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2014年
02月10日

川崎歴史ガイド・中原街道ルート(16):「木月堀と『くらやみ』」

 

「川崎歴史ガイド・中原街道ルート」の第16回は、「木月堀と『くらやみ』」です。

財団法人川崎市文化財団の事業に、市内の歴史文化遺産の保存と紹介を目的とした「川崎歴史ガイド」があります。これは市内の歴史をたどる9つのルートを設定し、現地にガイドパネルを設置するほか、パンフレットを作成して当該地域の歴史を紹介するものです。
中原区においては、「中原街道」と「二ヶ領用水」がルートに設定されており、本連載では「中原街道ルート」の紹介を行っています。

■「木月堀と『くらやみ』」のガイドパネル
「木月掘と『くらやみ』のガイドパネル」

中原街道には、途中いくつもの交差点があります。かつて「ロンドン、パリ」とも称されたのが小杉十字路で、そのすぐそばでは二ヶ領用水とも交差しています。
中原街道は、これ以外にも二ヶ領用水の支流とも何か所かで交差しています。それらの支流はいまでは暗渠(蓋付きの水路)となり、細い路地として残されています。

このガイドパネルが立っているのが支流のひとつ、「木月掘」の路地です。

■「木月堀」の暗渠
「木月掘」の暗渠

木月堀は、他の支流同様に暗渠になっています。
ご覧の通り、コンクリートの蓋が続き、暗渠沿いが路地になっています。

「川崎歴ガイド」のパンフレット紹介によれば、木月堀は支流の中でも特に澄んでいて、かつてはこの水を使った醤油の醸造も行われていたそうです。
明治時代には朝山家が「朝陽(ちょうよう)」、大正・昭和に入ると小川家が「ふんどん東陽」という商標で販売していました。

■「くらやみ」
「くらやみ」

「くらやみ」

さて、中原街道から木月堀の暗渠に入っていくと、立派な木々の茂ったお屋敷があります。こちらは名主であった原家のお屋敷で、地元では昔から「くらやみ」と呼ばれているそうです。
なかなかインパクトの強い呼び名ですが、木々の下はいつも日陰になっているため、その名前がついたのでしょうか。

原家については、「川崎歴史ガイド・中原街道ルート」(2):旧原家母屋跡地(2009/10/6エントリ)でもご紹介しました。
こちらのお屋敷も歴史を感じさせる、落ち着いた佇まいです。

木月掘の暗渠はお屋敷沿いに流れ、その先もずっと細い路地となって住宅街の中に続いています。どこまで続いているものか、歩いてみたくなりました。

■「木月堀と『くらやみ』のガイドパネル」
「木月堀と『くらやみ』のガイドパネル」

【関連リンク】
(川崎歴史ガイド・中原街道ルート連載)
2009/9/23エントリ (1):「丸子の渡し」
2009/10/6エントリ (2):「旧原家母屋跡地」
2009/11/9エントリ (3):「旧名主家と長屋門」
2009/11/29エントリ (4):「明治の醤油作りと八百八橋」
2009/12/21エントリ (番外編):「武蔵小杉駅の八百八橋」
2010/2/9エントリ (番外編):「丸子の渡しガイドパネル入札不調」
2010/2/14エントリ (5):「小杉御殿と『カギ』の道」
2010/3/30エントリ (6):「小杉御殿の御主殿跡」
2010/5/23エントリ (番外編)「中原区役所の八百八橋」
2010/6/28エントリ (7):「小杉陣屋と次大夫」
2010/7/19エントリ (8):「御蔵稲荷と多摩川」
2010/8/19エントリ (9):「西明寺と小杉学舎」
2010/11/12エントリ (10):「小杉駅と供養塔」
2011/2/11エントリ (11):「庚申塔と大師道」
2011/3/27エントリ (12):「小杉十字路」
2011/4/7エントリ (番外編):「中原区役所の八百八橋」リニューアル
2011/5/3エントリ (番外編):「中原区役所の八百八橋」看板設置と
石橋ベンチ

2011/7/9エントリ (13):「二ヶ領用水と神地橋」
2011/9/4エントリ (14):「泉沢寺と門前市」
2012/12/1エントリ 「安藤家長屋門」が川崎市指定文化財に、本日12月1日(日)に一般開放
2013/2/9エントリ 「安藤家長屋門 川崎市重要歴史記念物記念イベント」が2013年3月14日(木)、30日(土)開催
2013/2/12エントリ 川崎市重要歴史記念物「安藤家長屋門」一般公開レポート
2013/8/16エントリ 川崎歴史ガイド・中原街道ルート(15):「旧中原村役場跡」

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