武蔵小杉ブログ(武蔵小杉ライフ 公式ブログ)

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2016年
08月06日

川崎歴史ガイド・中原街道ルート(番外編):大田区側「おいと坂」と、「美富士橋」から見る武蔵小杉の高層ビル群

【Reporter:はつしも】

中原街道の大田区側の旧街道にあたる「桜坂」を、2016/4/8エントリでご紹介いたしました。
今回は、「桜坂」下から分岐する「おいと坂」をのぼって、武蔵小杉の風景を楽しんでみたいと思います。

■「桜坂」と「おいと坂」のマップ
「桜坂」と「おいと坂」のマップ

古い街道には、よく「旧街道」と「新道」が並行しているところが残されています。
それらの多くは、モータリゼーション等近代化の過程でより広い幅員が必要となり、旧街道に隣接して新道が整備された名残です。

中原街道にもこのような「旧街道」「新道」がありまして、多摩川付近の旧中原街道は新道よりも東寄りでした。
「丸子の渡し」で多摩川を渡ると現在の「東急沼部駅」あたりに到着し、そこから旧中原街道の「桜坂」を登っていくのがメジャーな交通路だったわけです。

■東急沼部駅
東急沼部駅

多摩川線の東急沼部駅には、この一帯の地名であった「沼部」の名前が残されています。

川崎市側の「下沼部」はかつては大田区側の沼部(当時の荏原郡調布村)と一体でしたが、多摩川の度重なる氾濫、流路変更によって飛び地となりました。
1912年(明治45年)に東京と神奈川の境界が多摩川で仕切りなおされ、下沼部は神奈川に編入されることとなったのです。

■大田区側の「沼部」(左)と、川崎市側の「下沼部」
大田区側の「沼部」(左)と、川崎市側の「下沼部」

なお、大田区側の地名は現在では「田園調布本町」「田園調布南」といった地名になっています。
「沼」がつく地名を嫌う考え方がある一方で「田園調布」は全国的に知名度のあるブランドですので、イメージアップという側面もあったのかもしれません。

■「桜坂」(左)と「おいと坂」(右)の分岐点
「桜坂」と「おいと坂」の分岐点

■「おいと坂」
「おいと坂」

今回ご紹介する「おいと坂」は、「桜坂」下の東急沼部駅近くから東に向かって分岐しています。
左手が「桜坂」、右手が「おいと坂」です。

■「おいと坂」のいわれ
「おいと坂」のいわれ

「おいと坂」下にある木碑には、坂の謂れが「大田区史」からの引用で書かれています。

かつて坂下には「雄井戸(おいと)」と呼ばれる井戸があり、旧中原街道を隔てて西側にあった「雌井戸(めいと)」とともに人々に親しまれてきました。井戸の一つは、中原から移したものとされています。
伝説では鎌倉時代の武将・北条時頼がこの地を訪れた際、雄井、雌井の水により病をいやしたといわれています。

現在では井戸の姿は残されていませんが、「おいと坂」とは、「雄井戸」があったことからついた名前であろうということです。

■北条時頼の伝説が残る「西明寺」
北条時頼の伝説が残る「西明寺」

北条時頼は、中原街道のカギ道そばの「西明寺」の信仰厚く、中興の祖とされています。
西明寺には北条時頼の像が残され、いくつか伝説も残されています。

井戸の移設や北条時頼の伝説など、大田区側の「旧中原街道」「沼部」と中原区側の歴史的な縁を感じることができますね。

■おいと坂上にある「美富士橋」
おいと坂上にある「美富士橋」

■「美富士橋」から見える武蔵小杉の高層ビル群
「美富士橋」から見える武蔵小杉の高層ビル群

さて、「おいと坂」を登りきると、新幹線・横須賀線の線路をまたぐ「美富士橋」につきあたります。

この橋は、線路の上に建築物が立つことはありませんので、高台の上にあることもあって非常によく視界がひらけています。
武蔵小杉の高層ビル群のほか、名前のとおり富士山なども見ることができるそうです。

■「美富士橋」から見る新幹線、湘南新宿ライン、横須賀線など
「美富士橋」から見る新幹線、湘南新宿ライン、横須賀線など

「美富士橋」から見る新幹線、湘南新宿ライン、横須賀線など

「美富士橋」から見る新幹線、湘南新宿ライン、横須賀線など

「美富士橋」から見る新幹線、湘南新宿ライン、横須賀線など

線路の上からは、新幹線、湘南新宿ライン、横須賀線などさまざまな電車を見ることができます。
武蔵小杉周辺からとはまた違った構図で、新鮮でした。

■「美富士橋」「おいと坂」周辺から見る武蔵小杉・向河原方面
「美富士橋」「おいと坂」周辺から見る武蔵小杉・向河原方面

「美富士橋」「おいと坂」周辺から見る武蔵小杉・向河原方面

「美富士橋」「おいと坂」の周辺では、各地で武蔵小杉・向河原方面を見ることができます。

飛び地になった「下沼部」を、東京側からはかつては「向河原」(川向うの河原)と呼んでいたそうです。
そのため、現在も南武線の駅名に「向河原」が残っています。

■沼部駅近くの多摩川河川敷から見た武蔵小杉・向河原方面
沼部駅近くの多摩川河川敷から見た武蔵小杉・向河原方面

かつては飛び地で同じ村であった、沼部駅近くの多摩川河川敷から、武蔵小杉・向河原方面を眺めてみました。
現在の向河原にはNEC玉川ルネッサンスシティの高層ビルが建ち、武蔵小杉駅周辺にはタワーマンションが並んでいます。

当時は「川向う」という以上の認識はあまりなかったのだと思いますが、これほどまでに変貌することは想像がつかなかったのではないでしょうか。

旧中原街道がつないでいた、多摩川の両岸を行き来しながら、あらためて時代の移り変わりを感じました。

■ソメイヨシノが咲く頃の「桜坂」
ソメイヨシノが咲く頃の「桜坂」

【関連リンク】
(川崎歴史ガイド・中原街道ルート連載) ・大田区ウェブサイト おいと坂
2009/9/23エントリ (1):「丸子の渡し」
2009/10/6エントリ (2):「旧原家母屋跡地」
2009/11/9エントリ (3):「旧名主家と長屋門」
2009/11/29エントリ (4):「明治の醤油作りと八百八橋」
2009/12/21エントリ (番外編):「武蔵小杉駅の八百八橋」
2010/2/9エントリ (番外編):「丸子の渡しガイドパネル入札不調」
2010/2/14エントリ (5):「小杉御殿と『カギ』の道」
2010/3/30エントリ (6):「小杉御殿の御主殿跡」
2010/5/23エントリ (番外編)「中原区役所の八百八橋」
2010/6/28エントリ (7):「小杉陣屋と次大夫」
2010/7/19エントリ (8):「御蔵稲荷と多摩川」
2010/8/19エントリ (9):「西明寺と小杉学舎」
2010/11/12エントリ (10):「小杉駅と供養塔」
2011/2/11エントリ (11):「庚申塔と大師道」
2011/3/27エントリ (12):「小杉十字路」
2011/4/7エントリ (番外編):「中原区役所の八百八橋」リニューアル
2011/5/3エントリ (番外編):「中原区役所の八百八橋」看板設置と石橋ベンチ
2011/7/9エントリ (13):「二ヶ領用水と神地橋」
2011/9/4エントリ (14):「泉沢寺と門前市」
2012/12/1エントリ 「安藤家長屋門」が川崎市指定文化財に、本日12月1日(日)に一般開放
2013/2/9エントリ 「安藤家長屋門 川崎市重要歴史記念物記念イベント」が2013年3月14日(木)、30日(土)開催
2013/2/12エントリ 川崎市重要歴史記念物「安藤家長屋門」一般公開レポート
2013/8/16エントリ (15):「旧中原村役場跡」
2014/2/10エントリ (16):「木月堀と『くらやみ』」
2015/12/20エントリ (番外編):旧原家母屋跡地「GATE SQUARE小杉御殿町」の歴史展示
2016/3/16エントリ (番外編):神明神社と上小田中公園に残る、「くらやみ」の歴史
2016/4/8エントリ (番外編):旧中原街道「桜坂」から見えるソメイヨシノと、武蔵小杉の高層ビル群

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