武蔵小杉ブログ(武蔵小杉ライフ 公式ブログ)

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2011年
09月04日

川崎歴史ガイド・中原街道ルート(14):「泉沢寺と門前市」

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川崎歴史ガイド・中原街道ルートの第14回は、「泉沢寺と門前市」
です。

泉沢寺は浄土宗の寺院であり、1491年(延徳3年)に武蔵国多摩郡
烏山(現在の世田谷区)に吉良氏の菩提寺として創建
されたのが
はじまりです。
その後1549年(天文18年)に火災により建物が焼失したため、
1550年に世田谷領主吉良頼康が中原街道沿いに再建し、現在
に至ります。

■現在の泉沢寺
現在の泉沢寺

当時、吉良氏は後北条氏のもとで隆盛をきわめており、その勢力は
世田谷だけでなく川崎中央部から横浜蒔田町にまで及んでいました。
その勢力範囲の中心部にあって耕地化が進み、「市(いち)」の
あった上小田中を核として、吉良氏は権勢の拡大を図ろうとしたの
であろう
といわれています。

泉沢寺に所蔵されている古文書によると、吉良氏は上小田中の市
から泉沢寺の堀際までを寺門前とし、その中は税や労役を免除する
「特区」としていた
ことがわかっています。
そのような優遇により寺門前への居住を促進し、門前市を繁栄させた
ということのようです。

これは、現在にも通じる行政施策ですね。

■「泉沢寺と門前市」のガイドパネル
「泉沢寺と門前市」のガイドパネル

このあたりの経緯が、中原街道沿いに設置されたガイドパネルでも
簡単に触れられています。
優遇施策によって各地から農民の移住が進み、門前市は大いに
賑わった
そうです。

上小田中よりも少し後になって、世田谷にも同様の市ができました。
現在では、泉沢寺の市は「夏の泉沢寺お施餓鬼」、世田谷の市は
「冬の世田谷ボロ市」
として名残りが残っています。

■がんばれぼくらの世田谷線 世田谷ボロ市
http://www.setagaya-line.com/trip/boroichi/

「世田谷ボロ市」といえば、現在でも非常にたくさんの人で賑わう
イベントで、かなり知名度があります。
同様に繁栄していた泉沢寺の門前市が、そのような一大イベントに
育たなかったのは少々残念ではありますが、現在でもお施餓鬼
にはいくつか露店が並び、地元の子どもたちの楽しみとなって
いる
ようです。

なお、泉沢寺には多くの文化財が所蔵されており、以下は
川崎市重要歴史記念物に指定されています。

■泉沢寺所蔵の川崎市重要歴史記念物
・泉沢寺再建に関する吉良頼康関係の判物
・北条氏政の禁制(虎の印判状)
・徳川家康の代官神谷重勝の寺領朱印状下附に関する書状
・徳川氏奉行人連署奉書
・徳川綱吉の霊廟に祀られていた四天立像(木造)
・南北朝時代製作の阿弥陀如来立像(銅像)


これまでに取り上げた西明寺などもそうですが、中原街道沿いの
寺社には、紐解いてみるとさまざまな歴史が残されていますね。

■中原街道と泉沢寺
中原街道と泉沢寺

■「泉沢寺と門前市」のガイドパネルマップ
「泉沢寺と門前市」のガイドパネルマップ

【関連リンク】
(川崎歴史ガイド・中原街道ルート連載)
2009/9/23エントリ (1):「丸子の渡し」
2009/10/6エントリ (2):「旧原家母屋跡地」
2009/11/9エントリ (3):「旧名主家と長屋門」
2009/11/29エントリ (4):「明治の醤油作りと八百八橋」
2009/12/21エントリ (番外編):「武蔵小杉駅の八百八橋」
2010/2/9エントリ (番外編):「丸子の渡しガイドパネル入札不調」
2010/2/14エントリ (5):「小杉御殿と『カギ』の道」
2010/3/30エントリ (6):「小杉御殿の御主殿跡」
2010/5/23エントリ (番外編)「中原区役所の八百八橋」
2010/6/28エントリ (7):「小杉陣屋と次大夫」
2010/7/19エントリ (8):「御蔵稲荷と多摩川」
2010/8/19エントリ (9):「西明寺と小杉学舎」
2010/11/12エントリ (10):「小杉駅と供養塔」
2011/2/11エントリ (11):「庚申塔と大師道」
2011/3/27エントリ (12):「小杉十字路」
2011/4/7エントリ (番外編):「中原区役所の八百八橋」リニューアル
2011/5/3エントリ (番外編):「中原区役所の八百八橋」看板設置と
石橋ベンチ

2011/7/9エントリ (13):「二ヶ領用水と神地橋」

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