉陣屋の跡地

さて、ガイドパネルが設置されているのはその小杉陣屋の跡地です
が、現在では陣屋の姿は残されていません。住宅街の中の土地に、
ひっそりと小さな神社があるのみです。
ここまでの道は迷路のように入り組んでいますので、たどり着くまでが
非常にわかりづらく、なかなか目に留まることがないかもしれません。

ただ、小杉陣屋は跡形もありませんが、その名前は現在の地名で
ある「小杉陣屋町」として残されています。徳川家康の作った小杉御
殿の名前を残す「小杉御殿町」と同様で、中原街道沿いに隣接した
2つの地名が、地域の歴史を今に伝えています。

また、次大夫は用水路敷設事業の着手にあたり、安房国(千葉県)
小湊の妙本寺から日純という僧を招聘し、小杉御殿の近くに妙泉寺
を建立
しました。
これは事業の無事完遂を祈念したものですが、この事業が当時とし
ていかに大規模かつ困難なものであったかがわかりますね。

■現在の妙泉寺跡地
現在の妙泉寺跡地

次大夫は1611年(慶長16年)に二ヶ領用水等を完成させたのち、
1619年(元和5年)に代官職を長男である吉勝に譲って隠居しました。
その際に、次大夫は妙泉寺を川崎領砂子(川崎区宮前町)に妙遠寺
として移設
しましたので現在の妙泉寺には本堂などが存在せず、
「跡地」ということになります。
ただし現在でも小堂と墓所は残されていまして、そこに次大夫の功績
を称える石碑
があり、川崎歴史ガイドでも紹介されています。

次大夫は1623年(元和9年)、85歳で亡くなりましたが、次太夫の
建設した二ヶ領用水は、現在でもその流域に貴重な水辺を提供
して
います。
小杉陣屋の跡地に立って、草地や荒地ばかりだった多摩川流域の
発展を支えた先人の努力を思いました。

■「小杉陣屋と次大夫」マップ
「小杉陣屋と次大夫」マップ

【関連リンク】
武蔵小杉ライフ:生活情報:公園:公開空地 二ヶ領用水
武蔵小杉ライフ:生活情報:神社・仏閣 西明寺
2008/8/8エントリ 中原街道のカギ道(前編):小杉御殿と西明寺
2008/8/9エントリ 中原街道のカギ道(後編):拡幅と直線化の見通し

(以下、川崎歴史ガイド・中原街道ルート連載)
2009/9/23エントリ (1):「丸子の渡し」
2009/10/6エントリ (2):「旧原家母屋跡地」
2009/11/9エントリ (3):「旧名主家と長屋門」
2009/11/29エントリ (4):「明治の醤油作りと八百八橋」
2009/12/21エントリ (番外編):「武蔵小杉駅の八百八橋」
2010/2/9エントリ (番外編):丸子の渡しガイドパネル入札不調
2010/2/14エントリ (5):「小杉御殿と『カギ』の道」
2010/3/30エントリ (6):「小杉御殿の御主殿跡」
2010/5/23エントリ (番外編):「中原区役所の八百八橋」

Comment(0)