武蔵小杉ブログ(武蔵小杉ライフ 公式ブログ)

川崎市中原区の再開発で変貌する街・武蔵小杉のタウン情報サイト『武蔵小杉ライフ』の公式ニュースブログ。街の最新情報やさまざまな話題をご紹介します。

2022年
09月29日

中原区・なかはら散策ガイドの会が平塚市コラボの中原街道まち歩きを開催、小杉御殿・中原御殿の歴史を辿る

川崎市中原区の区名のもととなった「中原街道」は、平塚市の「中原御殿」と中原区の「小杉御殿」という2つの徳川将軍家の別荘をつないでいます。

そのご縁から中原区と平塚市の交流・連携事業がスタートし、「市政だより」での特集や史料を両市の図書館で展示する「図書館交流」について、本サイトでもご紹介してまいりました。

この中原区×平塚市のコラボ企画の一環として、歴史とまち歩きを通して中原区の魅力を発券する「なかはらの魅力発信講座」において、『中原街道を歩く』企画が9月26日に開催されました。

この日は中原区役所とともにまち歩きを主催した「なかはら散策ガイドの会」に加えて、平塚市区教育委員会の方もゲストとして参加し、中原街道の歴史につて講話を提供しました。

■旧原家住宅表門
旧原家住宅表門
※写真提供:中原区役所、以下同じ

最初にこちらは、「旧原家住宅表門」です。

名主であった原家九代目の文次郎氏が1889年から24年の歳月をかけて、この地に母屋を1913年に完成させました。

総ケヤキ造りの母屋は、当時の高度な木造建築技術を駆使した建築物であり、国登録有形文化財に指定されています。

母屋は1991年に日本民家園に移築されましたが、表門は中原街道沿いに現存し、お屋敷の敷地のマンション開発においても保存されました。

■「なかはら散策ガイドの会」の皆さん
なかはら散策ガイドの会の皆さん

まち歩きをガイドするのは、「なかはら散策ガイドの会」の皆さんです。

2008年に開催された「区内観光ガイド育成講座」の修了者らが加わって2009年に発足し、中原区内でまち歩きをしながら各種スポットや歴史の紹介をしています。

今回は中原区役所とともに「なかはらの魅力発信講座」を開催しました。

■安藤家長屋門
安藤家長屋門

続いて「旧原家住宅表門」のすぐ近くに、川崎市重要歴史記念物に指定されている「安藤家長屋門」があります。

安藤家もかつては後北条氏(小田原北条氏)に仕えたといわれる旧家でした。
北条氏が1590年に豊臣秀吉に敗れ没落するとともに土着・帰農し、江戸時代には近隣一体の割元名主をつとめています。

割元名主とは、近隣一体の名主たちと代官との間で法令の伝達や年貢の取りまとめにあたる役割を担っていた名主の代表格で、安藤家が代官から賜ったとされる立派な長屋門がここに現存しています。

長屋門は木造平屋で、門の両側に部屋が設けられているのに加えて、中央の屋根の部分が中2階になっています。「寄棟(よせむね)造」に「桟瓦葺(さんがわらぶき)」で建てられ、建築時期は幕末頃とされています。

■石橋醤油店
石橋醤油店

石橋醤油店

続いてこちらは「石橋醬油店」です。
明治3年に農業のかたわらで醤油や味噌の醸造を始め、「キッコー文山」の屋号で販売したとされています。

現在は醤油蔵は取り壊されていますが、本サイトでもご紹介した「川崎歴史ガイド」のパネルや記念碑などが設置されていました。

■小杉陣屋跡
小杉陣屋跡

小杉陣屋跡

小杉御殿の建設などが行われた徳川家康の治世当初において、多摩川周辺の土地は非常に生産性の低い状態でした。水利が悪く、草地や荒地ばかりの中に小さい集落が点在しているのみだったようです。

米の増産に取り組んでいた家康は江戸近郊の各地で新田開発を計画しますが、それにあたって多摩川からの農業用用水路の敷設を進言し、用水奉行を任されたのが小泉次大夫でした。
次大夫によって川崎市内に敷設されたのが二ヶ領用水であり、その拠点となったのが小杉陣屋です。

小泉次大夫は、1597年(慶長2年)より、多摩川両岸の用水路建設に着手しましたが、完成までに14年を要する難工事でした。
陣屋は川崎側の小杉陣屋だけでなく、江戸側の狛江にも設けられ、次大夫が各地の現場で指揮を取って完成にこぎつけました。

■小杉御殿の御主殿跡
小杉御殿の御主殿跡

続いて、小杉御殿の御主殿跡です。

小杉御殿の敷地は約40,000㎡、図面で残されているところによると、その中には表御門、御主殿、御殿番屋敷、御賄屋敷、御蔵、御馬屋敷、裏御門などが配置されていたことが確認できます。

そのうちの御主殿跡が、住宅街の細い路地の奥に残されていました。
現在は小さな稲荷があります。

■西明寺の参道
西明寺の参道前

西明寺の参道

こちらは、西明寺の参道です。

ちょうど中原街道が「カギ道」になるところで、現在はカギ道を解消するための道路整備が参道脇で徐々に進んできています。

■最後は等々力陸上競技場で平塚市教育委員会の方から講話
最後は等々力陸上競技場で平塚市教育委員会のゲストから講話

そして最後は、等々力陸上競技場メインスタンドです。

平塚市教育委員会の方がゲストで登場し、中原街道と中原御殿の歴史について講話をしてくださいました。

天正から文禄、慶長年間において府中御殿、青戸御殿、鴻巣御殿など各地に次々と御殿が建てられ、中原御殿が建設されたのが慶長元年(1596年)。
同年には藤沢御殿も建てられています。

小杉御殿が建てられたのが関ケ原の戦いから8年後の慶長13年(1608年)ということですから、中原御殿が先でした。

その後も土気御殿、船橋御殿、東金御殿が1613年までに建てられるなど、江戸周辺地位に御殿がたくさんあったということです。

「小杉御殿」については地域でさまざまな情報発信がありますが、平塚市の中原御殿やその他の御殿についてはあまり聞いたことがありませんでしたので、貴重な機会だったのではないでしょうか。

本サイトでは不定期連載「川崎歴史ガイド・中原街道ルート」において中原街道の歴史について継続的にご紹介をしています。

詳細は関連リンクからご参照ください。

【関連リンク】
川崎市報道発表資料 中原区と平塚市のコラボ企画、続々登場!~地元の魅力を連携発信し、地域活性化につなげます~
中原区 なかはらの魅力発信講座(前期)

(川崎歴史ガイド・中原街道ルート連載)
2009/9/23エントリ (1):「丸子の渡し」
2009/10/6エントリ (2):「旧原家母屋跡地」
2009/11/9エントリ (3):「旧名主家と長屋門」
2009/11/29エントリ (4):「明治の醤油作りと八百八橋」
2009/12/21エントリ (番外編):「武蔵小杉駅の八百八橋」
2010/2/9エントリ (番外編):「丸子の渡しガイドパネル入札不調」
2010/2/14エントリ (5):「小杉御殿と『カギ』の道」
2010/3/30エントリ (6):「小杉御殿の御主殿跡」
2010/5/23エントリ (番外編)「中原区役所の八百八橋」
2010/6/28エントリ (7):「小杉陣屋と次大夫」
2010/7/19エントリ (8):「御蔵稲荷と多摩川」
2010/8/19エントリ (9):「西明寺と小杉学舎」
2010/11/12エントリ (10):「小杉駅と供養塔」
2011/2/11エントリ (11):「庚申塔と大師道」
2011/3/27エントリ (12):「小杉十字路」
2011/4/7エントリ (番外編):「中原区役所の八百八橋」リニューアル
2011/5/3エントリ (番外編):「中原区役所の八百八橋」看板設置と石橋ベンチ
2011/7/9エントリ (13):「二ヶ領用水と神地橋」
2011/9/4エントリ (14):「泉沢寺と門前市」
2012/12/1エントリ 「安藤家長屋門」が川崎市指定文化財に、本日12月1日(日)に一般開放
2013/2/9エントリ 「安藤家長屋門 川崎市重要歴史記念物記念イベント」が2013年3月14日(木)、30日(土)開催
2013/2/12エントリ 川崎市重要歴史記念物「安藤家長屋門」一般公開レポート
2013/8/16エントリ (15):「旧中原村役場跡」
2014/2/10エントリ (16):「木月堀と『くらやみ』」
2015/12/20エントリ (番外編):旧原家母屋跡地「GATE SQUARE小杉御殿町」の歴史展示
2016/3/16エントリ (番外編):神明神社と上小田中公園に残る、「くらやみ」の歴史
2016/4/8エントリ (番外編):旧中原街道「桜坂」から見えるソメイヨシノと、武蔵小杉の高層ビル群
2016/8/16エントリ (番外編):大田区側「おいと坂」と、「美富士橋」から見る武蔵小杉の高層ビル群
2021/4/27エントリ 川崎歴史ガイド・中原街道ルート(番外編):子母口富士見台古墳から見た武蔵小杉の高層ビル群と、富士見台からの富士山
2022/8/30エントリ 川崎歴史ガイド・中原街道ルート(番外編):平塚市の中原御殿跡訪問、「中原小学校」「御殿一丁目」などまるで異世界の中原区を散策 2022/9/9エントリ 中原区×平塚市コラボ・中原図書館で中原街道史料展示開始、小杉御殿・川崎フロンターレvs中原御殿・湘南ベルマーレ「中原街道御殿ダービー」も熱戦

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