武蔵小杉ブログ(武蔵小杉ライフ 公式ブログ)

川崎市中原区の再開発で変貌する街・武蔵小杉のタウン情報サイト『武蔵小杉ライフ』の公式ブログ。街の最新情報やさまざまな話題をご紹介します。

2010年
11月12日

川崎歴史ガイド・中原街道ルート(10):「小杉駅と供養塔」

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川崎歴史ガイド・中原街道ルートの連載第10回目は、「小杉駅と
供養塔」
です。

中原街道の武蔵小杉付近は、1673年(寛文13年)「小杉宿」として
宿駅(宿場)に指定
されていました。宿駅とは、江戸時代に各街道に
おいて交通・通信事務を取扱う為設定された町場をいい、大名の
本陣や旅人の宿泊施設、荷物運搬の人馬を中継ぎする設備が置
かれていました。

東海道の川崎宿は1623年(元和9年)に正式な宿駅となっており、
小杉宿は丁度それに50年遅れて指定されたことになります。ただ、
実際に小杉宿付近が最も栄えたのは宿駅の指定をされた時期より
も前、江戸時代初期
であったようです。

■カギ道付近の「つけぎや」
カギ道付近の「つけぎや」

さて、カギ道付近に「つけぎや」というお米屋さんがありますが、
そのすぐ脇(写真左手)に小杉が宿駅であったことを示す供養塔
残されています。

■供養塔とガイドパネル
供養塔とガイドパネル

ここには敷地の端に供養塔、すぐ隣にガイドパネルが建てられて
います。完全にお店の建物の敷地内で、供養塔だけが保存されて
いるような格好です。
この供養塔には「武州橘樹郡稲毛領小杉駅」とありまして、台座の
部分には「東江戸、西中原」という文字も判読できます。
この表記から、中原街道が江戸から平塚の中原を結んでいた街道
であることと、小杉が正式な宿駅であったこと
があらためて確認で
きます。

供養塔は、1848年(弘化5年)、前掲の「つけぎや」の先祖、鈴木
戸右衛門によって建立
されました。もう幕末に近い時期で、小杉が
宿駅になってから175年後
のことでした。

「つけぎや」は江戸時代から20代続く旧家で、籠屋として創業、
附木屋・よろず屋・材木屋などを経て現在はお米屋さんになって
います。
かつて営んでいた、附木屋(つけぎや)の屋号が現在まで残って
いる
わけですね。

「附木屋」とは、その名前の通り「付け木」を売る店です。付け木とは
薄い板の先に硫黄を乗ったもので、薪木に火をつけるためのマッチ
のような道具でした。
明治以降にマッチが使われるようになると、付け木は徐々に姿を消し
ていきましたので、それに伴って付け木を売る商店も別の業態に
移り変わっていった
ものと思います。

中原街道の「つけぎや」は、現在は一見してごく普通のお米屋さんに
見えますが、中原街道に名を残す歴史あるお店だったのですね。

■中原街道と供養塔
中原街道と供養塔

なお、中原街道のこの区間は歩道が設置されておらず、供養塔の
すぐそばを車が走っています。丁度バス停の目の前にもなっていま
すので、見学の際はご留意ください。

■「小杉駅と供養塔」のガイドパネル マップ
「小杉駅と供養塔」のガイドパネル マップ

【関連リンク】
(川崎歴史ガイド・中原街道ルート連載)
2009/9/23エントリ (1):「丸子の渡し」
2009/10/6エントリ (2):「旧原家母屋跡地」
2009/11/9エントリ (3):「旧名主家と長屋門」
2009/11/29エントリ (4):「明治の醤油作りと八百八橋」
2009/12/21エントリ (番外編):「武蔵小杉駅の八百八橋」
2010/2/9エントリ (番外編):「丸子の渡しガイドパネル入札不調」
2010/2/14エントリ (5):「小杉御殿と『カギ』の道」
2010/3/30エントリ (6):「小杉御殿の御主殿跡」
2010/5/23エントリ (番外編)「中原区役所の八百八橋」
2010/6/28エントリ (7):「小杉陣屋と次大夫」
2010/7/19エントリ (8):「御蔵稲荷と多摩川」
2010/8/19エントリ (9):「西明寺と小杉学舎」

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